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翡翠の鎖3

「――、ドウツキ!」

「……ミッド?」


 ミッドの通信に気づいてもう一度目を開けた時、俺の躯体は宙ぶらりんのまま、横方向に移動させられている状態だった。手を誰かに掴まれている。見上げれば、ロステル氏が俺の手を掴んで飛行している真っ最中だった。

 何度か咳をして、俺は現状を理解しようと努める。あたりは七色の塵と、倒れた物見台の土ぼこりがまだ舞っている。時間はさして経過していないらしい。


「……ロステルさん、グリンツさんのところに行ける?」


 俺は映像を反芻する。それは彼の感情の暴走によって、まき散らされたイメージだったのかもしれない。彼が望んで伝えてきたわけではないのかもしれない。だから、打ち明けてはいけないことなのかもしれない。

 今しがたの映像を見たならば、彼が喜ぶような居場所がないことは明白だった。『影』になった今も、狂気に蝕まれているのかもしれない。それは、俺にとって放っておくのが難しいことだった。

 俺はロステル氏に引っ張って貰って、空を滑空する。太陽の熱をほのかに帯びてきた風を受けながら、俺は彼と一緒に大地に着地する。


「兄さんは悪くない、兄さんは悪くない……」


 グリンツ氏は、先ほどいた場所に怯えてうずくまっていた。彼の周囲は未だ黒いよどみがぼこぼこと溢れていて、またいつあの花が現れるか分からない。丁度ミッドと腕にかすり傷を負ったクローディアも合流して、俺はよどみを踏まないように彼に近づいていく。


「あなたに……あなたに、何が分かるっていうんですか。最初から誰かの味方として生まれるrobotのくせに……!」


 彼は俺を見るなり立ち上がり、俺の胸倉をつかむ。紫の瞳の奥から、深い怨嗟を噴き上がらせながら、彼は怒鳴り続ける。


「誰も味方にならない恐怖が! 誰の味方にもなれない苦しみが! あなたたちrobotに分かるはずはないでしょう! わたしは兄さんの味方です! そして兄さんはわたしの味方なんです!!」


 俺が触れようとすると、彼は俺を突き飛ばした。回路に鋭い悲しみが駆け巡る。今までの対応から、彼には声どころか何も届かないことは分かっているはずなのに。彼が望まない以上、何もできないことも。まして、攻撃することなんて。


「あなたたちに、何が分かる……」


 彼は乱暴に銃を取ると立ち上がり、よどみを湧き上がらせながら、よろよろと立ち去ろうとする。


「どこへ行かれるのです?」

「どこだっていいでしょう」


 ミッドが声を掛けると、彼は逃げ出すように背を向ける。


「君はどこだっていいかもしれないがね、グリンツ。私はそうはいかないんだよ」


 少なくとも、俺は背後から聞こえたその声で凍り付いた。グリンツ氏も、肩を跳ねさせる。反応しなかったのは、ロステル氏ただ一人だ。

 百合と蝶の飾りがあしらわれた杖をつき、ヴァン氏が単身俺たちの前に現れたのだ。


「父、さん」


 グリンツ氏の顔が蒼白になる。黒いよどみが凍り付いたように動きを止める。耳に通信機器を引っかけたヴァン氏は険しい顔で彼を見据えている。


「君は功を焦るあまり、多数の死傷者を出した……分かっているのかね」

「……だって父さんが」

「失礼。ファニング氏、お久しぶりです」


 グリンツ氏が父を理由に言い訳をしようとするのを見て、ミッドがヴァン氏を制して呼びかける。


「逃がさないからね」

「……」


 ミッドが視線を外しても、クローディアがグリンツ氏に睨みを利かせていて、逃がすことはしない。

 ヴァン氏はほんの少し申し訳なさそうな顔をしながら、ミッドに振り返る。


「やあ、prototype。久しぶりだね。みっともないところを見せてしまった。休暇は楽しんでいるかい」

「そこそこに。マリア女史のことについては、今しばし秘匿して頂けると助かります」

「何か事情があるのかね。すまない、気を付けるとしよう。さて……グリンツを引き渡してくれないかな?」


 緊迫した空気が、ミッドとヴァン氏の間に流れる。


「この後、彼をどうなさるおつもりで?」

「確かに私はロステルを回収したいとは言ったがね。彼は指示も待たず、このありさまだ。家に連れ帰るつもりだよ」


 それを聞いたグリンツ氏がひっと喉を鳴らす。ミッドはそれを見逃さない。


「ひどく怯えているようですが、日ごろ彼の管理は誰に……?」

「処罰については彼の母――先代の『影』の長に任せている。私は事務的に、報告書などを見る立場でしかないが、おおよそ肉体や魔法の訓練と聞いているよ」


 ヴァン氏とグリンツ氏の間に横たわるもやもやとした違和感が、俺の周りを取り囲む。なぜ、彼はそんなに、父親を恐れているのだろうか。俺は先ほどの映像でもあまり出てこなかったヴァン氏について、思案のポーズをしながら考え、三人の様子を見守る。

 ちらと後ろを見れば、ロステル氏はムツアシにじゃれつかれている。彼(なのか彼女なのかは分からないが)に任せておけば、ロステル氏は大丈夫だろう。


「……ふむ」

「どうしたんだね?」


 ミッドの唸りに、ヴァン氏もグリンツ氏も不思議そうな顔をする。


「彼と接触しましたが、以前にお会いした時と対応がひどく違いましてね。robotを連呼するのはいかがなものかと」

「それはいただけないね……」


 ヴァン氏はミッドのことをある程度信頼しているようで、思ったよりもすんなりと話を聞いてくれている。


「ファニング氏、これから私たちは岸壁の港町に向かうつもりです。このまま主が見つからなければ、ムツアシもどうするか考えねばなりません」


 急に話題を振られたからか、ムツアシは「すん」と、どこからか空気を吸った。尻尾がぴんと伸び、心なしか毛並みが毛羽立っている気がする。


「大丈夫、取って食べたりしないよ」


 クローディアがグリンツ氏から目を離さないまま、ぽんぽんとムツアシの側面を軽く叩く。その様子に緊張感を失いそうになりながらも、俺は視線をヴァン氏とミッドに戻す。ミッドが咳払いの仕草をする。


「それならせっかくだし、乗せていってあげようか?」

「助かります。それと、一つだけお願いがあります」

「何だね?」


 ミッドが軽く拳を握っている。勇気の要ることを喋る気だと俺は悟る。彼はヴァン氏をまっすぐ見て、口を開く。


「港町到着後から数えて三日間、グリンツ氏の処遇について猶予を頂きたいのです」

「ほう……それはなぜだね」


 ヴァン氏が興味ありげな顔で、薄く微笑む。グリンツ氏は思わぬ提案だったのか、目を丸くしている。ミッドは小さく頷く。


「港町の郊外に、アンドロイド専門の医者がいることはご存知ですか?」

「知っているとも。Mid_Bird-008……Volkerceヴォルカース君と言えば、君たち兄弟の頼みの綱だからね」


 俺はその番号を聞いて、はっとする。俺の壊れた目を取り換えたという相手の番号だからだ。


「三日間、私は彼の療養所で、グリンツ氏と一緒に過ごしてみたいのです。もし、ロステル氏をさらおうとしたり、私の妹や弟を害して逃亡しようとした場合、即引き渡します」

「ふむ……こちらのメリットは?」

「彼の衝動的な反応を抑えることができるかもしれませんし、その理由を把握できるかもしれません。三日ですから、成果は微量かもしれませんが」


 ヴァン氏は考え込む。


「彼には自立以前に、精神の不調を整えて貰う必要があります。いわば、休暇ですね。しかし、職場では休めませんでしょう」


 ミッドがファニング家のことを、自宅ではなく、職場と言ったことで、俺はもやもやの正体に気が付いた。


(そうか、もしかして。グリンツさんも、ロステルさんも、怖がっているものは同じ……)


 グリンツ氏としても、ロステル氏としても、あの家は安らげる場所ではないのだ。それはそうだ、あのような恐ろしいことが起こった場所で、穏やかに過ごせるとは思いにくい。

 俺は機械の街の友人を思い返す。おいしそうに、ローストチキンサンドを食べていたクラクのことだ。たぶん、食事というのは、俺が思っている以上に大事なことだ。その大事なことをする場所で、あんな恐ろしい事件が起こったのだ。


(怖いのは、『家』そのものなのか)


 そうだとしたら、とても悲しいことだと俺は思った。それは帰る場所がないことと同じことだ。安心してただいまが言えないことは、きっと心細いことだ。エンゼルランプの咲く庭で水をやっていたミッドの事を、俺は思い起こす。

 おそらくヴァン氏は仕事の手腕こそ敏腕だろうが、言動を見るに家庭のことは顧みないだろう。グリンツ氏の母も、ロステル氏の母も、そしておそらく最後に見た別の子の母も、互いを憎み合っていた。それはおそらく、子どもにとって安心できる場所ではないのだ。まして、跡取り戦争でそんな恐ろしい家の長になるとくれば。


 このまま家を出た方が良いのではないかという言葉は、すんでのところで飲み込んだ。俺の言葉を写し取らないかと、一瞬ひやりとしてロステル氏を見たが、反応する気配がなく内心俺は冷や汗を拭う。彼だって本来は軟禁の立場だという。事態は、そう簡単なことではないのだろう。

 俺が思うよりずっと、ファニング家というところは複雑で、恐ろしくて、しかし離れがたい場所なのかもしれないと、俺は漠然と感じた。


「分かった。では三日間、グリンツのホームステイといこうじゃないか。お手並み拝見といくよ、Mid_Bird-prototype」


 そうこうしているうちに、ヴァン氏とミッドの取引は終わったようだった。


「お任せください。ああ、ついでにムツアシの主についての調査をお願いします」

「人使いが荒いねえ。マリアそっくりだよ」


 惨状を知ってなおくつくつと笑うことのできるヴァン氏に底知れぬものを感じて、俺は軽く身震いをする。

 ヴァン氏は杖をつき、グリンツ氏に向き直る。


「そういうことだ。決して、私の旧い友人に失礼のないようにね。乗合馬車のところで待っているよ」

「……はい」

「では準備ができたら教えておくれ。街まで送ってあげよう」


 うなだれるグリンツ氏とゆっくりと歩み去ろうとするヴァン氏を見比べて、親子、という単語がどうして出てくるだろうか。

 このファニング家の引き起こした惨劇による被害は計り知れない。特に主要因と思われるグリンツ氏は、ただで済んではいけない、ということになるだろう。ロステル氏は、未だ夢のさなかにいるような状態で、いつ魔物を求めて飛び去るかも分からない。だが、この恐ろしい話は、夜を超えて徐々に収束しようとしている。


(彼らも、どこかで落ち着くことはできるのだろうか)


 俺は小さくなるヴァン氏のコートの背中を、しばらく眺めていた。

 彼らにとって、家族とは何だろう、と思いながら。


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