機械種と地球移民の街1
おずおずと、俺は外に一歩踏み出す。丁寧に手入れされた庭には、いくつかの花が咲いている。色とりどりに咲いたそれが、エンゼルランプやジニアの花だと分かるのは、俺の記憶にそれがあったからだろうか。ブリキのじょうろや小さなクワを置いた棚の横を通り、家と通りの境へと俺は歩いていく。ミッドの家は、周囲の建造物と比較すると、アンティークの雰囲気を漂わせ、こぢんまりとしていた。
家から外に出ると、そこはパイプラインと歯車、赤錆びた金属でできた機械の世界だった。あちこちで室外機が俺を威嚇するようにごうごう唸っている。
(これは、人間が作ったものかな? でも、こんな歯車が剥き出しなのは、変じゃないか?)
アンドロイドは人間が作るという大前提は、俺のあいまいな記憶からしても間違いがない。舗装された道を不安になりながら進むと、ところどころの看板が目についた。いわく「よりよく正しい文化を広げましょう」「アンドロイドとガイノイドには優しくしましょう」「地球移民産マシンの保護申請は中央区まで」――なんだか、四角四面の文字が威圧的で、俺は縮こまりそうになってしまう。
俺は、空を仰ぐ。強化硝子と金属フレームに遮断された空。太陽は昇り、白く輝いている。視線を見通しのいいところでまっすぐ先に向ければ、この居住空間と思しき場所は、ドーム状に展開されていることがわかる。外は方角によって、森や草原、荒れ地に繋がっているようだ。逆に内側に目を向ければ、真ん中に飛び抜けて高い建物がある。
俺はしばらく迷ってから、中央にそびえたつ建造物に向けて歩き出すことにした。あちこちから様々な角度で鉄塔とケーブルが生えた建物は、まるでこの都市を代表するかのようだ。街のどこからでも見えるだろう。看板にあった中央区ではないかと、俺は予想を付ける。
(中央区っていうぐらいだから、そこでいろいろ管理しているのかな)
勝手な想像を巡らせながら街の大通りを歩くと、様々なものとすれ違った。自分と似たような姿の人型機械はもちろん、四足歩行の大柄な銀の箱や、浮遊する球体。かと思えば、ぼろのマントを羽織った旅人や、杖や剣を持って何か話し合う、羽やら鱗やら生えた人々までいる。
いまひとつここの文化を掴めないでいる俺に、小さな悲鳴と一緒に何かがぶつかった。
「あっ、すみません」
自分の声が通信でしかないこともすっかり忘れて、俺はとっさに謝った。視線を少し下にやると、綺麗な長いプラチナの髪が見えた。髪の下にある、大きな青緑のカメラアイにも、すぐ気づく。人間の少女によく似せて作られているが、俺と同じ、機械だ。
「こちらこそ、ごめんなさい!」
少女の姿をした機械は、俺の横を通り過ぎて、慌てて走り去っていった。彼女の肩から下げたモノクロの縞猫のポーチが揺れている。何だったか、人間の古典であんな青いエプロンドレスを付けた少女の話があったようなと、あいまいなデータを辿りながら、俺はぽかんとして彼女を見送った。
そうしているうちにも雑踏は立ち止まった俺を置き去りにして行き交う。はっとして、俺は再び目的地に向けて歩き出そうとする。だが、スニーカーの爪先にこつんと何かが当たる。俺は何気なく、しゃがんで、爪先に当たったものを拾い上げてみる。
それは掌に収まるほどの、一枚の四角い硝子の板だった。指で縁を挟んで空にかざしてみるものの、傷一つないように見える。これだけの人が行き交っているのだから、もっと砂で傷だらけになっていてもおかしくはないはずなのに、硝子は驚くほど澄んでいる。
(さっきの子の落とし物かな)
ずっと前から落ちていたというよりも、その方が、まだ道理が通るような気がした。これ以上傷がついてはいけないと、俺は硝子の板をカッターシャツの胸ポケットに入れて、一旦中央にそびえたつ建物に背を向ける。
「ま、待って! せめてお話だけでも!」
が、俺が一歩踏み出す前に、さらに雑踏から飛び出してくる影が視界の隅に映る。少女が走ってきた方角からだ。さっきの少女よりも大きい。俺よりも大きい。胸筋と灰色のビジネススーツ、そして目立つ赤いネクタイしか見えない。巨躯とまでは言わないが、相当に大柄だ。
「う、うわあっ!」
(うわっ、何! すごいでっかい、人――)
有無を言わさず俺とその影は衝突する。俺は尻もちをつき、背中をしたたかに打った。その上に重い筋肉の身体が圧し掛かる。重い。痛い。俺は雑踏のど真ん中で、足をばたつかせて何とか覆いかぶさる巨体を退けようと足掻く。
「ご、ごめんよ! 怪我はないかい!」
そのうちに、俺を押し潰していた巨体の主が声を掛けてきた。見た目の圧と比べると、かなり爽やかな男性の声だ。ひっくり返ったままの俺は、どうにかその顔を認識する。柔和そうな、空色の目が印象的な男性だ。短い金髪に白髪が少し混じっている。年は三十を超えて、多く見積もっても五十までは行っていないだろうといった顔だ。ほんの少しうだつが上がらない雰囲気が漂っている。端正というよりは、人好きのしそうな、愛嬌のある顔立ちだ。彼が手を差し出すのを見て、俺はその手を取って、どうにか起き上がった。俺たちは二人して、よろよろと雑踏の横に移動する。
(あ、ああ。大丈夫)
「君、声が……。ひょ、ひょっとして今ので壊れてしまったのかい、だとしたら大変だ!」
(まずい。通信は人間には通じないよなあ)
「ん? 君は、もしかして」
必死に首を横に振ることで、俺は無事であることを主張した。すると男は、俺の顔をじろじろと眺めはじめる。そうして、自分の右の拳を上に向けた左の掌に打つ。
「君、みっちゃんの家の子だね? 良かった、目を覚ましたんだね。ああ、みっちゃんというのは、あの小さな家に住む、礼服を着た青い目のアンドロイドだよ。ミッドでみっちゃんね」
言葉もなく戸惑う俺を見て、彼は早口気味にそう言った。俺が元気なことを、とても喜んでいる風だ。かと思えば、彼は俺に顔をぐっと近付けてくる。
「と、それよりもだ。君、女の子を見なかったかい。とてもきれいなプラチナの髪で、青いエプロンドレスを着た機械の女の子さ」
はっとして、俺はもう一度、少女が走り去った方角を見た。当然、すでに少女はいない。そちらに指を差すものの、さすがに今からは追いつけないだろう。俺はがっくりと肩を落とす。
男はしばらく、ひげのない顎を親指と人差し指で挟むように撫でていたが、諦めがついたのか肩を落とした。
「まあいいさ、急ぎの用事じゃない。ところで君、この街を見るのは初めてかい」
俺は一度、首を縦に振った。このまま硝子板のことを彼に問おうとしたが、どうやら彼女と親しいわけではないらしいと察して、沈黙を守ることにした。俺は、都市の真ん中にある大きな建造物を指差した。彼は「ああ」と声を上げる。
「あれはこの街の中枢、鉄塔図書館だよ。なんなら、そこまで案内しようか?」
右も左も分からない俺にとっては、渡りに船だ。でも、素性の分からない彼に本当についていっていいのだろうか。けれど、少女の手がかりはなく、代わりの案も見つからない。俺はさっきよりずっと長い時間考えて、最終的には頷いた。
男は嬉しそうに、人懐こそうな笑みを見せた。
「僕はクラク。機械種の街に住んでいる、しがない地球移民だよ」
その笑顔というのは、どうにも回路やこころを絆すものであるようだった。
ただ、彼の言う地球移民という言葉に、聞き覚えがない。地球移民という響きに俺が首を捻ると、クラクは片手を腰に手を当て、再び顎を撫でる。
「地球移民というのはね、資源とか新しい世界とかを探して宇宙を漕ぐ船でやってきた、猿の一種を起点とする一族でね」
(宇宙を漕ぐ船ってことは、ここは地球じゃないのかな)
地球移民という言葉から推測すれば、ここが地球でないということになる。俺は首を傾げて、ひとまずはクラクが答えてくれそうな範囲の話を聞くことにした。
クラクはいろんなことを話してくれた。例えば、ここは地球ではないこと。地球以外のいろんな者がここにいるから、『この世界』の呼称が未だ定まっていないこと、地球のように月と太陽があり、便宜上そう呼んでいること、そして、ここが海の見えない内陸部の都市だということだ。だ。だが、どれもデータの欠損した俺にとってはぴんとこない話ばかりだった。それでも彼が今の情報源であることは確かだ。俺はひとつひとつ彼の言うことを覚えながら、隣を歩いていく。
「――というわけで、地球移民と彼らが作った君たちアンドロイド(男性型)とガイノイド(女性型)。あとは、僕らのように別の星から来た、まったく別の機械種族の三種類が、この街の大多数を占めているんだ。ここは機械の街。機械種族の都だよ」
機械の街。そんなシンプルな名前が、この街の名前らしかった。
大通りはまっすぐ続いていた。街の中央に近づくにつれて、浮遊する監視カメラや、巡回するドローンを目にする機会が多くなってくる。ものものしい武装をした見慣れない姿も、同じように増えている。逆に、目に見えて一般人と思しき通行人の姿は少なくなっていく。ぴりぴりと張り詰めた空気が、俺の顔に残った人工皮膚のセンサーを逆なでする。
「この街は、少し取り込み中でね。なに、暴れたりしなければ問題ないさ。はぐれないようにね」
クラクは俺が喋れないことを特に気にしていない様子で、横切るドローンを一瞥して肩をすくめた。俺と防災用の斧を持った警備員がすれ違う。
「僕は今、街で起きている事件について追っている者でね。君はNeuromancerという存在を知っているかい?」
(ニューロマンサー?)
聞きなれない単語に、俺は首を傾げる。
「そっか、知らないか。今、巷を騒がせている地球移民産のアンドロイドさ。遠い街で未曽有の大停電を引き起こした後、行方知れずになったはずの、ね」
クラクは眉を下げて、うなりながら硝子に遮られた空を見上げた。
「それがこの街に紛れ込んでいる。壊れたアンドロイドやガイノイドの頭部を損壊しては、その中にある記憶装置を持ち去っているっていうんだよ。もうどこもかしこもそれで持ち切りだ」
(えっ、何だそれ。物騒だな)
街を覆うフレームの作る細い影が、俺たちの影をよぎる。不穏な話に、俺は眉をひそめた。恐ろしい話だった。人間に例えれば、死体の頭を割って脳を持ち去るようなものではないのか。正気で行えることではない。
「Neuromancer本人はもちろん、記憶装置も見つかっていない。というわけで、街はパトロール強化中というわけさ」
(なるほどなあ。俺、まだこの街のこと全然知らないけど、なんだか落ち着かないな)
返事が来るわけはないが、無言でいることもできなくて、俺は一方通行の通信を投げる。空飛ぶ監視カメラと目が合って、理由もないのに緊張する。
「そうだ。図書館の内部に入ったら、いろいろ電子書籍を読んでみるといいんじゃないかな。ニュースも外も滅入るものばかりだからね。気分転換になると思うよ」
不安がる俺の内心を見越してか、クラクは人差し指を立てて陽気に言った。
「君がみっちゃんのように、本を読むのが好きなアンドロイドなら、ね」
素直に俺は彼の助言に従おうと思った。俺のデータはひどく欠損していて、何をしようにも知識不足がつきまとうからだ。俺は頷いて、彼に笑いかけてみる。明るい笑顔が返ってくる。
「うんうん、ガイノイドはもちろんだけど、アンドロイドもやっぱり笑っている方がいいよ。さて、到着! ここが機械の街の中枢、鉄塔図書館だ!」
言われて俺はいつの間にか目の前まで迫った、巨大な建造物を見上げた。
鈍色にコーティングされた金属のところどころに赤い錆が見える。四方に這うパイプに、つぎはぎのタイル。街を覆う硝子の向こうまであべこべに伸びた鉄塔と、それを繋ぐケーブルや電線。改めて間近で見たその姿はまるで、歪なサーカスの天幕のようだった。
「じゃあ、僕はこれで。後でみっちゃんの家に寄るって伝えてくれるかな?」
(分かった。遠くに通信はできないみたいだけど、本を読み終わったら帰って伝えるよ。ありがとう)
伝わらないと分かっていても通信を送る。俺は軽く手を挙げて、歩き出すクラクを見送る。
彼は急ぎの用事でないと言っていたが、やはりあの少女を探しにいくのだろうか。俺は硝子板の入ったポケットに手をやって、遠ざかるスーツの背中を見ていることしかできなかった。
:新規登場人物:
クラク 体格のいい地球移民の男性。愛想がよく、ミッドとは知人の関係である。