正気度チェック 僕がしてる
「私は彼の嫁なんだから!!」
静まり返った廊下に水野綾の言葉がエコーがかかったように反響する。
誰もがみんな口をあけ、驚愕している。無論は俺も。
「そ、そんな訳ないじゃん!!だぁりんは私と結婚してくれるって約束したんだから。」
沈黙を破ったのは俺の背中におぶられている金森柚子。
そうだ。そんな訳はない。あんな美少女が俺の彼女であることすら天地がひっくり返ってもありえないだろう。なのに嫁なんて、天地がひっくり返って絵画から人が飛び出してラップ勝負を始めたとしても、ありえない。
だから、金森の言っていることは間違っていない。間違っていないのだが…
「お前と結婚なんて、そんな約束した覚えはないぞ!」
「したの!するの!だぁりんは今黙ってて!!」
「そうだよ。凛は黙ってて。」
「俺、一応当事者なんだけど…」
誰にも届かないくらいの消え入りそうな声が口から溢れる。
そういえば、さりげなく水野に下の名前で呼ばれてしまった。なんだこれ。嬉しい気持ちと複雑な気持ちがグッチャグチャのスパゲティみたいになってる。
というか水野ってこんなだっけ?もっと大人しい女神みたいな子だと思ってたんだけど。
「だいたい金森さん…だっけ?あなた、あんまり凛に好かれてないように見えるけど?」
「そ、そんなことないもん!だぁりんは照れ屋さんだから人前だとこんな感じだけど、2人の時とか人に言えないくらい甘えさせてくれるんだから!」
「そんなことは私だって知ってるんだから。どんなに忙しくても私の要望に応えてくれるし。」
「あんたなんかよりも私の方が全然可愛がってもらえるんだから!」
「あなたは所詮彼女でしょ。私は彼の嫁なの、妻なの。この意味分かる?」
じゃじゃ馬達からものすごい目で見られている気がする。ジリジリと正気度を失っていくのを感じてしまう。このままだと「狂気」状態になっちゃうよ。正気度チェックしなきゃ!
そんな一人TRPGを楽しんでいる俺をよそに、2人はバチバチと火花が散るような幻覚すら見えてくるほど、睨み合っていた。
流石に眺めてる場合じゃないよな。俺が言わないと止まらなそうだし、やれやれ…。あっ!これが巷で流行りの「やれやれ系主人公」か!ちょーナウいじゃん。
とりあえず背中におぶっていた金森を強引に下ろす。えぇ、と可愛い声で駄々こねてくるが、ここは心を鬼にしなくては。
コホンッ、とわざとらしく咳払いをし、そんな様子を見てくる2人に向かうようにして海賊王ばりにドンッと構える。ここは男としてガツンと言ってやらねば。
「俺はお前らと恋人になった覚えも、結婚した覚えもないぞ。」
じゃじゃ馬達からひそひそ話が聞こえてくる。
「え、じゃあ遊びの関係だったって事?」「対してカッコ良くもないくせにあんな美女2人も侍らせやがって」「水野さんと金森さんがかわいそう」「マジかよあいつ最低だな。」
おっと、あらぬ誤解を受けていますね。こいつら本気で俺ごときがこんな美女2人と付き合えると思ってるのだろうか。百歩譲って金森とならありえなくはない。ただ、水野とは100%ないだろうな…
自分で言ってて死にたくなる。
というか、最後のセリフは聞き覚えがある声なんだが。クソッ、オーストラリア土産如きがなめやがって。
そんな周りの反応など御構い無しに水野と金森は俺に噛み付いてくる。
「だから、いつかそうなるんだって!」
「そのうちそうなるの。」
珍しく同調する2人。
(こいつら電波入ってんのかな。)
金森だけならいざ知らず、水野もそっち側だと思うと今まで抱いてきた理想がパリンと音を立てて崩れ去る。
水野に恋心を抱いてなかった事が唯一の救いと言えるだろう。
「いつか、とか、そのうちって言われても…」
正直どう反応していいのか分からない。なんなら言っている意味も分からない。昨日までの平穏は一体どこに行ってしまったのだろうか。
とりあえず誰でもいいからお願い!助け舟プリーズ!!
願いというのは意外にも呆気なく通じるものである。
「少し通してもらえるかしら」
じゃじゃ馬の群れの向こう側から姿の見えない女性の声が聞こえてくる。群れは真っ二つに分断されるかのように廊下の端へと追いやられ、真ん中には1人の女性がこちらに歩いてくる。
その女性は、1年以上この学校にいるものであれば誰でも知っているだろう人、我が学校の生徒会長『月乃瀬 楓』だった。
―月乃瀬 楓
綺麗なロングヘアをした大人の女性身溢れるその風貌は水野にはない妖艶さを醸し出す。人によって水野綾派か月乃瀬楓派に分かれるほど。うちの学校の二大美少女と言っていいだろう。
美しい見た目だけではなく、二年、三年と連続で生徒会長に勤めるなど生活面もかなりキッチリしている。
ただし、その厳格な性格から校則を守らない生徒に対してはかなり厳しいらしく、うちの学校では、生徒指導の先生より生徒会長の方が怖いと言われるほど。
そんな彼女がここにきた理由は薄々分かっている。恐らく何処からか噂を聞きつけて、このちょっとした祭り事みたくなっている現状を、生徒会長自らの手で沈静化を図りに来てくれたのだろう。
あまりの有難さに涙が溢れそうになる。ありかだや、ありがたや。実は水野綾派閥の者だったけど、今日を機に月乃瀬楓派に改心します。月乃瀬楓こそ女神である。あと、蕎麦派からうどん派に改心します。特に意味はないけど。
人知れず宗旨替えをした俺とは裏腹に、心底不快そうに腰に手を当て見てくる女神様。
「本当にあなたという人は。」
目の前の女神は呆れたような口ぶりでため息をつく。
あれ?なに、その昔から知ってますよみたいな反応。初対面ですよね。えっ、ちょっと待って。嫌な予感しかしない。
月乃瀬楓は再びツイッター女子に昇華した俺の手を強引に掴む。あれ、なんだこの手。
「えっ!?」
「ちょっと!」
「この騒ぎの発端である彼は少しの間生徒会室で預からせていただきます。行きましょう。」
咄嗟のことに反応が遅れ、まともに反応もできない水野と金森、そして俺。
そのままリードにつながれた犬のようにグイグイと引っ張られていく。
(やばい、手すげぇやわらかい。あと、すげぇ匂いってそんなこと考えてる場合じゃない!!)
「ちょ、俺まだ昼ごはん食べてないんですけど。」
そんな俺のささやかな抵抗も虚しく、無言の彼女に引っ張られ続ける。
しばらく手を引かれてから後ろを振り返ると、じゃじゃ馬達の間から、だいぶ小さくなった水野と金森が唖然としているのが見えた。