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二人分のおもかげ1

 扉を開いたいた時、まず目に入ったのは受付カウンターと思しき長い机と、そこに乱雑に積まれた荷物。そして、背もたれの無い合皮のソファーだった。

 玄関ホールと思しきそこに灯りはついているが、そこかしこに積まれた段ボールやら木箱やらが目に留まった。興味本位で覗くと、そこには何に使うか分からないがらくたが詰まっていた。


「ヴォルク。いますか?」

「はぁーい。その声はミドにぃですかねぇ」


 ミッドの呼び声に、間延びした返事が返ってくる。靴底を床に摺るような足音が近づいてくる。

 現れたのはスリッパに白衣、簡素な灰色のTシャツに、こげ茶色のクロップドパンツをはいたアンドロイドだった。その黒髪や、右耳側にある紺色の布を結んだアンテナに見覚えがある。間違いなく同型機だ。

 彼は垂れ目がちの目で愛想のいい笑顔を浮かべると、ひらひらと片手を振る。


「こんにちはぁ、お久しぶりです。あっ、ニューロにぃも目を覚まし……たわけじゃなさそうですねぇ。調子はどうですか?」

「稼働に問題はないと思いましたが、検査に連れてきました。頼めますか?」 

「はいはい、目の調子も気になるところでしたからねぇ。で、クロねぇは……あー、怪我ですね。はいはい、大丈夫ですよぉ」


 彼はクローディアの腕の傷を見ると、うんうんと二度ほど頷いた。


「ごめんね、この間換えてもらったばっかりなのに」

「いいんですよぉ。最新のスキンを使用した感じ、あとで教えてくださいねぇ。……おや」


 ヴォルカースは俺たちの後方にいた、ロステルとグリンツ氏を見る。ミッドも彼らを見て、軽く肩をすくめる。


「見ての通りです」

「ふーむ、面白いですねぇ。いいですよぉ。個室まではご用意できないですが、歓迎します」


 どうやら、ヴォルカースは二人の正体をすぐに見抜いたようだ。そのオリーブ色の目は、愛想のいい中に、企みに似た不思議な光を湛えている。


「それと、訓練されたムツアシを一頭預かることになっています。裏手でいいですか?」

「構いませんよぉ。ムツアシを洗うのは、楽しいですしねぇ」


 彼の笑顔は、朗らかなものに変わる。


「とにかく、休養なのにそうした立派な服を着ることもないでしょう。ゆるい服、ご用意しておきますので、お二人はごゆっくりー。っと、そうでした!」


 ぱん、と音を立てて、ヴォルカースは両手を胸の前で叩き合わせる。


「二階の一番奥の部屋は、開けちゃだめですよぉ」

「誰かいるのですか?」

「ふふふ、内緒です。じきに分かると思いますけどねぇ。それじゃ、ちょっと失礼」 


 ヴォルカースはスリッパを引きずりながら、小走りに走り去る。しばらくすると、機械の起動音があちこちから響き渡る。俺は驚いて、少し身構えてしまう。

 やがて、部屋の片隅に吊るされた透明な板に、ヴォルカースの姿が映る。


「はーい、それじゃお坊ちゃんたちは二階にご案内しますねぇ。なにせ機械の病院なもので、不自由お掛けするかもしれませんが」


 二人の足元に小型の白くて丸い掃除用の機械が走って来る。グリンツ氏が爪先で蹴飛ばそうとするのを、クローディアが睨んで止める。


「ついてきてくださぁい」

「兄さん、行きましょう」


 ロステルは一瞬俺を見たが、俺が頷いて返すと、彼は納得したように白い機械の後ろをついていく。


「ミドにぃは二階の奥から二番目の部屋をどうぞ。個人的にお話したいこともありますので」

「わかりました」


 今度は緑で縦に長い、おそらく警備用の機械がやってくる。歩き出す前に、ミッドは俺たちに振り返る。


「それでは、二人は診察を終えたらよく休んでください」

「おっけー、ドウツキちゃんのことは任せてー」


 手を軽く振って、俺とクローディアはミッドを見送る。最後にやってきたのは、四角くて大きな青い機械だ。


「ではこちらにどうぞぉ」

「これ、全部ヴォルカースが動かしてるのか?」

「そうですよぉ。やり方は、企業秘密です。ささ、こちらへ」


 案内されるがまま、俺たちはミッドたちとは別方向へ歩いていく。

 やがて、俺たちはたくさんの機材と可動式の椅子、そしてベッドが置かれた部屋に到着する。今更になって緊張してきて、俺は落ち着きなくあたりを見回してしまう。

 俺に多少残されたトールの知識は、あの機械で修理をするだとか、この機械で調べるのだとか、そういったことを回路に囁いてくる。久しぶりに、回路にざらざらとした不快な感覚が走って少し気持ちが悪い。咳の仕草が勝手に出る。


「クロねぇはそっちのベッドにお願いします。ドウツキ君でしたっけ。そっちの可動式の椅子にどうぞぉ」

「俺の方がシリアルナンバーとしては早くない?」

「プログラムとして成立したのは後なのでぇ。お嫌です?」

「ああ、いや、そういうわけじゃないよ」


 俺は軽く手を横に振る。奥にあるコンピュータに備え付けられたスピーカーから、ヴォルカースの声は聞こえてくる。

 識別番号からするならヴォルカースは008、俺は004で、俺の方が年上ということになるだろう。だけど、俺が俺として成立したのは、ついこの間だ。納得できないことはない。


「まだ三十日も経ってないんだよなあ、『俺』が生まれて……」

「濃い人生送ってるねえ」


 ベッドに腰かけたクローディアが、傷ついた方の腕にもう片方の手を添えている。


「よいしょ」

「うわっ」


 一声上げて彼女が自分の腕を引っ張ると、あっけなく腕が取れる。彼女の内側にある金属の機構が丸見えになって、俺は思わず通信で悲鳴を上げる。

 俺たちの躯体の骨の太さは人間のものより少し大きい。基本的な外骨格の内側に、筋肉代わりの頑強な合成繊維の束があり、さらにその内側に骨があって、その骨の中に主要な配線などが収納されている――ということが、一気に頭に流れ込んできて、俺は眉を寄せる。


「ドウツキちゃん、ひょっとしてメカバレだめ?」

「いや、ちょっとさっきから情報のコントロールができなくて……」


 データに回路が追い付かず、頭がじりじりと痛む。俺は可動式の椅子に腰かけて、背もたれに躯体を預け、深く息を吸って吐く行動を取る。

 その間に、天井からぶら下がったアームが、クローディアの腕を受け取って、カーテンで仕切られた部屋の奥の方へ持って行く。ほどなくして、マニュピレーターの動く音や、何かを吹きつける鋭い空気の音が聞こえてくる。


(人工皮膚の塗布の音だな……それを機械で制御して、全行程行えるだけの機材も整っている。結構いい施設だ)


 不思議と、カーテンの向こうでしていることを俺は理解できる。センサーから感じ取れる、いくつかの音や匂いが噛み合って、俺に残るトールかニューロマンサーの情報を刺激するらしい。

 それが明瞭になればなるほど、眠たくなってくる。エネルギー不足の時の悪寒が走るような感覚もない。

 ふわふわと、ゆるやかに、まどろみの中で分解されていくような優しさと、無を感じる。


「――!」


 だめだと、何となくそんな気がして、俺は勢いよく身を起こす。突然の俺の行動に、クローディアが驚いているのが視界の隅に映る。隻腕になった彼女が、俺を心配そうに覗き込む。


「ドウツキちゃん、やっぱこっち来てから急に調子悪くなってるよ。早めに検査終わらせて休んだ方がいいんじゃない?」


 ひょこっと、俺の側からカメラと車輪のついたアームが覗き込む。


「うーん、動作が不安定に見えますねぇ。じゃあちょっと、これかぶってください」


 もう一本アームがやってくる。目と耳を覆うような、ヘッドマウントタイプの機材のようだ。その灰色の機材からはケーブルがたくさんついていて、手に持ってみると結構な威圧感がある。目のところには、青い硝子がはめ込まれていて、かぶっても視界は確保できるようだ。


「それと、通信デバイスを外してください。あなたの端末は破損して、それしか残ってないので、あと繋ぐとしたら頭のフタを開けるぐらいしかないんですよぉ」

「あ、頭のフタを開ける!?」


 頭のフタを開ける、という言葉に俺は恐怖して頭を庇った。多分、システムの大半がそこにあるからなのだろう。中枢部に干渉されるということに対する恐怖は、俺たち機械が持つ共通のものかもしれない。


「俺の接続端末も直すのか?」


 気になったことを問いかけてみる。すると、ヴォルカースは唸る。


「ううーん、ミドにぃやクロねぇのように、エネルギーが必要な武器があって、それと自分を繋げるというのなら直しますけど……使いますぅ? アテがないなら、そのままでもよろしいかと?」


 ヴォルカースの指摘する通り、俺にはそういう武器がない。それに、どうもこの世界というのは、通信を繋いでデジタルに攻めるという行為だけではどうしようもないことも多いらしい。無論、俺にはそれもできない。ただ、少しだけ、そう、少しだけ、できたらかっこいいなと思わないでもないというのが、本当だが、関係のないことだ。


「今のところは一個でいいや」

「了解ですぅ。じゃあ、さくっと調べてみましょう」


 俺はそっと通信デバイスを外す。アンテナに通る独特の感覚がなくなって、自然と通信による意思疎通ができなくなったことを把握する。

 大柄な耳飾りのような青い通信デバイスにも、いつの間にか愛着が沸いているらしい。俺はあまり遠くに離したくなくて、椅子のすぐ隣に設置された机に置く。


「じゃあ、装着したらじっとしてくださいねぇ。こちら側で接続しますので。ちくっとしますよぉ」


 緊張しながらも、俺は機材を頭に装着する。青い硝子に覆われた視界向こうで、クローディアが俺に手を振っている。俺が手を振り返そうとした瞬間、かすかな空気音と共に端末にケーブルが差し込まれる。ちくりとした痛みに、俺は顔をしかめる。


「そちらの躯体をメンテナンス状態にします。ちょっと感覚が飛び飛びになるかと思いますが、バグではないのでご安心くださいねぇ」


 外部からプログラムが流れ込んでくる感覚がある。硝子がそのままディスプレイとなり、信号と文字列が流れ始める。それらを思考で理解できなくとも、躯体は意味を理解しているらしく、徐々に全身が弛緩していく。背もたれに身を委ね、俺は信号を読み続ける。


 ――躯体の稼働は問題がない。四肢は十全に動く。損傷なし。


 内蔵バッテリーから指の先までエネルギーが一瞬通う。その様子を、ヴォルカースが観察している。


「うんうん、右目もちゃんと稼働してますね。白い眼球の方がいいなら、在庫がありますけれども」


 俺が首を横に振ると、ケーブルの向こう側でヴォルカースは心なしか嬉しそうに笑った。

 プログラムが躯体の中に入り込む感じがする。少し熱い。俺の目は、淡々と信号を読み続けている。


 ――内部機構、並びにセンサー各種、損傷はなし。


「冷却装置もちゃんと動いてますし、エネルギーの伝達も言わずもがな。センサー類も良好ですね。ぱっと見、外見では損傷が大きいように見えますが、躯体としては健康と判断して良いと思います」


 間延びしない声で、ヴォルカースは「さて」と言った。緊張しているという感情が、心なしか伝わってくる。


「次はちょっと変な感じがすると思いますが、しばらく我慢してくださいね」


 彼の言葉が終わるなり、思考の奥の奥に細い針を音もなく差し込まれたような感覚が走る。決してぼんやりしているわけではないはずなのに、思考がうまく働かなくなったという違和感がある。俺は信号を読んでいるが、それは身体が勝手にしていることだ。俺が意識的にやっているわけではない。まるで、俺の身体が自分のものではないようだ。

 演算の音が重たくなってくる。苦しまぎれに呼吸の真似事をするが、息が震えている。目の奥がちかちかする。怖い。怖いって、何だっけ。感情がうまく機能していない。思考と噛み合わない。焦りが浮いたり沈んだりして、落ち着かない。


 ――トール、今日の晩御飯は何にしましょう。

 ――ああ、そうだな……シチューがいいかな。

 ――でしたら、市場で野菜とお肉を買わないと!


 自分の中から二人分の声がする。躯体が意図せず、がたんと跳ねる。がたんと、もう一度。反らされる喉から、咳のような空気が漏れる。頭が重い。演算の音がまるで内側から俺を食い破ろうとするかのように響く。うまく物事が考えられない。


「ドウツキちゃん、どうしたの?」


 さっきまで聞いていた女性の声がするが、目の前にいるポニーテールの彼女が誰か判別がつかない。否、分かる。分かる。これは、クローディアだ。頭がぐるぐるする。


 ――トールはかみさまの話を知っていますか?

 ――大変です! 子どもが行き倒れています!

 ――あの、大丈夫ですか?


 俺の回路が何度もエラーを吐いている。躯体が震えている。子守歌の幻聴が響く。俺の身に起こること全てが、他人事のような錯覚がして――急激に、俺の意識は元に戻った。体の震えも、嘘のように止まる。

 悪い幻覚だったのだろうかと思ったが、クローディアの不安な表情で、今の出来事が夢ではなかったことを理解する。


「うーんと、すみません。ちょっとデータをまとめますねぇ」


 間延びした声で言うなり、ヴォルカースは引っ込んでしまった。

 空気の音がして、ケーブルが引き抜かれる。

 俺は機材を頭から外して、大きく息を吐き出し、いつもの通信デバイスをつけた。通電する痛みはあったが、アンテナに感覚が戻ったことでいつも通りになったと感じたかった。


「大丈夫?」

「頭ががんがんする……」


 クローディアには、そう伝えるのがやっとだった。何となく、俺は最後に行われた検査の結果がとても悪いということだけ、分かったような気になった。

 いつの間にかクローディアの腕の修復は終わっていて、作業音の代わりに嫌な沈黙が部屋の中に詰まっていた。

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