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雨上がりには銅の月2

 彼女はもう、目と鼻の先にいる。俺を見上げている。ぞっとするほど透き通った青緑の瞳が、俺を、俺の中の硝子の銀河を見つめている。


「機械種も、人間も、壊れたら鉄の錆の匂いがするわ。なぜかわたし、最初から知ってるの。流れる赤いオイル、駆け巡る電気信号、老いれば表面がたわんだり、たるんだりして、薄暗い染みが浮き出てくる……そして稼働限界が来ると、死ぬところまで同じ」


 イデアーレは斧をぎゅっと持って、目を伏せた。


「あなたに打ち明けるわ。わたし、その変質が嫌い。みんなそのまま理想のままでいればいいのにって、思うの」


 それは機械が口にするには、あまりにも、あまりにも幼くて、短絡的で、ひたむきで、美しい、少女的な言葉だった。人間が持つであろう、ありふれた老いへの恐怖を、機械が持っているのだ。少しの驚きを持って、俺が見つめ返すと、彼女は再び顔を上げる。


「ドウツキ。あなたは、わたしの名前が何を意味するか、知ってる?」


 俺が首を横に振ると、イデアーレはほのかに眉を下げて、寂し気に微笑む。


「地球移民の詩人が語った、理想の佳人(イデアーレ)よ。名の通り、わたし、努力してきたわ。愛されるように、けれどそれだけでない、強さも持つように。でもわたしも、あの街の硝子のように、皆が見えないところで傷つき、歪んでいく。あのビジョンを見てから、わたし、機械らしさを失くしてしまったの。永遠に、理想の佳人であることはできないって思ってしまったの。それってとっても理不尽だわ」


 斧を両手で持ったまま、イデアーレはさらに俺へ踏み込む。初めて、俺は一歩後ずさった。彼女が俺をまっすぐ見据えたまま、斧を握りなおしたからだ。


「だけど、あなたたちを『理想のまま』保持することはできるって分かった。変質、変容、時間の流れ、理不尽な痛みから、あなたたちを硝子の板だけにして救ってあげることはできる」

「そんな救済は要らないよ」


 彼女は自分の理想と、周囲の理想を混同している。ほんとうのことを見失っている。それを俺は受け止めることができない。


「だめよ、あなたたちは弱いし、世界はとっても理不尽なの」


 彼女は興奮しても、荒い呼吸をしない。だが、目が爛々と光っている。俺は斧の間合いに入らないように、距離を取るしかない。

 イデアーレは早口気味に語り始めた。


「二人目は外の星を見に出た時。グレムリンにバラバラにされていたのを見つけたわ。

 かわいそう、あなたたち、ちょっと引っ張られただけで腕や頭が取れてしまうの。でも石英硝子のパーツだけなら、そんな痛みもないって気づいたわ。頭を吊るして発声器官だけ動かされている姿を見て、わたしたまらなくなって、斧で頭部からその人を助け出したの。

 当然グレムリンのことも調べたわ。彼ら、知能が機能しているしていないの区別と、武器を持つ持たないの区別がついて、知能の反応があってかつ武器を持っていないものを優先的に襲うのよ。なんてずる賢いのかしら! 何の生産性もないのに悪知恵ばかり働くの!」


 一歩、一歩、彼女が星明りの下を進む。俺がもうこれ以上聞きたくないと思っても、彼女は止める気配がない。


「だから三人目は慎重に助けようって決めたわ。お話をして、仲良くなって、分かってくれる時を待った。その間に要らないことをするドローンたちの性質を観察しつくしたわ。ドローンは音に反応する。でも、街の外までは追ってこない」


 彼女が斧を軽く横に振る。ぴん、という細く甲高い音が聞こえる。鉄線が切れた音だ。建造物に立てかけられていた鋼材が、ぐらりと傾ぐ。やがてそれは悲鳴を上げて、轟音と土煙をまき散らしながら道のど真ん中に倒れ伏した。

 開発区の警備にあたっていたドローンが、大慌てで飛んでくる。開発区から街へ入る入り口が閉鎖される。イデアーレは一歩、切れた鋼線片手に俺を追って、軽やかに街の果てから外へと出る。そして、手に絡んだ鋼の糸を街の外に捨てる。


「だって機械って、管轄外のことをしないものだわ」


 ドローンは鋼材に夢中で、鋼の糸はおろか、俺たちのことさえ見てくれなかった。まるで鋼材を隔てて、俺たちが街から切り離されたようだった。


「じゃあ、イデアーレは……」

「わたし? わたしはね。ドウツキ。分かるでしょう。わたし、『あなたたちを知る』のが仕事よ」


 青ざめた俺の通信は彼女の言葉によって遮られた。


「俺たちを知るためには、俺たちを破壊するのも仕方ないって言いたいのか?」

「それは違うわ。あなたたちは、弱くて、脆いの」


 イデアーレは首を横に振り、子どもを上から注意をするような口ぶりで俺に言うのだ。


「だから『不幸な事故』に遭って、壊れたところを、わたしが救うの。そして、硝子の宇宙を知るの」


 なるほど、彼女は俺たちが稼働している間は、手を出していない。それは本当なのだ。もっとも、だからといって、俺が納得するわけはない。


「そんなの、イデアーレが嫌う理不尽そのものじゃないか!」


 俺は必死に考えて、彼女に言い返した。だから、俺は気づくのが遅れたのだ。俺の背後に舞い降りた真っ黒な影法師に。

 俺の首に太いケーブルのようなものが絡みつく。


(……な、何だ!? うわっ!?)


 強引に後方へ引っ張られ、俺はバランスを崩して背中から濡れた地面に叩きつけられる。痛みの信号が回路を駆け抜ける。苦悶にぎゅっと閉じそうになる目を堪えながら上を見れば、ぎらついた大きな銀色の複眼が視界に入る。


 地球移民の子どもほどの大きさ。気配を悟られない影のような真っ黒な身体。足音を聞き逃さないような大きな耳。獲物にすぐ飛びつくための被膜の翼。器用に絡みついて相手を逃がさない尻尾。人工皮膚や配線を食いちぎるためだけに生えたような乱杭歯。まるでマイナスドライバーのような爪。俺たちを分解するためにしつらえたような造形。

 これが、グレムリン。

 俺はその恐ろしさに息を呑む。

 グレムリンは俺を馬鹿力で押さえつけてのしかかり、ドライバーが入るところを探るように、俺の腕を平たく分厚い爪で引っかき、肩を爪先で抉ろうとし始めた。俺は歯を食いしばり、両腕で探りを防ぐので手一杯だ。どうにかペンライトを取り出したいが、手を退ければグレムリンの爪が俺を解体すべく差し込まれるのは明白だ。

 武器を持つイデアーレに、グレムリンは手を出そうとしない。まるで世界が、俺を殺しに掛かってきているかのような錯覚さえ受ける。


「昨日、談話室の『先生』もそう言ったわ。あなたがしていることこそ理不尽で、それは決して私たちを救うものではない。私たちを勝手に弱いものにしないでって」


 つまらなそうにイデアーレは俺を見下ろしている。斧が星明りと地表のほのかな光を受けてぎらついている。俺の顔を映している。


「でも解体されたの。弱いから」


 俺にとってあのガイノイドは、たった一度顔を合わせ、言葉すら交わさなかった存在だ。それでもイデアーレを説得できないまま、そして子どもたちを残して解体された無念は、さぞ深かったことだろう。グレムリンの爪が、俺の右肩と腕の付け根あたりに食い込み始める。そのまま腕と肩を引きちぎろうと、爪を押し込み、こじ開けようとする。激痛が走る。意図せず通信から悲鳴がこぼれる。


「街の中も外も、こんな理不尽なことでいっぱいよ、ドウツキ。十分わかったでしょう?」


 イデアーレがグレムリンを振り払えない俺のすぐ側までやってきて、笑顔を俺に向けた。綺麗な顔だった。だけど、もうそこに、積み上げた魅力は備わっていなかった。否、もう、とっくに彼女は俺が眩しく思っていた部分を捨てていたのだ。


「これ以上、あなたの星の海が傷つく前に、あなたが壊れる前に、わたしが助けてあげる。他の人もいるから寂しくないわ。ミッドも、近いうち一緒にしてあげるわね」


 彼女がミッドの名を口にしたと同時に、グレムリンが業を煮やしたのか、爪を揃えて振り上げた。俺は空へ視線を移す。このグレムリンを押しのけたとして、まだ空にはいくつもの黒い影が飛び交っている。万事休すか。でも、俺が自分でここに来て、自分で招いたことだ。だからこそ、諦めるわけにはいかない。

 俺も渾身の力でグレムリンを突き飛ばそうとする。風の音も聞こえない。聞く余裕がない。嗚呼、爪が振り下ろされる。

 来るであろう痛みを想像し、思わず強く目を閉じる――!

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