大改訂、再び 1
「じゃあ、何? ヒューバートちゃんは、足の引っ張り合いに巻き込まれておもちゃにされたってわけ?」
「何かいけないのかい?」
「いけないも何も……」
「君たちは知性があると主張するがね、アンドロイドは道具だよ。よその家で作られたとはいえ、それは変わらないのではないかなあ? モップはモップだろう? そうでなくても、そうしようと決めたのは彼の意思だよ。城に残した『伝言』通りさ」
「主の蘇生をダシにしといて、最低……うーっ、腕があったら絶対殴ってた! 最低! Mid_Bird型が人間に限りなく近い性質を持ってるって分かってないはずないでしょ! それを!!」
その言葉だってアンドロイドハラスメントだと怒るクローディアに、クーネル氏は飄々と笑っているだけだ。今度は目も笑っている。人をからかって、笑っているのだ。
(他に方法はなかったんだろうか……)
クローディアほどではないが、俺もざわざわとした不穏な気持ちになって、眉を下げた。クーネル氏を助けるのは気乗りしないが、かといって彼にも待っている人がいる。心証だけで言えばかなり苦手な部類に該当するが、見殺しにする選択肢は俺にはなかった。それが、クーネル氏に見透かされているとしても、だ。
結局、俺は、俺たちは、いろんな人の掌の上にいて、転がっているだけなんじゃないだろうか。俺は頭を振って、その考えを追い払った。何度か、追い払った。
「どうしてそんなことをするんですか?」
俺が振り返ってクーネル氏に渋々手を差し出した時、諦めた眼差しのミッドが、そんなことを訊ねた。彼自身が知りたいのではないと、俺には分かった。彼はクーネル氏に、動機を告白しろと言っているのだ。そして、クーネル氏はそれに乗ったようだった。
「全ての者には豊かな人生がなくてはならない」
急に芝居掛かって、クーネル氏は岩の上で声を上げた。
「退屈で平穏な人生、波乱に満ちた生涯、その者に与えられた天命がある――私はそう信じている。いいや、歴代のプラインは皆そうさ。宇宙船の、人間の長として、人を愛し、導くのが使命だからねえ」
彼はミッドでもクラクでも、まして俺でもなく、ニエルルを見た。青ざめた顔でクローディアの腕を抱いていた彼女は、ひっと声を上げる。
「だから、プライン・エンタープライズは全ての技術をもって、そうした『不適切な人生』が盛り上がるよう、手伝いをしているのさ。ヒューバートは平坦な人生を送るにふさわしくないアンドロイドだった。だからそうした。それだけだよ」
「わかんない……そんな、アンドロイドだから?」
「私たちが作ったものならば、全て」
「エルフも?」
「ドワーフも!」
クローディアも顔を青くして、明らかな嫌悪感を見せた。俺も理解が追いつかない。クーネル氏の言っていることは、『誰かの人生が退屈そうだから勝手にめちゃくちゃにする』ということに他ならない。
「わ、私、そんなこと、知らな……」
この中では一番、彼のことを知っているはずのニエルルさえ、クローディアの腕を抱きしめて震えている。クーネル氏は、あくまでも優しく、彼女に語り掛ける。きつく言われる方がずっとましなことを。
「君が知ろうとしなかっただけさ。君が悪いわけじゃないよ。城主の人となりなど、知って得をするわけでもないしねえ。人が知りたいのは、真実とラベルが貼られた下世話な瓶の中身ばかりさ」
彼は喉を鳴らして笑って、まだ出口の見えない洞窟の先を見据える。
「法律など、みな岸壁の港町に寄越してしまった。ここはフロンティア、白いカンバスだ。それなら、自らの絵を描かずして何をするんだね?」
この人が、都市をまとめ上げていると思うと、ぞっとした。彼は悪びれもせず、瞬きをして、不思議そうに俺たちを見てくる。
「君たちは私を悪く見ているようだけれど、人類が生き残るために私は先祖同様、尽力してきたよ。それにちょっと好みの色を付けているだけじゃあないか」
「好みの色……」
「『この人にはあのファッションが似合いそう』――誰でもやる娯楽だよ」
好みの色という言葉さえ、上手く飲み込めない。俺は迷いに迷って、クラクを見た。クラクは沈痛な面持ちで、首を横に振った。ビショップでさえ、愛という概念で触れ合える場所があった。だが、クーネル氏は輪を掛けて、致命的に理解できない相手だ。
行動原理が、俺が何となく感じている一般的な人間のものとは掛け離れすぎている。知れば知るほど、不気味で、おぞましい。
「そも、存在の悪性を問うのであるなら、『暴露個体』。君の方がよほどタチが悪い」
どんどん落ち込んでいく俺に、クーネル氏は穏やかに声を掛けてきた。正直もう話を聞きたくないという気持ちで俺は岩場を登っていたが、彼はそれを許さない。
「一体、君はどれだけ自身の価値について把握しているのかな?」
「……」
「気付いてきているんじゃないかなあ。君一人に、実に多くの命運が左右されているんだよ」
俺だって分かっている。俺が何かをするかもしれない。だから、岸壁の港町や、クローディアのふるさと、それに工業都市は、俺に見張りを立てたのだ。
「それに、君は善良であるそうじゃないか。『良くしよう』と思っている……私だって同じさ。良くないものを、良くしたいんだよ」
クーネル氏は嘘を言っているかもしれない。まともに取り合うべきではないのかもしれない。だが、彼の淀みない物言いは、俺には妙に突き刺さる。
――それぞれに使者を出して、君のこと様子見してるってわけだ。
イゲン氏の言葉が俺の回路の中を這い回る。
一体、彼らが何を期待しているのか俺には分からない。クーネル氏も何かを期待している。何を信じればいいのかと震えそうになる。岩場にかけた手が滑りそうになる。
「君と私。人の人生を変えるという点で何が違うんだね? 無自覚な君の方が、よほど性悪だと思うがねえ」
「ドウツキちゃんは――」
「いい。いいんだ、クローディア」
回路が熱疲労を訴えている。俺は最後の岩を登り終えて、拳を握り、奥歯をぐっと噛んで耐えた。そうして、下にいる皆へロープを下ろした。
「俺は、みんなを振り回してる。みんなは俺を支えてくれるけれど、俺がわがまま言ってるのは本当だから」
「ドウツキ君……」
クラクがひどく悲しげに顔を歪める。俺は苦く笑って、足を踏ん張って皆が登ってくるのを待つ。
「だから、わがまま言った分、ちゃんと知らなきゃいけない。世界のこと、皆のこと、俺のこと――行き当たりばったりでも、できることを見つけて、するだけ」
そう通信で伝えると、クーネル氏は退屈そうにあくびの仕草をして、縄を登った。
「模範解答すぎてつまらないねえ」
「その模範解答が好きな人の方が、俺、多分好きだから」
好き。嫌い。思えば旅立ってから、この概念は日に日に明瞭になっていく。俺はおそらく、クーネル氏がかなり嫌いになってきている。
逆にミッドやクローディア、苦楽を共にしてきたきょうだいが好きだ。ロステルが日に日に元気になっていくのが嬉しい。グリンツさんも最近、そこまで苦手じゃなくなってきた。アマナなんかは、もう気楽に話しかけられる相手の一人だと思っている。ニエルルとも、きっと話をすれば楽しくなれると思う。
俺は、今まで出会ったたくさんの人が、俺の脆い輪郭を支え、色づけてくれているのを知っている。
そうした人に近いからこそ持ってしまった感情を、俺は背負うと決めている。俺は、一度だけ左腕に巻いたままのネクタイを優しく撫でた。
「『はざまを飛ぶ鳥よ、怖れることなかれ』」
「ジニア博士の遺言、か」
トールが遺してくれた金刺繍のメッセージを、俺は小さく、悪魔払いのように呟いた。クーネル氏は小さく唸って、やがて大げさにため息をついた。
「……『暴露個体』とは、『かみさま』に接触してしまった存在を意味する」
観念したようにそう言うと、彼はうーんと伸びをして、暗く続く洞窟の出口を求めて目を動かし始める。俺も、手元の明かりだけを頼りに目を凝らす。息を殺せば、遠くからグレムリンの羽ばたきや、ゴブリンの息遣いが聞こえてくる。だけど、今もっとも聞き取るべきは、目の前の老人の言葉だ。
「君はどこかに、焼けて瀕死のそれから『しるし』を与えられているはずだ。しるしは、特別な力を与えてもくれるが、何より『かみさま』へ至る道を暴いてくれる……何てことはない。君が持っているのは、オマケがついたお茶会の招待状さ」
岩場から、かすかな明かりが見えた時、俺よりも早く、クーネル氏はぴょんぴょんと岩を登っていってしまった。空は燃える赤と深い青に輝いていて、彼は青白い月光を背に笑っている。彼の目は、これからコンサートを聞きに行く少年のようだった。
「だけどねえ、有名人のお茶会なんて、みんな見に行きたいだろう?」
「俺にしるしがあるってことは、招待されたのはニューロマンサーじゃないか。俺ですらない」
「でも、君はまだ招待状を持っている。みーんな知っている。知っていて、君に黙っている。君が行動を止めないように。そういう『取り決め』だったのさ」
初めて、クーネル氏が俺に手を伸ばす。老体でアンドロイドの躯体を引っ張り上げられるかどうかは分からないが、その自信満々の顔につい手を伸ばしてしまう。俺は、ひょいと引っ張られて、想像以上にあっさりと岩場の上に辿り着く。
「だが、今日。その取り決めはおしまいだ」
一歩踏み出せば、もうただの平原が広がる、外だった。
「見てご覧よ、ドウツキ君。みんな、君に夢中なんだ!」
俺は、視界に飛び込んできたものに立ち尽くしていた。
赤と深い青が入り混じるのは、夕方だからだと思っていた。だが、俺は解釈を誤っていた。外はすっかり夜だった。金属が剥き出しになった頬を、熱風が撫でていく。
空を染める赤は、遠く離れた研究都市を包む、灼熱の炎からくるものだった。空を機械種が飛び回り、エルフの森に爆撃を落としている。当然、工業都市は火の海だ。それを見るクーネル氏の紫の瞳は、老いらくの恋が如く輝いていた。復讐心や憎悪ではない、純粋な楽しさに。
「ああ……楽しくなってきたねえ。君のおかげだよ、本当にありがとう!」
「ドウツキさん」
燃える双子の都市を見つめる俺の背後から、かすかに震えるニエルルの声がする。
「ドウツキ君」
「ドウツキちゃん」
クラクと、クローディアの声もする。
「……ドウツキ」
ミッドの声がする。だけど、俺はどうやって振り返って良いか分からない。街には人がいた。彼らは今、逃げ惑っているのだろうか。石の城が赤い中にくっきりとしたシルエットを作って、一つ、また一つとレンガをこぼしている。
双子の都市は、今、まさに死のさなかにあった。この、老人の酔狂と、俺のせいで。




