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あるアンドロイドの解釈1

「待っていましたよ。こちらへ。船に避難しましょう」


 ミッドは両手を鷹揚に広げて、俺を出迎えようとしてくれる。指し示す先はもう少し沖の方で停泊している船なんだろう。俺は隣にやってきたロステルと目を合わせて、困惑のままミッドの方へ視線を戻した。


「ミッド、心配したんだぞ。一体、今までどこに。いや、そんなこと……より。……」


 だけど、俺の足はそれ以上、一歩も進まなかった。まるで足が地面とくっついてしまったかのように。そして何より、俺自身の回路もあれだけ会いたかったミッドに、この土壇場で助けられようとしているのに行きたいと感じなかった。


「……」


 エルフとドワーフはぎゃあぎゃあと罵り合いながら、俺たちの後ろに迫って来ている。後ろには逃げられない。なのに、目の前のミッドに俺は後ずさりした。


「ミッド? いや、そっち行きたいんだけど、な、なんで……」


 否、理性的な判断は間違っていない。目の前にいるのは、間違いなくミッドだ。だけど、俺の回路の奥の奥で、何かが違うと叫んでいる。できるだけ、俺はありのままの事実を見据えようとする。俺の意識にのぼっていないだけの違和感を、センサー伝いの理解できる感覚に落とし込もうとする。


「大変でしたね。避難の準備はできています。行きましょう?」


 ミッドは微笑んで、両腕を広げてくれている。

 両腕だ。おかしいじゃないか。

 俺の鞄の中には、綺麗に切断されたミッドの片腕が入っているのに?


「なんで、『腕』があるの……?」


 動揺と恐怖で泣いてしまいそうな感情を込め、俺は通信でそう問い掛けた。同時に、様子を見ていたロステルがミッドとは別の場所に砲を向けた。


「――ッ、罠だ!!」


 彼の砲が爆音を立てて火を吹き、俺の側面から襲いかかってきた『鎌』を追い払った時、ミッドもまた息を吸い込んだ。

 その仕草が何なのか、俺にはよく分かった。人工声帯を震わせて、歌を歌う時の前準備だ。だが、それを理解すれば、否が応でも目の前の存在の正体を理解してしまう。


 目の前の躯体はミッドだ。間違いない。だけど、だけど。『中身』が、違う!


「お前、まさか」


 その名を唱える前に、ミッドの喉から放たれる音の波が、俺の回路を木っ端微塵にするはずだった。だけれど、俺の前に飛び出してくる影がある。人間の形を半分失ったニエルルだ。


「ドウツキさんたちを゛ぉ、いじめルなあァァ!!」


 聴覚センサーが壊れるような凄まじい叫び声が、俺を破壊するはずだった歌声を掻き消した。


「……!」


 ニエルルははっとして、かぎ爪で口を覆う。ミッドも想定外だったのか、歌うのをやめた。魔物に変じた彼女の叫びは、時々、音をかき消すらしい。


(やっぱりそうだ。この、自分と他人が見分けられなくなるような、嫌な感覚……でも、どうして? いや、だって、そんな)


 俺は今度こそ躯体から力が失われる感覚に、たまらず膝をついた。この脱力感と自己を削られるような苦痛は、もう疑いようがない。俺はふらふらなまま、穏やかな表情で立ち続けるミッドを見上げて通信をこぼす。


「なんで……?」


 足を止めた違和感の一つはそれだったんだろう。一切の苦悩がない微笑みなんて、思えばミッドは絶対にしない顔だったのだ。彼の微笑みは、いつも喪ってきた人の寂しい影があった。

 この笑い方をする相手を、俺は知っている。


「なんで、ミッドの躯体に、ビショップが入ってるの……? おかしいよ。な、なんで……誰が、そんなこと……」


 俺の後方では金属の打ち合う音が聞こえてくる。目の前の現実と、ビショップが側にいるがゆえの感覚で全てが億劫になりかける中、どうにか振り返れば大鎌の刃が夜闇に閃いている。ロステルは紙一重で懸命に回避しているが、それは『彼女』が加減しているからできているだけだ。


「ふふふっ、一ヶ月待った甲斐がありましたわね?」

「一体どこでこんな悪趣味な用意を……ッ! まさか、船か!」


 シーニャだ。ロステルが苦手な接近戦を強いられて、苦しそうに唸っている。彼女は悠々と大鎌を振るって、ロステルの首すれすれを狙って弄んでいる。とっさに彼は装着式の方を火炎放射器に換装して彼女を振り払うが、彼女の余裕は変わらない。


「ええ、避難してきたと言えば、喜んで乗せてくださいました。避難すべき人がいると説得すれば待ってもくださいました。我が主は今頃、船の上で手を叩いて喜んでおられるでしょう」

「おやめください!」「やり口がばっちい!」「めぎつねぇ!」


 アマナたちが口々に善意を踏み台にしたシーニャを責め、ロステルを守ろうとしてくれているが、相変わらず戦力差は圧倒的だ。俺はニエルルに支えて貰いながら、ミッドから距離を取る。苦しい。呼吸なんて必要ないのに、回路の巡る全ての機構が錆び付いて動かなくなるような気さえしてくる。


「でも今日の主目的は直接的な破壊ではありませんの」


 シーニャは鎌を振るうのをやめて、俺たちのやりとりを聞く姿勢を取ろうとしている。が、俺はとてもではないが彼女の方に向き合えない。


「はぁっ、はぁ……ニエルル、ど、して……俺、なんで……ミッド……」

「ドウツキさん、しっかり、壊れチャやだ……」


 ニエルルの羽毛にまみれた腕に支えて貰いながら、俺は錯乱一歩手前で踏みとどまっているのが精一杯だった。これ以上、何かされてしまったら、俺の感情は閾値を超える。バグを起こし、パニックになって走り出してしまうだろう。制御不能になったらどうなるかなんて、考えなくても分かる。ビショップに取り込まれて二度と正気に戻らない。

 このバグに負けてしまう正気が、俺の最後の命綱だ。みしみしと悲鳴を上げて、今にも切れそうだ。


(あの中に入っているのがビショップだったら、ミッドは、どこに……廃棄、されちゃったのか? そんな、だったら、もうミッドは、どこにも――)


 鞄の中のミッドの片腕を、俺は鞄の生地越しに撫でた。そして、ほんの少し角張った何かに触れた時、パニックが不意に鎮まったのを感じた。


「――」


 俺の中で、死に物狂いの向きが変わった。今、それは鞄の中にあるものを気取られないためだけに注がれ始めた。鞄から視線を外し、俺は地面の方をうなだれるように見る。


(石英硝子、そうだ。確かにビショップの側に落ちてた……)


 ミッドの片腕と一緒に鞄へ収まるそれは、ビショップの亡骸の側に落ちていた一枚の石英硝子だった。誰かに渡すために鞄に入れたその存在を、俺は思い出した。下がりかけていた手が、動く。


(そうだ。俺たちは自然治癒はできなくたって、修理できる。換装だってクローディアがしてた。俺の足だって、本来はミッドの三番目の弟のものだ。俺たちの躯体には『互換性』がある! だから、ミッドの躯体にビショップがいる! 存在できてるんだ! これもただの悪戯かもしれないけど、もしかしたら!!)


 俺は鞄の生地をきゅっと掴んだ。気付きが本当かなんて分からない。だけど、今はわずかな可能性を信じれば、動けるような気がした。返事はないのが分かりきっていても、真剣に呼びかける。


(ミッド。単に記憶装置だけ取り外されているのかもって、信じて良い? 直るって、助かるって信じても……。嘘でもいいよ。今、立って、走れるだけの力を貸してくれるなら……!)


 俺は一縷の望みに賭けて一度だけ目を閉じ祈った。あの疲れ果ててなお、真っ直ぐ兄として立とうとしていた背中が見える。もしかしたら、俺が拾って持っていたこれこそ、身体から取り外されたミッドの記憶装置かもしれないのだと。

 アマナ的に言えば公に認められなければ無意味かもしれないそれが、俺の正気をかろうじて繋いだ。そして、少しだけ、喋る気力を取り戻させた。


「同位体。やっとまた会えたのに、来ないのですか? これは、あなたの好きな姿でしょう? この躯体には、マリア博士も執心していました。あなたも好きなのでしょう?」

「その身体を、どうやって奪ったんだ」

「あなたが知る必要はありませんよ」

「いい。想像は、付くから」


 問いながら目を開けば、ミッドの躯体を奪ったビショップはそこにいて、微笑んでいる。ロステルたちがシーニャとにらみ合いを続けていても、他人事のようだ。


(シーニャは仕掛けてこない。俺たちを見てるんだ。見て、嗤ってる……)


 あくまでもシーニャは俺とビショップの問答の『オチ』を見る気でいるらしい。邪魔しないならばと、俺はまだ震える息を吐いた。ニエルルがかぎ爪を立てて、側で唸っている。俺が暴れたら、彼女も巻き添えにしてしまうと言い聞かせる。


「ビショップ、お前はロステルにこの大地はわすれがたみとヨルヨリのものだって、言ったことはあるか?」

「知る必要はありません」

「答えなきゃ、俺は何も答えない」


 俺がそう言い切ると、ビショップはちらとロステルを見た。言ったのかと言わんばかりの、どこか煩わしげな眉のひそめ方をして、彼は渋々首肯する。


「はい、言いました」

「戦いを知らなかった彼らに、戦いを強いるんだな?」

「はい。人類が戦うといった行動を取る以上、我々は彼らにそう応えねばなりません。ヨルヨリに幼体は多くいましたが、彼らも育てればよく戦うでしょう」

「害を与えたくないって話じゃなかったのか?」

「ええ、私は彼らに危害を加えるつもりはありません。戦い方も教えましょう。迫害されたものは、迫害した相手を滅ぼす権利があります。司祭様はそれを拒みましたが、私は彼らの報復を肯定します」

「それはお前の、初期設定の倫理観がそう考えさせるのか」

「いいえ。私は他の個体とは違います」

「ヨルヨリたちには、選ばせていないな?」

「彼らは幸福であるべきですから」

「知らずにいることが幸福ってことか……」


 俺はぎりっと人工皮膚が音を立てるまで拳を握った。それで十分だった。結局、ビショップは人間のしてきた暴力を教えて『やり返す』選択を取っている。俺はそれに納得がいかない。それは和解や権利の話じゃない。単なる『害意』の応酬だ。


「それは、人間の方法じゃないか。彼らには彼らの道筋だってあったんじゃないか」

「不要です。地球移民からは、彼らがそうしてきたように戦って奪えば良いことですから」


 奪う。これがビショップの行動基準だ。あの時の司祭というリーダーの言いつけを理由に、ロステルをさらって御旗に仕立て上げようとしたのだってそうだ。

 人間は確かに『戦い』ができる。そうして生きてきたから、殺し合うことだって選択に入れてしまうんだろう。だが、彼らは違うかもしれない。

 例え、聞いてみた結果が人間と同じであったとしても、『確認』の順序を飛ばしていい道理にはならない。俺は必死に回路の中で思考を練る。


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