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プロローグ:宿場街A-3

 銀色の運賃箱に貨幣を入れると、乗合馬車の自動ドアが開いた。空では太陽が西に傾いている。森林が近い地域特有の、涼しく心地よい空気がセンサーを撫でる。俺はゆっくりと、地面にスニーカーの靴底をつける。半分人工皮膚が剥がれた俺の顔の右側に、太陽の熱がほのかに宿る。左腕に巻いた紺色のネクタイが、そよ風に揺れる。


「ミッド、今日はこの宿場町で休むのか?」


 俺は振り返って、トランク片手に馬車から降りて来る旅の道連れを見る。黒い髪に礼服姿。生気のない青い目の下には、いつも通り隈がある。


「ええ。カプセルが開いているといいのですがね。ともあれ、酒場で受付をしましょうか、ドウツキ」


 彼は俺の名前を呼ぶ。俺は頷いて、一緒に古びた木造建築の建物に近づいていく。

 ここはかつて騒動があった機械の街から、およそ数日の間、乗合馬車を乗り継いで移動した先にある『宿場町A-3』だ。目的地の人間たちの拠点である『岸壁の港町』までは、あと二つの宿場町を経由する必要があるが、今日の旅はここまでだ。

 馬車からは俺たちのような旅人や旅行者たちがまばらに降りてくるが、同族の気配はない。


(それはまあ、外は危ないからいないのが普通、か?)


 俺たちはアンドロイドだ。アンドロイドとは、機械種とは別に、人間に作られた機械を指す呼称だ。今となってはこの『名称のない世界』の各地に点在し、人間の辿ってきた道をなぞりながら、職務に従事したり、自らの生活を謳歌していたりする。俺は自我が形成されて間もなくて、どちらともいえない。記憶もほとんどないから、何もかもが新鮮に見える。


「知らない生き物だ……」


 柔らかな毛に覆われた六本足の生き物が、手綱を外されて水を飲みに行く。のんきな蹄の音に、俺は首を傾ける。


「馬、じゃないよなあ」

「このあたりでは馬の代わりによく使われていますね。原生物の『ムツアシ』というそうで」


 好奇心の赴くまま、俺は邪魔しないようムツアシなる生命の様子を見に行く。丸い茶色のクッションに六本のテーブルの脚が生えたように見えるが、よく見ると太いコードのような尻尾も生えている。

 目はどこにあるか分からないが、水を飲んでいる口と思しき位置から考えて、なんとなくその上のあたりにあるのかな、というのは俺にも予測ができた。


「おっ。兄ちゃん、触ってもいいけど、後ろに入らないようにね」


 御者からの言葉を受けて、俺は頷き、おそるおそるムツアシに近づいて、触れてみることにした。毛は見た目よりもはるかに柔らかく、ふんわりと手を包む。センサーに触れるその温かさと柔らかさに、自然と俺の顔はほころぶ。


「宿場町に来る度、ちゃーんと洗ってますから、いい手触りでしょう。日が暮れる前に洗ってあげませんとねえ」


 俺は頷いて、笑顔を返すことしかできない。俺の声帯パーツはずっと前に壊れてしまったからだ。今、俺の声が届くのはミッドや、俺の仲間、あるいは通信機器を付けたいくばくかの人間に限られている。

 もう一度、俺がムツアシの脇腹を軽くぽんぽんと叩くと、御者も察してくれたのか、笑顔を返してくれた。俺にはそれがムツアシの毛並みより温かかった。


「ドウツキ、そろそろ」

「あ、うん。分かった」


 ほのかに石鹸の香りがしたムツアシと別れを告げ、俺はミッドの側に歩いていく。二人して、改めて宿屋の玄関へ向かう。

『走る椅子亭』と書かれた大きな看板を見つつ、木でできた両開きの扉を押すと、いかにも酒場といった酒とたばこの香りが嗅覚センサーをくすぐる。

 見渡せば、派手な衣服で楽器をかき鳴らす優男、カウンターで酒を酌み交わす帯剣した者たち、そして雑多に貼られた依頼の張り紙などなど、様々な情報が勢いよく入り込んでくる。一瞬で情報量に酔って、足取りが定まらない。


「親父さん、お久しぶりです」


 情報量についていけずふらふらしている俺の横を通り過ぎて、ミッドがカウンターの男に声を掛ける。もみあげの先まで黒い髭を生やしたオールバックの初老の男が、その礼服姿を見て目を軽く見開く。


「誰かと思ったら、ミッドじゃないか。そっちのは同族かい?」

「ええ、旅の連れです」

「お前が連れとは、明日は雨だな」


 親父さん、と呼ばれた男は明るく笑った後、自分の髭ともみあげのつながったところを指で撫でる。


「しかし困ったな、今日に限ってカプセルが一杯でなァ」

「繁盛していて良いことではないですか」

「ならもうちょっと笑ってくれんかね」


 俺がミッドの隣にたどり着いた頃、ミッドは丁度苦笑いを見て、自分の人差し指で自分の右頬をくいと上げているところだった。俺もそれを見て、親父さんと同じ笑いを浮かべる。


「愛想笑いは人間らしくて嫌?」

「それを嫌うのも人間らしいので」

「どっちも嫌か」


 軽く顔を覗き込んで俺が通信で問いかけると、ミッドは頬から指を離して肩をすくめる。俺の声は親父さんには届かない。彼は不思議そうな顔をしている。


「見ての通り、声帯パーツが故障して、通信しか使えないんです」

「なるほど、そりゃ連れがいるな……あいよ、ちょっと待ってな!」


 ミッドと親父さんの会話は、客の威勢のいい注文で遮られる。


「ってことで、他の宿を当たった方がいい。それでもダメなら、区画内でキャンプだな」

「分かりました。ありがとうございます」


 軽く一礼をし、ミッドは踵を返してカウンターから離れた。俺は彼についていって、邪魔にならないよう入り口の横で立ち止まる。


「さて、どうしましょうかね。エネルギーは賄えるとはいえ、野宿はできる限り避けたいところです」

「そもそも、この宿場町っていうのはどういうところなんだ?」


 宿場町なるエリアの全容が理解できていない俺は、ミッドに訊ねてみることにした。彼は頷いて、俺の方へ視線だけ向ける。俺は彼の目をしばらく見て、聴覚センサーだけそちらに集中させ、再び賑やかな酒場の方へ視線を移す。


「『宿場町』とは、大規模な都市の間に点在する、拠点のようなものです。見ての通り、武装した狩人や旅人たちの憩いの場でもあります」


 給仕が手馴れた様子で客のテーブルに様々な料理を並べている。俺はそれを食べることができないけれど、おいしい食べ物が人の大事なエネルギーになることは知っている。自然と俺は、機械の街で別れたローストチキンサンドが好きな、大柄な友人の事を思い返す。


「クラクもこういうとこにいたのかな」

「ええ、それなりに腕利きでしたよ」


 ミッドの無機質な、しかし何となく優しさが籠ったような不思議な声色に目を細め、俺は壁の方へ視線を移動させる。壁を覆わんばかりに貼られているのは、写真、絵画、様々な手法で記された異形の姿と、金額、そして署名が記された紙だ。俺はおっかなびっくり、一枚の張り紙に手を伸ばす。


「ああ、取らないように。その仕事を『引き受けた』というサインになりますから」


 ミッドの制止の声に、俺は慌てて手を引っ込める。そして、改めて絵や写真、そしてそれらに付随した名前を眺める。おとぎ話の名が連なる。


「ゴブリンに、オークに、ノッカーに、あっ、グレムリンもある。……ってことは、これみんな、夜に出てくるあの怪物なのか?」

「ええ。地球の言語から『魔物』という表現が使われていますね」


 どれもこれも、地球のおとぎ話の名を冠した異形の怪物たちだ。思い出されるのは機械の街の外にいた怪物で、そいつに肩を危うく解体されそうになったことだ。俺は軽く身を震わせる。肩にもう痛みはないが、あのまま引きちぎられていたらどうなっていたかと、かすかな恐怖がデータに残っている。


「これが、全部……」


 壁一面の張り紙。これだけの魔物が、今、この宿場町近辺に存在するのだ。考えるだけで、ぞっとする。


「ここに怪物は押し寄せて来ないのか?」

「一応は、魔物避け、と呼ばれる魔法的な建造物がありますね。囲ったエリアには魔物は入ってこない、とされていますし、実際入ってきません」


 ミッドが窓の方を指差したので、俺もつられてそちらを見た。俺は別の宿屋の後方に、何か薄い青に光る長い石の柱のようなものを見つけることができた。


「とはいえ、世界のほとんどは未だ魔物避けの外ですし、ここにしても物理的に遮る壁がほとんどありません」

「だからこそ、『夜は出歩くな』か……」


 前にミッドに言われたことだ。夜には外を出歩いてはいけない。なるほど、機械の街は強化硝子によって守られていたが、外ではあの光る柱がその代わりなのだ。なおのこと、夜は出歩くべきでないと理解する。


「なので、ドウツキ。今のうちに宿場町を見て回っておくとよいでしょう。どこに何があるか理解しておけば、万が一の時も対応しやすいでしょうから」

「そうだな、機械の街とは勝手が違いそうだし、そうしとく」

「ではその間に宿の手配をしておきます。この宿の看板下で待ち合わせしましょうか」


 俺は彼の提案に頷いて、玄関の扉の方へと向かった。ミッドも俺を見送る、はずだった。

 それを遮ったのは宿に入って来たブーツの音と、唐突な静寂だった。

 まず目に入ったのは裾の焼けた真っ赤なロングコートだった。次に目に入ったのは、煤にまみれながらも柔らかな色を見せる、束ねられた桃の髪。そして、こちらに向けられた隈のついた青い目の、その眼光の鋭さ。ミッドの目をくたびれたと表現するなら、彼の目は鬼気迫るといった言葉がよく似合う。彼の瞳に丸く灯る炎に、思わず身体が硬直する。

 その青年が身なりからして、どこか良いところの出であることは明白だった。タックのついた上品な黒いブラウスの胸元に、金細工で縁取られた大きな宝石のブローチが赤々と燃えている。深いカーキ色のズボンに機械仕掛けのブーツを履いた彼は、こちらへゆったりとした、しかし確固たる歩調で向かってくる。


「砲撃手……」

「砲撃手だ……」


 旅人たちの、恐れを交えたひそひそとした声が聴覚センサーに引っかかった。どうやら、この青年の事を指す言葉らしい。ミッドも知っているだろうかと俺がそちらを向くと、彼は今まで見たこともないほどに目を見開いていた。


「どうしてあなたがここに……」

「ミッド?」


 彼の問いに答えが返って来ることはなかった。彼はぎろりと張り紙を一瞥すると、無造作に数枚を引き剥がし、玄関の向こうへ歩き去ろうとする。


「ちょ、ちょっと、待ってくれ!」


 俺は彼に声が届かないのを分かっていながら、呼び止めようとする。ミッドの明らかな動揺の理由を知りたかったからだ。


「これを……破壊する……」


 だが、彼は止まらなかった。彼の発した暗い気配を孕む声に体が怯む。玄関を出た彼は、俺の目の前でコートを巻き込み、背中を変異させる。現れたのは戦闘機のような、はがねの翼だ。

 彼は翼から青白い炎をはばたかせて、夕暮れの空を飛んでいく。俺はあっけに取られて、あるいはその気迫に押され切って、彼を見送ることしかできない。

 青年は夕暮れの向こうに行ってしまった。名乗る間もなく。

 一歩遅れて、ミッドが俺の隣まで歩いてきた。その視線は未だ青年の飛び去った夕暮れを捉えている。


「知り合い?」

「ええ。そのはずなのですが……妙ですね。彼がここにいるわけがないのに……それにあの格好は……?」


 ミッドの顔は苦々しく、険しい。だが、彼は首を横に振って、俺に顔を向ける。


「少し考える時間が欲しいです。ドウツキは先ほど言った通り、宿場町の構造の把握をしておいてください」

「それでいいなら、そうするけど……大丈夫か?」

「……ええ」


 やがてミッドは目を閉じて、息を吐く仕草をした。そして、顔を上げ、前に歩き出す。

 俺も最初の数歩はその後ろをついていったが、彼の歩調がしっかりしていることを確認して、方向を変えた。

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