“リリィさん”の記憶が戻ったようです
『今度こそ王宮に帰れる』
という希望を込めて開いた目の前には絶望が広がっていた。玉座であることには変わらないが、その玉座にはドラゴンのような顔をした人物が座っている。
確実に国王ではない。
「あら、随分、遅かったこと」
そのドラゴンのような人物の隣に立っている黒髪の女性もやはりドラゴンのような鱗が右半身を覆っており、背中には羽まで生えている。こちらも確実に人間ではない。
「お初目におめにかかります。第一王女のリリィでございます」
現れた瞬間、私達を瞬殺できそうな彼らだ。生かしておく理由があるに違いないし、その理由が何にしろ逃げる余地がある。ならば何もできない私が時間を稼ぐべきだろう。
「あらあら、随分大きくなって……」
そんな緊張感を無視して、女性はまるで親戚の子供をあやすような雰囲気で私に近づいて来ようとする。それを玉座に座るドラゴンが片手で制止した。
「もう時間はないようです。手短に説明しましょう。私はいわゆる“魔王”です」
一番聞きたくなかった言葉かもしれない。もしかしたらちょっと強そうな魔物かな……とは思っていたが、“魔王”が本当に存在したことに衝撃を受ける。
「ここで私から“聖剣”を受け取れば、リリィ様は女王の戴冠の儀式は完了します。直ぐに王宮への移転魔法陣を制作しますね」
思わずその言葉に耳を疑った。どうやら彼は、魔王本来の役目である『殺す』『倒す』というワードが付く生き物とは、別次元に存在しているようだ。身軽に玉座から立ち上がると私達の場所へ近寄り、地面に魔法陣を描き始めた。
「最初から決まっていたことなんですか?」
あまりにも段取り通りという所作に拍子抜けながら聞くと、魔王は(おそらく)笑顔を私に向けた。
「国王様には『王城で戴冠式を行っていただければ十分』とお話したのですが、そうもいかなかったようですね」
「父上と話を?」
「ええ。“魔王”といわれていますが、元々私も人間です。形式上、ここで魔力を管理しているだけの人間ですので、必要があれば国王様とも連絡はとっておりますよ」
魔法陣を描き終えた魔王は腰に携えた剣を私に手渡す。
「お連れの方々がお辛いようだ。詳細については後日、説明いたしましょう。ささ、魔法陣の上にみなさん入ってください」
にわかに信じがたい事実だが、もし彼が魔王で私達を殺すのが目的ならば、早々に殺しているはずだ。わざわざ魔法陣でどこかに転送しようという発想には至らないに違いない。
「俺は、パスだ」
他の四人が魔法陣に入る中、リアムさんだけはそう言って両手を上げた。マントで隠していた左腕もハッキリと見える状態になり、隣にいたエドガーは「ひいぃ」と悲鳴を小さく上げる。
「既に腕がこんな状態だ。王城に帰っても殺されるだけだろ」
その言葉に私は、ようやく先ほどのリアムさんの「止めるか」という問いの意味が理解した。彼は私が『女王になる未来』に自分が添い遂げられないことを薄々察しており、「止めてどこかへ逃げないか」というのは彼の最後の願いだったのだろう。彼の瞳が渇望の色に染まっていたことをようやく思い出した。
張り裂けそうになる胸の痛みに押し出されるようにして、私は魔法陣から思わず飛び出していた。
「私も残る」
その発言に最初に抗議したのは魔王だった。
「残ったら女王になれないんだよ?」
「リアムさんを置いて女王になんてなれません」
「この魔法陣、一年に一回しか作動できないから次帰れるのは一年後です。それに、ここから帰れなかったら死んだり、失踪したことになります。もう第一王女じゃないんですよ。それでも?それでもこんな男のために残るんですか?」
必死で魔王は説得するが私は黙ってうなずき、持っていた聖剣をエドガーに渡した。
「エドガー、あなたが王になって」
「ダメだ。一緒に帰ろう」
エドガーは私の手首を掴んで引き寄せたが、私は静かに首を振る。
「私が王にならなくても貴方が王になれば、ヨーク公爵家も安泰よ」
泣きそうな顔をするラルフにも優雅に微笑んでみせる。
「ラルフの国のこともよろしくね。エルフ難民の扱いは酷いの。難しいことだとは思うけど、お願い」
最後に真っ青な顔をしているシリルにも視線を送った。
「あとシリルを神官長にするって約束していたの。お願いしていい?」
エドガーは唖然としながらも剣を受け取り、コクコクと頷く。
「今言ったことは私に託された物だけど、きっと私ではなくエドガーが王になっても成し遂げられると思うの。でもリアムさんの願いは私にしか叶えられない」
その言葉にようやくエドガーは私の手を離した。私がリアムさんの元に歩み寄るのを見ると魔王は大きくため息をつく。
「あぁぁぁ!もう、知らないよ」
まるで子供のように苛立ちを隠さず魔王は私を(おそらく)睨みつけると、魔法陣に向かって小さく呪文を唱えた。少しするとボーっと魔法陣は緑色に光り、エドガー達を包み込む。
「その聖剣抜いて」
魔王にそう言われ、エドガーが聖剣を抜くとあたりは、まばゆい金色の光に包まれた。エドガーの実家の祭壇で見た聖剣の光をさらに数倍明るくしたような光に思わず目をしかめると、後ろからリアムさんが私を支えてくれた。
「本当にいいのか?まだ間に合うぞ」
『うん』と言いかけて、突然襲ってきた頭痛に思わず頭を押さえる。その頭痛が合図のように次から次に走馬燈のようにリリィさんの記憶が蘇ってきた。
幼い頃、神殿に預けられ生活した日々。
学園で過ごした日々。
ユーゴが失踪した日。
リアムさんに会った日。
女王になろうと決意した日。
リリィさんの記憶だと思っていたものが、全て自分のの記憶だったことに気付かされる。平凡な女子大生だった私が転生したのは十八歳のリリィさんではなく、それよりもはるか前この世にリリィさんが生を受けたタイミングだった。
そう……私は「リリィさんに転生」したことを忘れていたのだ。