魔王、触れられない恋が始まったようです
リリィと再会したのは、俺が二十八歳になった時だった。
雨の中、自分の失踪を知って絶望感に打ちひしがれ力なく立ちすくんでいるリリィは、宗教画のように美しく、何より尊かった。
『僕がいなくなって、リリィは悲しんだのかな……』
と不毛な妄想を魔王時代何度もしたが、実際にその光景を目の当たりにすると全身の毛が逆立つほど興奮を覚えた。「リリィ」と声をかけようとして、僕は躊躇った。この美しき光景を単略的な解答で汚してはいけないような気がしたのだ。
「そんな所に突っ立っていたら風邪ひくぞ」
通りすがりの親切な赤の他人のように声をかけるが勿論、リリィは動かない。彼女の頑なな態度はユーゴである僕を興奮させたが、リアムとして苛立ちを見せ、
「こっちに来い」
と彼女の手をひいたが、リリィは勢いよくその手を振り払った。
「放っておいて」
「お前、リリィだろ?ユーゴって奴から頼まれたんだ」
今まで視線も合わせようとしなかったリリィが『ユーゴ』の単語にパッと顔を上げた。その両目は赤く充血しており、嫌という程泣いていた事実を物語っている。
「ユーゴ?ユーゴはどこに居るの?」
「魔王城に行った。あんたと結婚するために魔王を倒しに行くと伝言を頼まれた」
この雨の中で不毛なユーゴ捜索を止めてもらいたく言った言葉だが、直ぐにリリィは何かを考えるような表情を浮かべた。まるでボードゲームの数手先を思案するような真剣な表情に思わず顔がニヤけそうになる。しかし次の瞬間、彼女の発した言葉に耳を疑った。
「私を買って下さい。何でもします。だから私を女王にして下さい」
十三歳の少女の口から出るような言葉ではなく微かに目眩がした。
「自分を傷つけるようなこと言うもんじゃない」
自分だったから良かったものの、相手が少女趣味の変態だったらどうなっていたかと思うとゾッとした。二度とこのような事がないように……と注意しようと思ったが、返ってきた視線は鋭かった。
「あんたに何が分かるのよ。善人みたいな顔をしているけど、何にもしてくれないじゃないの!自分を大切にしろ?次は神に祈れとでも?」
初めてリリィに敵意を向けられ、思わずたじろぐ。どこかでスンナリと彼女に受け入れて貰えると思っていた自分が恥ずかしくなった。
「それでは私めに公国を頂きたい」
一世一代の嘘だった。
「お前みたいな小便臭いガキ、買ったところで旨みなんてないからな」
本当は今すぐにでも抱きしめたかったが、二十八歳の俺にはそれは許されない。
「女王にしてやる。その代わり公爵に取り立てて、自治領を認めてもらいたい」
「汚い大人ね」
リリィは、まるでゴミくずを見るかのような視線を俺に投げかける。
「年齢的には第一王女だが、現時点で王女として認知されてないあんたは、そんな汚い大人しか、頼れないってことを覚えて頂きたい」
リリィは小さくため息をつくと、下唇を軽くかみ悔しそうな表情を浮かべた。だが少しすると俺の瞳を見据えるようにして
「分かったわ。約束する。私が女王になったら、金でも地位でも女でもなんでもあげる。その代わり女王にしてちょうだい」
と高らかに宣言した。再び彼女の瞳に自分が映ることができ、俺は冷たい雨に打たれながらも興奮で身体が熱くなるのを感じた。