誰かに守られてきた日の終わり1
暗がりの中にどっしりあるそれは、思ったよりも大きい施設だった、というのが俺の第一印象だった。
「ここは……マザーの拠点? 機械の街のことは分かる?」
「中央の都のことなら、少しだけね。でも、違うよ。機械種の拠点だったのは間違いないけど。昔、彼女ぐらいに大きな機械種が住んでいたんだ」
ヨルヨリの集落は、カレルの家よりやや南方、『ひづめあと』のすぐ側にあった。そこにあった大きな建造物は、宿場町B-5で見た遺跡によく似ていた。金属質で、大柄な施設の跡地だ。
彼らは元いたその場所に集まって、ビショップに導かれるまま近辺の魔物と終わらぬ戦いを繰り広げていたのだという。今は船に置き去りにされた船乗りや、集落を焼かれたネ=リャハたちが物資をかき集めているが、それでも十分に足りる広さがあった。
「そっか、マザーぐらい大きな機械種もいたんだ……」
「機械種だって、犠牲なしでここまで生きていたわけじゃないってこと。君の傷はこのままにしておくのはきっと苦しいよね。待ってて」
そう言いながら、教団の長は仲間に指示をして、俺を機械用の寝台に運んでくれた。俺は止まない痛覚に消耗していたけれど、少年はきちんと俺にケーブルを見せながら問いかけてくれた。
「ケーブルは構わないかな? 大丈夫。ひとまず、痛みを止めるだけだよ」
悩んだけれど、俺は頷いた。通信装置の代わりにケーブルの端子が差し込まれ、すうっと冷えるような心地よい感覚が回路に満ちていく。痛みは、止まった。そして、俺自身におかしなことも起きていない。
「俺、変かな?」
「いや、あなたのままだと思うが」
念のため、通信装置を外しても唯一意思疎通ができるロステルに問いかけてみるが、彼も安堵したように表情を緩ませている。彼も、消耗で俺の隣で即席ベッドに横たわっている有様だ。
「ニエルルは大丈夫……じゃない、よな」
通信は届かないとはいえ、俺は見守ってくれているニエルルの方を見た。すっかり変容してしまって、身体にエルフの面影はない。両腕は羽毛に満ち、かぎ爪は弓を使うのに不向きに歪んでいる。
先にゆくにつれて白くなる灰の羽や翼が目立つ。変異は主に上半身に起こっていたが、足もよくよく見ればすでに裸足になっていて、手よりも鋭い猛禽類の爪で床に立っていた。
でも、彼女を包むのは砂じゃない。まるで雛鳥のような、柔らかい羽毛だ。
「心配、してくれてますよね……」
俺が頷くと、ニエルルは俺に「ありがとうございます」とだけ言って、顔を上げた。
「えっと、その、恥ずかしいんですけれど……むしろエルフの時よりすっきりしてます。私、やっぱりエルフじゃなかった。でも、それでよかったんだって。そう思ったら、体はすぐ心についてきてくれました。言われるがまま、魔物にならなくていいって。可愛くは、ないと思いますけれど……えへへ」
ニエルルは照れくさそうにかぎ爪をもじもじとすり合わせてはにかんだ。彼女の内側は変わっていない。部屋に入ってきたアマナたちを腕で包んで、ふくふくと微笑んでいる。
「ロステルは、何か彼女に変な感じはしない?」
「多少は、撃てと囁かれている感覚はある。が、非常に微弱だ。それは、あなたが渡した魔物避けも影響しているかもしれないが、俺が彼女を誤射することはなさそうだ……」
俺からのロステルの返答を聞いていた彼女は少しだけ目を伏せて、彼女はすぐ顔を上げた。
「私はきっとお話しなきゃいけないことがあります。そうですよね?」
「我々からもあるんだけど、どうしようかな」
ニエルルと、教団の長。そのどっちもから俺も話が聞きたかった。俺は、ロステルに目配せをして、申し訳ないけれど代理で話してもらうことにする。
「まず、あなたのことは何と呼べばいい? 呼称はあるのか?」
最初は、教団の長だったヨルヨリの名前を聞いてもらう。少年は頷いて、わずかに笑んでくれる。
「エレ。草の冠。わたしという種が芽吹いて育って枯れて種を付ける、だから、わたしも先代もエレ」
「一つの種から、本来は個体の名前が継がれるのか」
「そう。地球移民たちがファミリーネームと呼ぶそれが、代々の名前になるんだ。我々は種から花になるにあたって、地球移民のように二つを揃える必要はないんだよ」
俺は見つけた小さな嬉しさに目を細めた。ここに来て、やっとヨルヨリという人々の、本来の性質を見られたような心地がしたからだ。
「それはぼくらの生態に似てるね」「やっぱりぼくらってヨルヨリベースぽいね」「どうかんがえてもアウトだけど」
アマナたちも顔を合わせて、うんうんと複雑そうな顔で頷き合っている。
「それなら、エレ。今まで何をしていたか、教えてはくれないか」
寝台に横たわったまま、ロステルはエレの方へ視線をやった。
「わすれがたみや暴露固体の願いなら喜んで……と、いうと、君たちは困ってしまうんだよね」
エレは口元に手を当てて首を傾げ、俺たちを慮ってくれた。これも、人間に配慮しての姿勢の取り方だと、アンドロイドだからこそ俺には分かった。
やっぱり、わすれがたみとヨルヨリの関係性は、人間とアンドロイドの関係に似ているとも。
「わたしがここまで育つまで、ビショップは同胞を連れて魔物のエルフやドワーフを狩っていたみたいだ。これは、戦闘訓練だと聞いている。実際、我々は最初こそ種に還ったが、種さえあれば無事なのもあって善戦はできていたよ」
「種に戻った時、記憶はどうなる?」
「先代のものとして蓄積される。ヨルヨリは草を編んで作られたから、ある程度大きくなれば、『編み目の根元』まで辿ることができるんだよ」
これも、アマナで例えれば理解できた。彼女たちは実に戻った別のアマナを食べることで情報の引き継ぎができる。ヨルヨリは、それをしなくても情報の引き継ぎができる。彼女たちより、さらにシンプルだ。
「今は互いに伝達はできないのか?」
「ずいぶんと前にできなくなってしまった。蔦で触れあって、やっとだ。気を悪くしないでほしいのだけれど、この世界は今、我々にとってはとても騒々しいものだから」
「では、その肝心のビショップは?」
「二人の人間が来た時に、我々を置いて行ってしまったんだ……そうしたら、我々はずっと楽に意思疎通ができるようになった。奇妙なことだ、どうして我々が争いに躍起になっていたのか、誰も思い出せなかったよ……」
ロステルも興味深げに聞いていたが、寝台から身を起こしてエレに頭を向けた。その双眸に炎の輪郭は消えて、くすんだ理知的な青灰の目があった。
「それならば。デルヴォラアレという名前のヨルヨリを知らないか。ここに来るまでに彼が多く見聞きした名だ」
「デルヴォラアレ……祝祭と人間に名乗ったヨルヨリならば」
俺もはっとして、身を起こそうとした。だけど、それをニエルルに止められる。柔らかい羽毛が触れて、発火しかけた回路が落ち着いていく。代わりに、彼女が次は質問してくれた。
「そのでるぼられーさん? が、どこにいるか分かりますか?」
「『すでに枯れた』。次の種が芽吹いたというが、わたしは会ったことがない。その花は人間の味方として岸壁の港町に行ったはずだよ。だから、我々もデルヴォラアレに関わらないようしていたんだ」
「岸壁の港町に伝承録の筆者が……?」
ロステルの反芻に、エレは眉を下げてうーんと子どもらしく唸った。
「そう、最終的にね。ヴァンという人のところに身を寄せたんだ。君たちの言葉で言うとトツイダという関係性だったと思うけど……会わなかったの?」
「ヴァンさんに嫁いだ……? っ、ロステル、ひょっとして!」
俺はエレの言葉に聴覚センサーを疑った。そして、一拍置いて『それ』に気づき、視線をロステルの方に向けた。
「あの家に嫁いだヨルヨリは一人しかいない」
ロステルも心当たりが一人いたのだろう。目を丸くしていた。
「グリンツの母親が、まさか――」
俺も頷いた。俺に助言をくれた『影』の女性。息子を跡取り戦争から退かせるために、同じ影に引き入れた母親。俺はあの時、花がなぜ咲いているのか問えと聞いたあの顔を忘れない。
無機質で、冷たくてほの暗い、だけれどまっすぐな目。思い詰めていたグリンツ氏によく似た、あの紫の瞳。魔法で隠していた緑の髪。
俺はとっくの昔に、『デルヴォラアレ』に会っていたのだ。見つけていないわけでもなかった。取り落としてなんていなかった。俺の記録に、ちゃんとあったのだ。
「あの人の名前は分かる?」
「いいや……そもそも彼女は使用人にさえ名乗らなかった。名はもう捨てた、と。彼女はグリンツが矢面に立たないよう振る舞っていたが、そうか、あれが彼女の選んだ生存戦略か」
俺はロステルの思案を聞きながら、横たわったまま額を押さえた。一つの命の戦略と諦めの果てが垣間見えて、ただくらくらした。
「もう一度ぐらい話せたらって思うけど、俺はあの人からも十分に道を教えてもらった。今、会えるわけじゃないなら記憶装置にしまっておける。今は、ニエルルの話を聞きたいな」
割り切るしかない。俺は、今度はニエルルに視線を向けた。彼女は俺の声が聞こえなくても、視線が合うとデコルテ周りの羽毛を膨らませた。
「あっ、そうだ……今だとお話できませんね?」
「いい。ドウツキが困るようなら、オレが伝達しよう」
「助かる。ありがとう、パイプ役やらせちゃってごめん」
「この程度、構わない」
「ちゃんと伝えてくださいね!」
「オレは嘘は言わない。言ってもいいなら言うが」
「ううん、正直に行こう。俺はこの人たちとも、話がしたい」
ロステルは冗談を交えて、穏やかに笑んだ。俺はそれならばと、今は彼に甘えることにする。
改めて、ニエルルはそわそわと視線を巡らせた。まるで、あの時の害意の眼が、自分を見ていないかを気にするように。
「すごく、怖い話なんです。でも、何から話せばいいか。とっかかりを、いただけませんか?」
彼女はかぎ爪のとがった指を胸の前で絡めながら、今にも落ち着きなく跳ねそうな様子で言葉を考えている。俺はその手伝いならいくらでもできるから、微笑を返した。
「じゃあ、多数決の石が赤くなった時に何を見たのか。話してくれる? って、伝えてくれる?」
「了解した」
ロステル経由の質問に、ニエルルはしっかりと頷いて、すり合わせていた爪を握った。
「あの時、私の眼にはいっぱいの視線が映っていたんです。お二人には、見えていましたか?」
「オレは見えた。ドウツキもオレ経由で見えたはずだ」
俺は小さく首肯した。寝そべっているのでは返事がしにくくて、眉が寄る。
ニエルルは、心配そうに寄ってきたアマナたちを再び羽毛の腕で包んで、目を伏せる。
「怖いって、思うはずだったんです。怖いとは思ったはず、と言った方がいいかもしれません。ただ、それ以上にあれを私は『ドラゴン』だ、絶対だって思った……何もかもに害を成したい、ぐちゃぐちゃにしたい、魔物の頂点は誰もが持っている心でできてるんだって。私たちは、あれを克服できないんだって」
彼女は羽の生えた腕を軽くさすった。
「そうしたら、みんなを傷つけたいって気持ちが溢れてきて、身体が耐えられないって感じて……駄目だって、ネ=リャハの人を思い出したり、里で聞いたいろんなおとぎ話を思い出したりして耐えようとして……そうしたら、こんな風に」
「オレがブローチの戦火に飲まれた時に似ていると言っていたが、確かに類似点はある」
俺より先に口を挟んだのはロステルだった。彼はひび割れたブローチを白手袋に包まれた指でなでて、ちらっと火が灯ったそれから目をそらす。
「このブローチには機械種とわすれがたみが争った時の、激しい戦火が宿っている。機械種の武装と一緒に……いま思えば、それは『害意』の侵食だったんじゃないかと思ってな」
それに対して答えを持っているのは俺だ。
「ディスワールドは本来想像力優位の世界だから、『害意』も効力を持つんだ。当たり前みたいに……傷つけると思った時、力として相手を傷つけられる。多分、目には見えない精神も破壊できるし……ビショップがやったように、人も取り込めるんじゃないか?」
ロステルは「そうだ」と静かに言って、俺とニエルル、そしてアマナたちを順番に見た。
「クーネルたちは魔物の総数を増やして『害意』を優勢にした。結果、多数決の石は変質し、煽りを受けたニエルルは姿を歪められた。オレもあの時、神経がひりつく感覚は常にしていたんだ。世界規模での『害意』の増幅。これは間違いがない」
ロステルはぐっと服の胸元を握った。その痛みは、俺だって嫌というほど分かる。
「魔物になったエルフの中に、私の知り合いの顔もいっぱいあったんです。あの時、元に戻せないかって発想がなぜか出てこなくて……私たち、ひょっとしたら強い『害意』を浴びたらそうなるよう、最初から設計されていたかもしれません」
つい、俺は眉を寄せて苦い顔をしてしまった。が、ニエルルが「あれ?」と声を上げた後、喉をくるくると鳴らして考え事をし始めたのを見て、俺も首を傾げた。
「クーネルさんが古典的なファンタジーが大好きだって話、しましたよね」
俺は頷いた。
「だいたい、ああいうファンタジーで強大な存在といえばドラゴンなんです。大きな爬虫類みたいな姿なんですけど、翼があったり、火を吐いたり。お話ではいい竜も悪い竜もいますけれど、きっとディスワールドでは言うまでもなく悪い竜で……」
俺は瞬きをした。ニエルルは、迷いながらもおずおずと口を開いた。
「あの人たちが狙ったのって、ひょっとして『ドラゴン』の復活なんじゃって、思っちゃっ、て……」
「憶測だけど最もらしいかも」「考え得る限り最悪の王道」「さいあく」
ニエルルの言っていることが憶測なのは俺にだって分かる。一方で、それが実は相当筋道が通っていて、あながち嘘ではない気がするのも本当だ。
だけど、俺は憶測を膨らませるのをやめた。すべきことが見つかったからだ。




