悪役令嬢・リリィの人生は十八歳で終幕なようです
先ほど見送ったはずのラルフだが、心なしか着ているものはくたびれており顔も若干老けたような気がする。
「ラルフ……?」
「そうだよ。ラルフだ。魔王城に幽閉されている君を救い出すために、百年後から時間をさかのぼってやってきたんだ」
百年という時間が過ぎても大きくビジュアルが変わらないのは、さすがエルフだ。そしてそんなエルフだからこそ時空を遡るというような“とんでもない魔法”を編み出せたに違いない。
「直ぐに魔王城へ戻ろうと思ったが移転魔法は使えなくなっていたし、エドガーが王に即位した後連絡を取ろうとしたらリリィは死んだっていうじゃないか。だから、こうして迎えにきたんだ」
国へ戻らないための口実に“死んだこと”になったのだろう。
「なのに君は私達を『どうでもいい』なんて言うのか?!」
確かに『どうでもいい』は言い過ぎだが、本心としては好きでも嫌いでもなかったし、ユーゴがいる以上いてもいなくてもよかった。勿論、そんなことを言おうものなら、火に油を注ぎそうなのであえて口にしない。
「君のことを残されたみんながどれだけ心配したか知っているか?シリルはあの後、神官長にならずに移転魔法と時空魔法について死ぬまで研究し続けたんだ。君にもう一度、一目でも会うために」
シリルが神官長にならなかったことに軽い驚きを覚える。彼の人生をかけた願いだったはずだが……。そして天才的な頭脳を持つ彼ですら、時空を遡る魔法を編み出せなかったことにも驚かされた。
「一年後にアーロンは帰ってきたが、廃人状態だった。ディースターヴェク家の領地に引きこもっていたが、君が死んだことを知って自殺したよ」
先ほどアデラインがいった『蘇生の儀式』が成功したことを知ると同時に、彼が死を選んだことにショックを受けた。戻って近衛隊に復職し、適当に結婚して幸せになるとばかり思っていた。
「エドガーだって家臣や神官がどれだけ反対しても魔王城との国交を正常化させようと奮闘したんだぞ。今みたいに国交がないから君に会えなかったって……。でも最終的には元王妃一派から暗殺された。魔物と慣れ合うような悪政を敷いたためと正当化すらされ、ヨーク家は取り潰しとなった」
おそらく元王妃の子供が成人したタイミングで行われた暗殺劇なのだろう。ツメが甘いエドガーらしいといえばらしい。
「元王妃一派が権力を手にするようになり、わが祖国の再建も失敗に終わった。リアム殿の領地を引き継ぐことが許されたが、王国の再建なんて夢のまた夢で細々と難民を収容するしかできていない」
「謝って欲しいなら謝るわ。でも私は自分で『ここに残る』って言ったし、あなた達の目的も叶えて差し上げたわよね?それ以降のことまで保証なんて最初からできなかったわ」
「違う!!!」
ラルフは大きく叫ぶと、ずかずかと大股で私達との距離を縮める。
「私達は君を愛していたんだ。確かにそれぞれ夢や野望はあったけど、その先に君への愛は確かに存在した!!! そうでもなければ、あんな離宮になんて最初から入らなかったはずだ!」
勢いよくラルフが私の腕をつかみ、ピリッとした痛みが走った。
「お願いだから帰ろう。今なら間に合う。みんなで、あの離宮で過ごそう」
「リリィは僕と一緒に残るって約束したんだ」
そんなラルフの腕を振り払ったのは、ユーゴだ。そのまま私を抱き寄せると、ラルフとの距離を数歩取る。
「もし本当に君達がリリィを愛しているならば、リリィが『ここに残る』と言った時に、一緒に残るべきだった。君はあの時、リリィではなく自分の夢を選んだんだろ? なら諦めろ」
胸を突かれたように何も言わないラルフだったが、ユーゴの言う通りだった。今更戻ってきて、『苦労したから帰ろう』と言われても困る。私もその言葉に同意するようにユーゴの胸に顔を埋めると、ラルフは小さくクックと小刻みに笑い始め、次第にネジが外れたようにゲタゲタと笑いだした。
「そうか……そうなのか……君の気持ちは分かった。それならば私達のこの身を引き裂かれるような想いも味わうといい。百年も二百年も永遠にさ迷うがいい」
そう言うと持っていた杖を一振り大きく振り下ろした。
「この百年、私が研究したのは時間に関する魔法だけではないのだよ」
怨嗟のような低いラルフの呪文が小さな無数の光に代わり、私とユーゴの体を包み込む。何とか逃げようとあがくが思うように身体が動かず、初めて小さな恐怖に襲われた。
「私は何度も君にチャンスを上げたはずだ」
「何度も?」
ラルフが主張する身に覚えのない“チャンス”の存在に思わず首を傾げる。
「離宮で君の本心を引き出してあげたじゃないか。本来の君は私達に魅了されたし、私も君に魅了された。その目の前の醜い魔王にすがるよりもよっぽど健全な姿だったはずだ」
「記憶がなくなったのはラルフの仕業なの?」
「ようやく気付いたか。まぁ……そんなことはどうでもいい。もう二度と顔を合わすことなんてないんだからな!!」
ラルフの使った魔法が何なのかは分からなかったが、彼の言葉からユーゴから引き離されることだけは痛い程伝わってきた。
「嫌よ……いや、いやいやいや」
無力に叫びながら大粒の涙が次から次に溢れてきた。ユーゴに会うために私は、これまでどれだけの人を騙して苦しめてきただろう…。持てるものがないと言い訳したが、非道なことでも出来ることは全部やった。
人の婚約者を寝とった。
結婚すると騙して恩人を裏切らせた。
国の発展のためと言って研究だってさせた。
公爵家の繁栄をちらつかせ、婚約者の一人にさせた。
気のあるふりをしてお金を湯水のように使わせた。
確かに“リリィ”としての記憶を無くした時に、本当は彼ら一人一人をどこかで愛している自分もいたことに気付かされた。ユーゴに対する罪悪感からその気持ちを押し殺して生きていたが、だからこそ彼らを裏切る行為を続けるのは本当に苦しかった。
でも彼に会うためには、こうする以外方法がなかったし、そんな想いをしてようやく手にいれた彼を手放したくはなかった。私はユーゴの服に思わずしがみつく。
「嫌よ!私、あなたと離れたくない」
「大丈夫」
そんな私を安心させるように彼のゴツゴツした手が私を強く抱き寄せ、優しく微笑んだ。
「何が大丈夫なのよ!」
余裕があるユーゴに私は軽く苛立ちヒステリックに叫ぶと、今度はクスリと声をあげて笑う。
「相変わらずだ。ワガママで無鉄砲で泣き虫で……大好きなリリィだ」
身体が宙に浮きユーゴの手を慌てて掴むが、私達を包む光によって引き離されていく。助けを求めてユーゴに視線を送るが力なく首を振った。
「大丈夫。今度は僕が君を見付けに行く。百年でも二百年でも何回生まれ変わっても、どんなに辛くてもどんなに悲しくても諦めないから待っていて」
「絶対よ?!絶対だからね」
「僕を信じろ」
その言葉を最後に私の体は宙へ放り出され、次の瞬間意識はなくなっていた。これが第一王女として命を受けたリリィと魔王となったユーゴの最期でもあった。