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雨上がりには銅の月3

(……?)


 いつまで経っても痛みが来ないことに気づいたのは、それから何秒も経った後だ。俺はおそるおそる目を開ける。

 黒焦げになったグレムリンが、俺に乗っかったまま口から煙を吐いていた。それは先の鋼材のように体を傾がせると、末端から灰色の砂になって、風に吹かれてあとかたもなく消え去った。

 イデアーレがはっとして、開発区の方を振り向く。


「夜に開発区や外を出歩かないように……」


 落ち着いた声と共に、革靴の足音が聞こえる。分厚い書物を片手にしたシルエットが見える。書物から伸びたケーブルと自分を繋いでいる。それが時折、見慣れぬ青紫の火花を散らしながら、俺とイデアーレに近づいてくる。


「確かにそう申し上げたはずですが」


 隈のついた死んだ目が、一層冷たさを帯びている。黒い礼服に爆ぜる青紫の光を纏わせながら、彼は凛とそこにあった。


「ミッド……!」


 通信でなら普通に呼べるかと思ったが、俺はなんだか泣きそうなノイズを混じらせて、彼の名を呼んでしまった。


「ご無事で何よりです、ドウツキ」


 ミッドは俺を詰ることをしなかった。ただ俺に無事でよかったと言って、無表情のままイデアーレに向き直る。俺はなんとか身を起こして、きりきりと痛む右の肩を押さえる。痛みはあるが、動かないほどのダメージは入っていないようだった。

 イデアーレは、斧を後ろ手に回してミッドの方に向き直る。俺から彼女の表情は見えなくなる。


「こんばんは、ミッド。お迎え?」

「ええ。あなたの正体が突き止められましたので、取り急ぎ」


 俺が立ち上がったとほぼ同時に、新たなグレムリンが舞い降りてきた。俺は一直線にミッドの方へ向かおうとする。だが、ゆるりと振られたイデアーレの斧がそれを邪魔する。動き自体は非常にゆっくりしたものだったのに、そこに宿った救済という名の殺気が俺を震え上がらせる。ミッドは分厚い書物を片手に、右手の親指と人差し指と中指を、グレムリンに向けている。その指先に、静電気が爆ぜるような音と青紫の光が宿る。くたびれた青い瞳が怜悧に輝いている。

 ミッドの意味深な言葉に、イデアーレは首を傾げる。


「わたしの正体って何かしら。わたしはずっとわたしよ」

「ええ、その通り。あなたはあなたです。過去のあなたのことはあなたの罪として問われません」


 俺はその話を聞きながらペンライトを取り出し、慎重にイデアーレの殺気を潜り抜ける隙を狙う。この間にもじりじりと、グレムリンは俺たちに近づいてきている。数が増えれば増えるほど、武器を持つだの持たないだの、そんなことは気にしなくなっていくのだろう。

 そしてついに、ミッドに向けて一匹のグレムリンが飛び掛かった。だが、イデアーレから視線を逸らすことなくミッドは指先をそちらに向ける。指に光が収束し、閃光と共に雷が射出される。飛び掛かったグレムリンは電撃に包まれたかと思うと、先の個体と同じように砂になって消える。他のグレムリンはその光の強さにたじろぐ。


「ですが事実は覆りません。あなたの知能は前の月食あたりに、不慮の事故ながら殺人という大罪を犯し『処分』を受けました。そのデータが残存している可能性があるとして、あなたを回収するよう指示が出たのです」


 そこまで言い切ると、ミッドはため息をつく。


「それってもしかして」


 思わず通信を発した俺に、ミッドは一度頷く。


「はい。彼女の『処分』前の姿は、ある研究施設で勤務していた警備システムです。トールを誤射し、被験者も逃がしてしまった、第三の被害者です」


 彼はグレムリンに向けていた雷の宿る指先を、今度はイデアーレに向ける。俺は今のミッドの言葉をにわかに信じられずにいたが、確かに処分された後の機械種は性格や姿も調整されるという。

 もしも、もしも人間の頭が砕けたビジョンが、トールを撃ってしまった時の記録の残滓だとするならば。俺に会った気がするというのが、かつてのNeuromancerを見ていたということだったならば。それはあり得るのかもしれない。


「抵抗せず、鉄塔図書館で手続きをすれば、あなたは処分後すぐに出られるでしょう。大人しく私の弟を返してくださいませんか」

「嫌よ。それって、わたしが頑張ったこと、全部無駄になるってことだわ。せっかく星の海になれたあの人たちにもまた辛い思いをさせるんでしょう。おかしいのはあなたの方だわ、ミッド」


 その言葉を聞くと、今度はミッドは落胆した様子で首を横に振る。イデアーレの斧は、俺を牽制したまま微塵も動かない。俺は俺で、動こうにも動けない歯がゆさが募る。


「私がおかしいかどうかは二の次です。弟の代わりに、私はあなたに罪を突き付けにきただけなのですから」


 まるでグレムリンを聴衆とするかのように、ミッドは周囲を見回した。


「クラクを狙って消火器を落としましたね?」

「ええ。だって、憎らしいんだもの。うねうねとした脆い蛋白質で動いて、すぐに殖える彼らが、あんな綺麗なものと一緒にいるのを見て、嫉妬してしまったの」


 イデアーレは悪びれる様子もなく、地球移民への嫉妬を吐露した。やはりあれはイデアーレの仕業だったのだ。ミッドはあたりの害意に気を配りながら、頷く。


「もうひとつ。あなたは確かに努力したでしょう。だからこそ、なぜ今回の騒動の犯人がNeuromancerであるという噂を看過したのですか?」


 ミッドの指摘に、初めてイデアーレが俯いた。彼女の背中が、ほんの少し小さくなった。


「己のしていることが正しいと信じるなら、あなた自身が行っていると主張すればいい。しかし、あなたは名乗らなかった。あなたがやっていることは決して受け入れられないと分かっているから、黙認していたのでは?」

「……」


 イデアーレはしばらく黙っていた。彼女の頭の中から、ほんのかすかな演算の音が聞こえる。


「『処分』は免れませんが、自ら鉄塔図書館に出向けば、完全に内部まで作り替えられるということはないはずです。ですから――」


 ミッドがどうにか、説得で彼女を動かそうと試みている、まさにその時だった。


「そうね。言われてみれば、確かにそれは間違いだったわ」


 彼女が口を開いたのは、俺に向けて改めて斧を振るったと同時だった。ついに彼女が、俺たちに対し自ら手を下すという選択肢を取ったことを、俺は悟る。

 俺はとっさに迫った刃から飛び退り、よろける。しかしそこはグレムリンの集まっているところだ。俺のバランスと一緒に、全ての均衡が崩れる。ミッドがすかさず指を向け、魔術での射撃を行う。俺のアンテナをかすめ、紫電が走り抜けてグレムリンに絡みつき、砂に変える。

 その間にイデアーレがミッドに向けて、斧を振り上げる。驚くべき速さで、彼との間合いを詰める。斧が振り下ろされる。

 ミッドがわずかに目を見開く。彼は片足を軸にして身を捻り、イデアーレの正確無比な斧の一撃をすんでのところで回避する。俺は群がってくるグレムリンにペンライトの光を当てて、怯んだ隙に体制を整え、ミッドに向けて走り出す。俺の方のグレムリンを追い払うのに躍起で、ミッドは自分の背後にあの真っ黒な尻尾が迫っていることに気づいていない。


「そうね、間違い。でも脱走したNeuromancerの噂は良い隠れ蓑になったのは本当よ。彼がいなければ、わたしはこうして人助けができなかったもの。彼には感謝しなくちゃ。縁があるならなおのこと!」


 イデアーレが返す刃でミッドの腹から胸まで引き裂こうとする。グレムリンの尻尾がミッドの首に絡みつく。俺は足元の石を投げつけて、その個体の気を引く。グレムリンがこちらに意識を向ける。なにもない銀の瞳が俺を見る。尻尾がミッドを解放して、俺を狙い直す。その隙に、彼は俺の予想通り魔術を行使して、電撃でグレムリンを仕留める。


「彼に感謝して、明日からわたし、もっと頑張るわ」


 当然、イデアーレにもグレムリンは飛び掛かった。だが、彼女は斧を振り上げ、何のためらいもなく頭からグレムリンを砕き潰した。グレムリンの顔は中心からくぼみ、爆ぜて、灰色の砂をまき散らす。その凄惨さに、周囲の時が止まったような錯覚を受ける。

 グレムリンの羽ばたきも、ミッドの電撃も、風も、そして俺も、美しくも恐ろしい彼女を前に息を呑み、停止する。


「だって世界はこんなに理不尽な傷でいっぱいなんだもの!」


 暗く銅に燃える月と灰の砂塵を背に、プラチナの髪をなびかせ、イデアーレは斧を携えて恍惚の笑みを見せる。それが彼女がもう帰ってこない場所にいるということを、何度でも俺に叩きつける。


「……あなたに明日はありません」


 説得を諦めたミッドの言葉と共に、時間が再び動き出す。群がる黒いグレムリンの手や尾を振り払い、俺は銀のかかとを鳴らす。踏み込んだ身体が加速する。そのまま一直線にミッドへ向けて走る。


「ミッド!」


 俺は振り絞るように通信で彼の名前を呼びながら、人工皮膚の剥がれた手を伸ばす。ミッドも俺に気づいて、手を伸ばす。俺は、ミッドの白手袋に包まれた手を掴む。勢いが付きすぎて、彼ごと倒れそうになるが、彼が踏みとどまって俺を受け止めてくれる。俺は彼と背中合わせになりながら、言いそびれていたことを、最初に通信に乗せて送る。


「勝手に飛び出してごめん」

「いえ、良いのです。ただ……」

「ただ?」

「本を頼りに私を訊ねてきた勇敢な子どもたちに、今度お礼を言っておいてください」


 彼は表情こそ変わらなかったが穏やかな声色で、俺にそう言った。あの子たちは、あの後、俺のために動いてくれたというのだ。そのありがたみが、俺の回路を温かくする。


「クラク、ドウツキは保護しました! 今です!」


 その後、彼はどこまでも届くようなはっきりした声で、どこかに合図をする。瞬間、俺とミッドが、どこからか光に照らされる。巨大なスポットライトを、誰かが操作している。光の帯でグレムリンたちを薙ぎ払い、追い払う。そして、最後に灰色の砂の中央に立つ少女を照らす。どこからともなくスピーカーから大音量の声が轟く。聞き覚えのある声だ。クラクのよく通る声だ。


「イデアーレ。君は包囲されている。大人しく鉄塔図書館に向かいなさい」


 イデアーレはそれを聞いて、しばらく妬ましげに光の先を睨んでいたが、観念したように目を閉じる。斧を落とし、両手を挙げる。


「そう、やっぱり理不尽だわ。わたしは本当にただ、あなたたちを助けたいだけなのに。そんなに、嫌?」


 世界が理不尽だと嘆く少女に、俺は向き直る。どう言葉を発していいか分からないまま、ひとつひとつ迷いながら、通信を送る。言葉が届くかすら分からないが、一歩踏み出す。


「イデアーレ、その、確かに理不尽なことって、いっぱいあると思う」


 俺は痛む肩と腕を動かして、左腕に結わえ付けたネクタイを撫でる。落ち込む彼女に、俺たちを弱いと決めつけていた彼女に、俺はまっすぐことばを届ける。空回りしていないか、彼女を逆上させないか、いろんなことが回路の中を行ったり来たりしたが、俺の意見はひとつのところに収束する。


「でも、俺の人生が生きるのが辛いぐらい理不尽かどうかは、俺が決めるよ」


 息を吐く動作をしてから、俺はもう一度、その目を見た。疑うことを知らない、青緑の瞳。何でも見通せる、硝子の瞳を。


「それで本当に辛いって思ったら、呼ぶから迎えに来てくれ。俺が、どこにいても」

「ドウツキ」

「いいんだ、ミッド。……頼めるか、イデアーレ」


 驚くミッドの言葉を手で制して、俺は彼女に問いかける。


「……分かったわ」


 分かっている。彼女は『処分』される。おそらくデータの調整が行われ、今度こそ、こんな悲劇を生むことのない個体になるだろう。俺も、彼女も、分かりきっている。それでも俺たちは二度と果たされない約束をする。

 すっかりグレムリンたちがいなくなり、スポットライトに照らされたまま、イデアーレは街の方へと歩いていく。今度こそ、警備ドローンたちに囲まれて、逃げることはできないだろう。彼女は一度だけ、俺の方に振り返る。


「ドウツキ、今日はありがとう」

「こちらこそ、ありがとう。イデアーレ。……またな」

「ええ、またね」


 まるで遊びを終えた友人のような別れ方をして、それっきり。イデアーレは俺の方を向くことはなかった。街の路を機械たちに囲まれて歩いて、歩いて、小さくなって、やがて消える。


「……ここは危険ですから、戻りましょうか」


 あとには、俺とミッドが残った。

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