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一九一八年十一月十一日午前五時、コンピエーニュの森の列車にてドイツと連合国の休戦協定が締結され、同日午前十一時に発効し。これにて、第一次世界大戦西部戦線は終わりを告げた。
「終わった、かあ」
私は、戦争が終わった、と言いつつ、まだ手足を切らないといけない人がいることに辟易としていた。
一九一六年四月二十一日の、私達が行った『捨て奸』は大成功し、パリ後方の一時避難所に二百人もの同胞がたどり着けた。
大混乱していたパリの指令部は、そこでようやく『ヴェルダンの英雄』ルシア・ベント少佐こと私が後方に避難出来ていないことを知り。慌てて救援部隊を派遣。幸い、点々とアジア兵団の同胞が転がっていたことから、私はすぐ見つけられた。
あの時の後半は意識が朦朧としていて分からなかったけれど、私の周辺には百のドイツ兵の死体が転がっていたらしい。
その死体の中に転がっていた私に、救援部隊は慌てたものの。まだ息があったので、私は無事回収され。『ついで』に、転がっていた同胞のうち生きていたものは回収された。
結果的に、パリ東二号臨時病院にいた五〇三名のうち、二六七名が生き残った。
この戦いは『パリ・ステガマリ』として世界的に知られるようになり。私とアジア兵団の名声が一段と高まることとなった。
だけれど、ポルトガル領ティモール警備隊がこの戦争で活躍することは、以後なかった。『カイザーシュラハト』に医療部隊と護衛部隊も巻き込まれたことで、パリを奪還した頃には、ティモール遣ヨーロッパ部隊は一二二人にまで減っていたからだ。
植民地警備隊幼年学校時代、私と同室だったイラ・ガーグとアマリア・シルバもこの時戦死した。アンナ・ホルタだけは生き残ったけれど、それでも毒ガスで左目を失明している。
これらの犠牲の結果、宗主国ポルトガルはポルトガル領ティモールを『ティモール自治領』として自治権を引き上げることを、第一次世界大戦中に決定。
まあ、本国軍は警備隊よりも不甲斐ない戦いしたからね。それでイギリスとフランスから『いっそ独立させろ!』と圧力を受けた訳だから、自治権の引き上げも当然かな。
あと、植民地警備隊は『参謀本部』の下、『ティモール陸軍』、『ティモール海軍』、『ティモール空軍』がある形に再編成されることになった。
陸軍は、今まで通りだけれど戦死者が多すぎて再編が難しい。
海軍は、オーストラリアから購入した掃海艇二隻を中核に、習熟訓練中。
空軍は、航空機の選定中。
そんな具合になっている中。私はこの大戦終結と同時に、ティモール陸軍大佐になった。
ティモール軍は大佐までしかなれない、と今の法律ではなっており。また、海空軍はまだ佐官がいない。つまり私は、ティモール陸軍の総司令官となり、場合によっては海空軍の面倒を見る必要もあるのだ。
一九一九年に入り、イギリスはロンドンで始まった中央同盟諸国との講話会議に、私は何故か、二人いるポルトガルの代表のひとりとして参加している。
この講話会議唯一の女性の代表な上、左の耳たぶがなく、右頬に銃痕が走っているという厳つい見た目のせいもあって、マスコミはかなり騒いでいるけれど。そんなことより、私はこの滅茶苦茶な講話会議に辟易としていた。
「だからその額は不可能だ!」
「不可能と言うから不可能なんだ!」
フランスの代表が筆頭となって、ドイツに天文学的な賠償金を支払わせようとしていて、ドイツは払える訳がない額に抵抗している。
面白いのは、この講話会議のオブザーバー的な立ち位置の学者さん達がドイツの味方に付いていることだろう。そりゃあまあ純金換算で五千トン相当の賠償金なんて、払える訳がないことなんて少し考えれば分かるし。賠償金以外にも家畜とか鉱山利権、領土での賠償もすることになっているんだから無理だろう。
「で、ベント代表は何か提案はあるか?」
もうひとりのポルトガル代表で、前内閣議長のアフォンソ・コスタが目の前の騒ぎを尻目に尋ねてきた。
「提案、になるのでしょうね。賠償艦についてです」
「ああ、残存艦艇のことだね」
「あれ、ちゃんと引き渡されなかった時は賠償金増やすようにしましょう」
流石前内閣議長というべきか。コスタは私の言いたいことを理解した。
「……自沈させると!?」
コスタの驚きの声に、視線が集まるのを感じた。
「ええ、その可能性が」
私は前世の記憶と、今世見たドイツ人の印象から判断する。
「プライドの高いドイツ軍人のことですから、艦を引き渡すという屈辱的なことはしたくないでしょう。だから、確実に賠償艦が引き渡されるようにすべきです」
「それもそう、だ……、な…………」
コスタはここで、私達が注目を集めていることに気付いた。私はそんな彼を無視して、ポルトガルとしての、ティモールとしての意見を言う。
「我々としては、賠償金の額よりも賠償がなされることの方が重要です。なので、これは同意した国だけで良いのですが、賠償金の代わりに物納を認めてはどうか、と考えます」
「物納、つまり鉱石等のことか?」
イギリス代表が微笑を浮かべて言う。
「いえ、もっと幅広くですね。工業機械や穀物での支払いも可能にすべきです。各々で交渉した結果を認める、という形が良いですが」
「なるほど、なるほど。……イギリスとしては、ポルトガルからの二つの提案に賛成です」
「ベルギーとしても賛成だ」
「合衆国も、賛成する」
こうして、滅茶苦茶になったヴェルサイユではなく、バッキンガム宮殿で行われたことで『バッキンガム条約』と言われるようになった前世の世界でいうところのヴェルサイユ条約に、次の文が加わった。
・ドイツが賠償艦を引き渡さなかった場合、その艦の価値に応じて賠償金を増額する。
・賠償金は、ドイツと各国が個別に交渉し、同意を得られた場合のみ、物納を可とする。




