エピローグ:そして空には星の海
次のニュースです。謎にようやく真実が追い付きそうです。
研究都市に未曽有の大停電を発生させたとされるアンドロイドの脱走から、三十五日が経過しました。
調査団は一連の事件の報告書を中央区の鉄塔図書館に提出しました。
脱走していたMid_Bird-004『Neuromancer』の身柄は保護されましたが、著しいデータ損壊により追及は不可能と判断。
躯体に暴行の形跡があったことから、調査団団長、クラク・マクアリスターは該当施設を追及する姿勢です。
また、Neuromancerの名を騙って地球移民産アンドロイド及びガイノイドの記憶装置を奪っていた犯人は確保されました。
中央区は機械種の製造No.XXX-XXXX、イデアーレを『再処分』する方針です。
奪われた記憶装置は、それぞれの躯体、ないし遺族に返却されるということです。
◆
それから数日の間、俺は取り調べを受けたり、プログラムの調査をされたりした。
かすかなNeuromancerのデータの断片から暴行の記録が発見されたこともあって、クラクとミッドは報告書の処理に追われることになった。
俺自身はというと、しばらくの間、保護という名目で無機質な白い部屋でケーブルに繋がれ、寝たり起きたりを繰り返していたので、あまり詳細は覚えていない。
ただ、手や顔の人工皮膚と眼球を元通りにするかどうか聞かれて、首を横に振ったことは覚えている。「俺の顔はこれなんだ」と、微睡む意識の中、そう答えたことと一緒に。
そして待ちに待った今日、街のとあるホールでミッドは聴衆を相手に歌っていた。星の海の果て、地球というところから人間が持ってきた、愛の詩という歌曲だ。本来は歌詞がないが、宇宙を渡るうちについたらしい。
肩の治療を終えた俺は、子どもたちと四人で特等席に座って、彼の声を聴いていた。伸びやかなテノールが、ホールいっぱいに満ち満ちていた。
結果は拍手喝采だった。彼は優雅な一礼をもって、舞台からベルベットの幕の向こうへと立ち去る。演目が終わった後、余韻に浸る人もいたし、やはり人間そっくりだという評価を下す人もいた。俺と子どもたちは圧倒されて、しばらく喋れずにいた。日頃の声量と明らかに違うのだ。技巧を凝らし、感情を込め、身体全てを使って歌う――彼が歌に費やした努力は並大抵のものでないことは、容易に見て取れた。
(そりゃ、これだけの歌を人間みたいだってだけ言われていたら嫌になるよな)
俺は彼の感情に納得しながら、子どもたちと玄関口を抜ける。晴れた空が回路に心地よい。やっと開きっぱなしの口に気づいて、俺は口を閉める。
「どうだった?」
「すごかった。あの声なら地球やあたしたちの故郷まで届きそう」
「ビル壊せそうだよな!」
「うん、かっこよかった!」
ホールの外に出て、俺が通信を出すと、笑顔になった少女がしきりに頷く。赤毛の少年も、銀髪の少年も、興奮気味に拳を握っている。俺はその光景を何だか温かい気持ちで見ていたが、ふと思い出してスニーカーと同じ色の真新しいウエストポーチから、借りていたペンライトを取り出す。そしてそれを、少女に差し出す。
「そうだ、これ。助けてくれて、ありがとう」
「あっ、ありがとう、お兄さん。役に立った?」
「もちろん。こちらこそありがとう」
彼女は俺からペンライトを受け取って、しばらく考える素振りを見せた。そして、俺にペンライトを差し出した。
「やっぱり、あげる。大事にして」
「えっ、いいのか?」
「う、うん……」
彼女はもじもじとしながら赤毛の少年の後ろに隠れてしまった。赤毛の少年は腕を組んで、俺を睨んでいる。心なしか銀髪の少年もちょっと俺を睨んでいる気がする。俺は彼らへ引きつり気味に笑みを返しながら、目的の人物が来るのを待つ。
やがて、目的の人物――ミッドが、トランク片手に裏手から現れる。彼は呆れた顔をして、鼻水と涙でぐちゃぐちゃのクラクを引きずっている。
「やーだー、やっぱり残ってよー、みっちゃーん」
「お断りします。それと常々申し上げておりますが、私はミッドバードです。みっちゃんではありません」
その様子を見て、俺は肩をすくめ、子どもたちと向き合う。子どもたちも、それぞれに笑っている。
「あはは……それじゃあ、俺は行くよ」
「気を付けて行けよ!」
「じゃあね、お兄さん」
「また鉄塔図書館に遊びに来てね。『先生』も、きっと元気になるから! 死んだり、しないから!」
俺は修理を受けている『先生』のところへ向かう子どもたちに別れを告げ、クラクに白いハンカチを押し付ける彼へと近づいていく。控えめに手を挙げると、ミッドはクラクから手を離す。クラクはおいおい泣いていて、話ができそうにない。
「お待たせしました」
「お疲れ様。かっこよかった」
「ありがとうございます」
短くやり取りをして、俺たちは二人でクラクに向き直る。顔を見合わせて、肩をすくめたり、ため息をついたりして、彼が泣き止むのを待つ。
「ドウツキ君もいいのかい、本当に『外』に出て。通信が通じない人もいっぱいいるよ?」
ぐすぐすと鼻を鳴らすクラクに、俺は小さく頷いた。
俺はミッドと一緒に旅に出ることにした。
確かに、この街は俺たちを理不尽ながら手厚く守ってくれるだろう。ミッドの家に残ることも考えた。だが、俺の背中を最後に押したのは、前に聞いたクラクの何気ない言葉だった。
「『外は君の知らない素敵なファンタジーで溢れてる』。そうだろ?」
俺の言葉を聞いたクラクは言語として認識できない声を上げながら、ハンカチで目を覆う。そしてしばらく呼吸が整うまでそのままでいたが、やっと立ち上がる。
「そうだね、そういうのを見るのは君にとっても必要なことなんだろう。寂しいけど」
目を赤く腫らしながら、彼は笑おう、としたが、どうにもうまく行かずまた声をあげて泣き始める。ここまで激しい感情をぶつけられると俺もどうしていいか分からない。クラクの背中をさすりながら、ミッドの方を向く。
「ああー、ミッド」
「何でしょう?」
「人間らしいって評価が嫌だったんだろう。なんで歌うことにしたんだ?」
ミッドは指先を口元に添えて、ゆっくり考えてから言葉を出す。
「旅費稼ぎ……というのは、少々ナンセンスな回答ですね。私は人間として扱われることを嫌い、努めて機械であろうとしますが、人間に酷似した感情を捨てることができません。感情もまた、私を構成する一つであるために」
小難しい言い回しをして、彼は右の人差し指でくいと頬を持ち上げる。
「これはイデアーレへの手向けです、ドウツキ。私たちは決して、弱く、守られるばかりの存在でないと示したかったんですよ」
「つまり弱いって言われたのが癪だったんでしょ?」
「ええ。とても」
「だよねー。みっちゃん負けず嫌いだもん」
にやけたクラクの割り込みに、ミッドは笑顔を見せるのを止めて真剣に肯定した。どうやら彼は俺が思っているより強い感情を秘めているらしい。そう、俺は俺のことも知りたいが、外のことも知りたいのだ。それは、街の外に広がるファンタジーだけでなく、旅の道連れになるミッドのことも含んでいる。俺はまだ彼の事を知らない。俺は、俺より外側のことを、ほとんど知らない。
「それで、どっちに向かうんだい?」
「宿場町を経由して、東にある岸壁の港町へ向かうつもりです」
「となると、人間の本拠地か。なら大丈夫だと思うけど……気を付けて」
「ええ、あなたも。ハンカチは今度、洗って返してください」
クラクはべたべたに濡れたハンカチをしまい、自分のあごを撫でながらミッドと行き先のやり取りをする。そろそろ時間だ。俺は彼から離れて、ミッドの隣に並ぶ。三人でホールの敷地を抜ける。
そして、分かれ道で、クラクは北へ、俺たちは東へ一歩踏み出す。
「それじゃ、君が旅立ったことは僕から報告しておくね。こんな偉そうな肩書も降ろしたいし」
「お願いします。あなたもあまり危険なことに首を突っ込まないようにしてください」
「みっちゃんもね。君の荷物の中のカンテラが、君の行き先を照らしますように」
『外』の祈りの言葉だよ、なんて茶化しながら、クラクは片目を閉じる。肩をすくめるミッドから、彼は俺の方へと視線を移す。
「ドウツキ君も、またね。みっちゃんのこと、頼んだよ」
頷き一つだけを返して、俺は軽く手を挙げた。クラクも胸の前でひらひらと掌を横に振る。まるで日帰りでどこかにいくような、不思議な気軽さを覚える。
ミッドと俺は大通りを東へと歩きはじめる。雑踏の密度は相変わらず濃くて、トランクを持ったミッドからはぐれてしまいそうだ。
「ドウツキ、荷物はそれだけでよかったのですか?」
「あんまり思いつかなかくて。だからこれでいい」
俺はステッチの入ったウエストポーチを軽く撫でる。俺のものなんて、ほとんどない。けれど、左腕に巻いたネクタイがあれば十分だ。それでもそのうち、ミッドのようにトランクを携えるようになるのだろうかなどと、夢を膨らませる。外は恐ろしいところだという。だけれども、楽しいところだともいう。
(外はどんなところなんだろう?)
こうした気持ちがまだうまく体で表現できなくて、回路の中だけでそわそわしてしまう。何か話題を探したくて仕方ない。
「なあ、ミッド……」
ミッドに俺は話しかけようとした。
そんな俺のすぐ横を、プラチナの髪がすれ違った。
水色のエプロンドレスの少女は、俺にぶつかることなく歩いていった。猫のポーチは相変わらず笑っていたように思う。
「どうかなさいましたか?」
振り返るか否か、俺は一瞬だけ悩んだ。だが、仮に今すれ違ったのが、あの理想の佳人だったとして、もう振り返ってはならない。『処分』を受けた彼女は、もう別の人なのだから。
「いや……なんでもない」
震える通信でそうミッドに答えた俺は、泣いているような笑っているような、変な顔をしているのだろう。回路に名付けがたいほろ苦さが駆け抜けていく。
だけれども、これでいいと思った。この傷は、痛みは、ちゃんとした俺のものだと、今は感じることができるのだから。
どうにか顔を上げて、俺は近づいてきたゲートを見る。街の東側の出入口はもうすぐそこだ。
「そうだ。ミッド、人間が海の音を聞くと、懐かしくなって耳が貝になるって本当?」
話題を切り替えようと、俺は覚えていたことを口にする。ミッドは軽く首を傾ける。
「貝に耳を当てるというのではなく? どこでそれを?」
「子どもたちが話してたんだ。何かの本なのか?」
「宿場町までは少しありますし、話しながら行きましょうか。乗合馬車に乗れば、夕暮れには今日の宿に着きますよ」
ゲートを出て、開発区に出た途端、空を覆う硝子とフレームは中途半端なかたちになる。腕に結わえたネクタイの端が、風に揺れる。
少しずつ、俺とミッドは街から離れていく。そのうち周囲から建造中の建物が消えていく。石畳ももうすぐ途切れる。東の街の果てが近い。あたりには人工物の代わりに、いくつものアイリスの花が咲いている。
俺たちは石畳の終わりで一度立ち止まる。名残惜しく、二人で街を振り返る。硝子でできたドームが、まあるく街を覆って輝いている。その姿はまるで、さかさまにした揺り籠のようだ。
はがねの揺り籠は、これからも過保護に、過干渉に、理不尽に。歪みながらも一定の慈しみをもって、街は機械も人間も、俺たちの仲間も包んでいこうとするのだろう。俺たちはもう、その揺り籠に守られることはない。
「行きましょうか、ドウツキ」
「うん。行こうか、ミッド」
名前を呼ばれて、俺はミッドの方へ視線を戻す。そして、二人してアイリスの咲く道を一歩踏み出す。
星の海が宿る空と俺たちを遮るものは、もうどこにもない。
第一章はこれで終了になります。以降、第二章に繋がります。