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エンゼルランプの墓3

「ただいま戻りました……ドウツキ?」


 その声で俺は、ようやくミッドが地下に戻って来たことに気が付いた。顔を上げると、灯りを背にした彼の顔が見えた。逆光に晒された彼の顔は、変わらぬ無表情のはずなのに、いつも以上に疲弊しているように感じられた。


「あ、ああ。悪い、いろいろ考えたら、気持ち悪くなっちゃって」

「上に戻りますか?」


 俺は首を横に振る。まだ、ここで見つけたいものがあるからだ。落ち込む気持ちをどうにか奮い立たせて、俺は彼に訊ねる。


「その前に、ミッド。ここに、俺本来の『両脚』と『声帯パーツ』はあるか?」

「……ありますよ。こちらの引き出しです」


 ミッドが動きをわずかに止めたのを、俺は見逃さない。やがて彼からゆっくり差し伸べられた手を取って、立ち上がる。彼はひとつの引き出しを選んで、ゆっくりと持ち手を持って引く。


(これは、ジニアの花?)


 引き出しの中に、薄く輝くジニアの花が咲いていた。柔らかく吹き上がる暖色の花びらがミッドの頬をかすめるが、彼が気づいている様子はない。これは、俺にだけ見えているものだ。

 俺は押し黙って、花を拒絶する。


(これが俺の、元の脚……)


 顔を近づけると、焼け焦げた二本の脚が丁寧に並べられているのを見ることができた。

 俺は慎重に手を伸ばし、自分の片足だったものを取る。皮膚や表面的な触り心地こそ人間に近く作られているが、だからこそ関節に見える修理用のパネルラインが強調されて映る。金属であるから、当然重い。


(損傷が、分かる……なんとなく)


 試しに膝のあたりを手で触れてみるが、どうにも根本的な機構が焼けてしまっているようだ。脚を曲げた時の違和感に顔をしかめる。


「モーターが焼けてる。機構も熱で歪んでダメだな……よくこんなで歩いて来たな、俺」


 俺は、俺の一部だったものをそっと引き出しに返す。人間に似ていてまったく違う裸の脚は、ジニアの花に静かに埋まる。


「あれ、今の脚が003のものってことは、一度服を戻してくれたのか?」

「許可なく着替えさせるのもどうかと思いましたから」

「脚取り換えたのに、変なとこで律儀だなあ」


 次に俺はその横にある、四角い箱のようなものに手を伸ばす。手のひらに乗るほど小さい。ケーブルも表面も焦げて黒く、振るとからからと乾いた虚しい音のする装置。これが俺の、声だったもの。声帯パーツらしい。


「これはもう、直らないのか?」

「ええ。仮に修復できたとして、声帯パーツの機構は非常に細かいので元の声になることはないでしょう」

「……そっか」


 俺は接続端子からぶら下げたままの通信デバイスを指で軽く撫でながら、小箱を左手でそっと元の位置に戻す。ジニアの花びらの冷たく、柔らかな感触が人工皮膚のある方の手に伝わる。


「俺の声、どんなだった? 今と変わらない?」

「……。いえ、もっと高い、中性的な声でしたよ」


 何気なくミッドに聞いたことが、思っていた以外の回答になって戻ってきた。俺が少し驚いてミッドの顔を見ると、俺から視線は外されていた。言うか言うまいか迷った末の回答、なのだろうか。俺の中の疑惑と今までの違和感が、少しずつ、少しずつ、大きくなっていく。疑念と心配と遠慮がないまぜになって、通信となって溢れ出す。


「ずっと気になってたんだけど、ミッドもクラクも、昔の俺を知っているのか?」

「知っているといえば知っていますし、知らないといえば知りません」


 煮え切らない回答だ。ミッドは引き出しを閉じた俺に向き直る。彼がほんの一瞬だけ口を引き結び、拳を軽く握ったのを俺は視界の端に捉える。

 そしてと彼は意を決したように俺を見据えて言う。


「私はあなたの躯体の番号を知っていますが、あなたという人格を構築するプログラム群を知りません」


 俺はその意味が理解できなくて、しばらく硬直する。頭から鳴る演算の音がうるさい。分かっている。俺の躯体は必死に理解しようとしている。けれど、俺の回路が、こころが、ついていっていないのだ。必死になって、俺は言葉をかき集め、通信を送る。


「それは、俺がこの身体に本来在るべきプログラムとは別ということなのか?」

「分かりません。あなたの回路は私が見る限り、壊れているようには見えません。しかし、どう作られたのか分からない」


 彼は俺を正気だという。一方で、俺は自分の正気を信じ切れていないでいる。不安定な俺は、彼に自分の番号を訊ねなければならない。そうしなければ俺の回路の曇りが晴れることはないだろう。

 だが、恐ろしい。何となく予感はしている。それがかたちになることが、恐ろしい。呼吸も必要ないのに、息が詰まる。言わなければ。訊ねなければ。震える息を吸う。泣きそうだ。


「ミッド」

「はい」


 俺も、覚悟を決めた。


「答えてくれ。俺は、俺の躯体は、あんたの何番目の弟のものだ」


 ミッドの表情が明確に曇る。聴覚センサーの痛む沈黙が、俺たちを取り囲んでいる。

 俺は俺に問う。分かっていたんじゃないのか。去り際のクラクに、あの質問をした時から。

 一か月前に失踪したNeuromancer。不運な事故で死んでしまったトールとの逃避行の夢。その俺の視点。クラクを助けた時に聞こえた声。付きまとうジニアの花。

 気づいている。俺の躯体番号は――。


「ドウツキ。あなたの躯体は004、Neuromancerのものです」

「……そうだろうなと、思った」


 俺は泣いていいのか笑っていいのかわからず、くしゃくしゃの苦笑いになった。


「それで俺がニューロマンサーじゃないから、名前をつけてくれたんだな」


 ミッドはこちらに手を伸ばそうとして、ひっこめて、うなだれた。


「すみません」

「いいんだ。ありがとう」


 俺は首を横に振る。それで精一杯だったけれど、決して気持ちをごまかしたわけではない。ミッドにだって、何か考えがあったはずだ。そうでなければ、俺に月食にちなんだ名前などつけやしなかったろう。俺のことをニューロマンサーと呼び、どうにか本来の姿を呼び起こそうとしただろう。一方で、もっと早く開示してくれればという思いもないわけではなくて、俺はどうにも俺のこころをまとめきることができないでいる。

 だから俺はそれ以上何も聞けないで、苦笑いのまま、地下への入り口の方へ視線を向ける。


「そうだ。俺、約束があるから行ってくるよ」

「……ええ」


 ミッドは俺を止めることをしなかった。俺は彼を置き去りにして、心細いあのはしごを上る。重力が脚を引く。降りた時よりずっと体が重く感じられる。それでもフローリングに手をついて、身体を両手で持ち上げる。外はもうすっかり昼だ。 

 俺はしばらく、ぽっかりと開いた床の蓋を見つめていた。だが、しばらくミッドが出てこないだろうと悟ると、首を横に振った。そして、玄関のドアに手をかけて、外へと一歩踏み出した。

 あの声がする。悲痛な呼び声が俺を呼ぶ。


 ――帰ってきて。


「帰れないよ」


 ――帰ってきて。


「俺は誰でもないのに、どこに帰れって言うんだ!」


 何が何だかわからないまま、足は一歩進むごとに加速して、俺は気が付いたら鉄塔図書館に向けて走り出していた。だけど、加速装置だって今は味方をしてくれない。俺は怯えて逃げるように走ることしかできない。

 硝子で遮られた空の向こうから、雨粒が砕ける音が鳴り響き始めた。いつの間にか雲は分厚くなって、太陽はどこにも見えなくなっていた。

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