硝子の中の銀河3
廊下を抜けて鉄塔図書館の外を出ると、どこからともなく冷たい風が吹いてきた。子どもたちが寄り集まって震えているのを見て、俺は何となく風を遮る位置に立つ。
「通信は聞こえる?」
俺は寄り集まっている子どもたちに通信を送ってみた。すると、気弱そうな黒髪の少女が手を挙げた。その目が機械特有の光を帯びていることに、いつの間にか俺はすぐ分かるようになっていた。
「あ、あたし、聞こえるよ。お兄さんの声」
「じゃあ、通訳をお願いしてくれるかな。俺、声を出すパーツがダメなんだ」
「分かった」
そう言うと、少女は残る二人の少年に向き直って伝える。三人は額を集めてひそひそ話をして、頷きあう。
「おい、兄ちゃん、イデアーレと話をしただろ?」
リーダー格と思しき赤毛の少年が、腰に手を当てて俺に訊ねる。
「話した。彼女と知り合い?」
「うん……三十日ぐらい前に来た。一緒に談話室でお話を聞いてる仲間だったんだ」
俺が頷くと、その隣の帽子をかぶった大人しい銀髪の少年が、それに続く。
「あのね、先生も昨日、イデアーレと話してたんだよ。お兄さんとすれ違ったすぐあと」
「先生って、一緒に談話室から出てきた?」
少女に問いかけると、少女は少年たちに伝達する。銀髪の少年が大きく頷く。
「そう! あの機械のお姉さん。毎日この時間に、読み聞かせしてくれるの。でも、今日は遠くの海を見に行ったんだって、大人たちが言ってた」
もじもじと帽子の少年が赤毛の少年の後ろに隠れると、赤毛の少年は俺を見上げながら腕を組んだ。
「今日はオレたちに話の続きを聞かせてくれるって約束してたのに。あのなー、先生はなー、約束を破るようなオンナじゃねえんだぜ」
「こ、こら。だめだよ、そんな言葉づかい……」
「……その先生とイデアーレが、どんな約束をしたか知ってる?」
少女にひそひそ声で諭されて、赤毛の少年は口をへの字に曲げた。俺はしばらく彼ら彼女らを見ていたが、気になったことがあって通信を送る。怖がらせないように、片膝をついて視線を合わせてみると、子どもたちは俺に一歩近づいてくる。
「うん」
三人は一斉に頷いた。そしてそれぞれ思い思いに口を開く。
「開発区に星空を見に行く約束をしてた」
「ぼ、ぼくたちが付いていこうとしたら、二人っきりがいいって」
「あのね、あのね、イデアーレの目はすごくよく見えるの。だから、硝子の傷が見えるんだって。街の空は切り取られているし、傷だらけだ、ってよく言ってた」
最後に早口気味に少女が言って、空に広がる硝子のドームを指差した。俺から見れば、それは透明な硝子だ。だが、確かに談話室のイデアーレは、あの硝子板に刻まれた傷をしっかりと目視できているようだった。子どもたちの言い分は、俺の記憶と合致する。
「だけど、イデアーレは外が危ないことを知らないわけじゃないよな?」
俺の疑問に、少年も少女も揃って頷く。
「外は危ないけど、イデアーレは目がいいから、グレムリンが来てもすぐに分かるって言ってた。だから、大丈夫だって……」
帽子の少年は、それっきり口を噤んだ。赤毛の少年が、俺に怯えながらもまっすぐな瞳を向けてくる。燃えるような赤い瞳を。
「な、なあ。兄ちゃん、開発区に行くなら、先生がいないか、見てきてくれねえかな。オレ、先生が約束破って海を見に行くなんて、考えられなくて」
ああ、この子たちは大人たちの優しさに隠された、「ほんとうのこと」を知りたいのだと、俺に訴えているのだ。一度すれ違っただけの俺に、勇気を出して語りかけてきたのだ。それは美しいことだった。
俺は彼らのように、ほんとうのことに向き合えているだろうか。偽りのない真実に、真正面を向けているだろうか。一度俺は目を伏せて、顔を上げる。俺は精一杯、優しく笑いかけようと試みる。さぞかし、ぎこちない笑顔なのだろう。
「分かった。先生がいたら、待ってる人がいるって伝えてくる」
少女からの通訳を聞いて、初めて赤毛の少年はにっと笑った。まばゆい笑みだった。その後ろで、銀髪の少年もはにかむように笑い、黒髪の少女が「お願いします」と俺に頭を下げた。俺はゆっくり立ち上がって、三人の誠意にどう返せば伝わるかと考えた後、自分の胸を手の先で軽く二度叩いた。
任せてくれ、と。
「まだ時間があるし、俺は一旦家に戻るよ。準備しておいた方がいいものってあるかな?」
念のためそんなことを子どもたちに聞いてみる。三人はまた額を寄せる。そして、俺の前に並ぶ。その中で少女が、ひとつの銀のペンライトを俺に差し出した。
「あのね、グレムリンは光が苦手なの。もしも近づかれたら、目に向けて照らせば、びっくりして逃げると思う」
少女が自分の知識を語り、遠慮がちに胸を張る。
「ちゃんと返せよ!」
赤毛の少年が腕を組んでそう言うものだから、俺はペンライトを受け取りながら、「はいはい」と、笑みをこぼす。最後に銀髪の少年が、帽子を取って俺を見上げた。綺麗な黄緑の瞳だった。
「先生を、よろしくお願いします」
俺は頷くことしかできなかった。子どもたちの大事な先生は死んでいる。頭から記憶装置を抜き取られてしまっている。それを今この場で話してしまうことができなかった。俺の回路は、一縷の望みを持つ一方で、不安に満ち溢れていた。
だけど彼ら彼女らの前で、そんな顔を見せることは到底できない。俺の臆病さがそうさせる。だから、銀のペンライトをポケットにしまって、虚勢でもいいからと家に向けて歩き出す。
(ミッドにも突然飛び出したことを謝らなきゃ)
帰り道を進むにつれて、ドームにぶつかる雨の音が小さくなっていく。雨の勢いは、徐々に弱まりつつあるようだった。