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驚いたことに、病院の面々で戦いに志願しない人はいなかった。
「後ろに向かって全速前進!」
置いていく同胞に後ろ髪を引かれつつ、四百人の行軍が始まる。百人は、バリケードに残って全面抵抗の構えだ。
砲火はますますパリを破壊して、私達の回りにも砲弾が落ちる。
バリケードの方から、拳銃の軽い銃声がし始めた。
(止まるな!)
自分に言い聞かせつつ、歩き続ける。
「……え?」
すると、バリケードの方から、歌が聞こえてきた。
「Some talk of Alexander,And some of Hercules」
ああ、行軍訓練の時よりも、いい発音になったなあ。
「Of Hector and Lysander, And such great names as these」
撤退する面々も、歌い始める。
「But of all the world's great heroes, There's none that can compare」
だけれど、バリケードの方の歌声は小さくなっていき、撤退する面々の盛り上がりも小さくなる。
「With a tow, row」
この曲は『The British Grenadiers』だ。
「row, row」
私達東ティモールやシャム、日本の曲じゃない。
「row, row」
それが、とても悔しかった。
「To the "Asian" Grenadier」
バリケードの方から、そんな歌詞が、聞こえてきた。
止まりそうになる足に喝を入れて、私達は進む。
「Those heroes of antiquity Ne'er saw a cannon ball」
今は借り物でも良い。
「Or knew the force of powder To slay their foes withal」
借り物の歌でも良い。
「But our brave boys do know it, And banish all their fears」
だから、未来、私達の『歌』を歌おう。
「Sing tow, row, row, row, row, row, For the "Asian" Grenadier」
だから今は、これで我慢だ。
溢れる涙もそのままに、私達は撤退を続ける。皆、笑顔で泣きながら、歌い続ける。
「ここまでです! ご武運を!」
「ああ!」
そんな面々が、ひとりずつ抜けていく。
「先に地獄で待ってます!」
「すぐ私も行く!」
ひとり。
「さようなら! お元気で!」
「さようなら!」
またひとり。
「生きて故郷に帰れよ!」
「分かった!」
抜けていく。
「っ!」
お腹の傷口が熱を持つ。傷口が開きかけているのだ。
「私はここまでだ! お前らは進め!」
私は怒鳴るように言う。
「はいっ!」
「いい返事だ」
私は笑って隊列を外れ、左手の家だった残骸の壁にもたれる。
「ふー……。良し!」
気合いを入れ、残骸の内側に潜む。
「あ……」
雨が降ってきた。
「一人でも多く、たどり着いて欲しいな……」
呟きは、雨音にかき消された。
「最後の武器は、角材尖らせた槍、かあ」
苦笑する。我ながら酷い作戦を立てたものだ。軍法会議ものだ。
「ま、それでもいっか」
銃声が近付いてくる。
「よっ、と」
残骸の影、飛び出しやすい場所に位置取りしつつ、通りにドイツ兵がやって来るのを待つ。遠目に、通りに転がる同胞に三人のドイツ兵が銃剣を突き立てるのが見えた。
「私もすぐ行く」
懺悔のような言葉を吐き、角材槍を強く握る。
ドイツ兵達は酷くなる雨に姿勢を崩しつつ、通りを走ってくる。
ひとり、道路に転がっていた同胞の逆襲にやられ、二人になった先鋒のうち、後ろの奴が私の横を通る瞬間。
「シッ!」
角材槍をその首に付き出す。木の穂先はその細い首を貫き、血が吹き出した。
『この野郎!』
先頭を行っていた奴が、ドイツ語で罵倒してくる。私は貫いた奴の体を蹴って穂先を抜き、素早く先頭の奴の腹に角材槍を突き立てる。布と肉を貫く、鈍い感触。
『ぐっ!?』
グリン、と捻って穂先を抜くと、内臓がこぼれ落ちてくる。角材槍の穂先はすっかり潰れていて、使い物にならなさそうだ。
銃を捨てて内臓を抱えた奴の落とした銃を拾い、そいつの頭を撃つ。血と脳漿が飛び散り、雨に流されていく。
「…………」
私は先に殺した奴の銃も奪い、建物だったものの影に隠れつつ、通りを狙撃出来る姿勢を取る。
通りを注視する先では、首に角材槍を刺した奴が空虚な目で恨めしげに私を睨んでいた。
「若い、な」
その、若い、というよりも幼い顔付きに、彼らも犠牲者なんだな、と思った。
私達の独立のための、犠牲者なのだ。
「足りない、ね」
ますます熱くなる腹を無視して、私は通りを走ってくる兵士達の頭を、丁寧に撃ち抜いていく。
「足りな、い」
私達が独立するには、まだ足りない。
「我ながら酷い奴だなあ」
苦笑する。同胞を死なせて。敵を殺して。そうして故郷の独立は成る。私達の屍の上に、我らの旗は掲げられるのだ。
その血塗れの旗がひるがえるために。
ドイツ兵よ、ここで私と死んでくれ。




