悪役令嬢、「大人の恋」を始めるようです
救助された人々の手当てや入国手続きなどが全て終わった頃には、日付が変わりはるかに時間が過ぎていた。部屋に帰ろうとすると、リアムさんが塔へ続く階段から顔をのぞかせ手招きをするので思わず駆け寄った。
「ここの塔の最上階ってどうなっているか知っているか?」
手を引かれ階段を一段一段と上がる。二階は空き部屋になっており、三階はエドガー、四階がアーロンで五階がシリル。その上にリアムさんの部屋があり、最上階はラルフの部屋となっているはずだ。
「ラルフの部屋?」
順当に行くとそうなるはずだが、リアムさんは首を横に振った。
「国王がこの離宮を建造されたんだが、王妃様とそれぞれの側妃ごとに部屋を作らせただけじゃなく、最上階に空き部屋を1つ作ったんだ」
そう言って案内されたのは、ラルフの部屋の横にある小さな扉だった。決して大柄ではない私ですらかがまないと通ることができないような小さなものだ。その階段は上に上がるにつれ徐々に幅は狭くなり、最上階にたどり着いた時は女性が1人、アーロンほどの大柄な男性になれば、体を横にしなければいけないぐらい狭い通路になっていた。
その通路の先には真っ白な扉がポツリと壁の間に浮き上がるようにしてあった。
「ここはユリの間って言うらしい」
そう言ってリアムさんが開けた扉の先に広がる光景に思わず息をのんだ。藍色の壁一面に大小無数のユリが描かれており、カーテン、シーツ、カーペット、装飾……いたるところにユリがモチーフとして用いられていた。
「リリィの母親は若い頃、“ユリの聖女”と呼ばれていたんだ。王とは王城の学園で二人は知り合ったが、当時の国王には婚約者がいたため関係を公にできず、正式に二人が婚約した時には既に君を身ごもっていたらしい」
王族でありながら、なかなかスキャンダラスな二人だ。
「しかし国王が王位を継承する際の儀式を行う直前、リリィの母親は失踪。それを悲しんだ国王がこの部屋をこっそり作らせ時々訪れていたっていわれている」
王妃様からすれば失踪した元カノの部屋を自分の部屋の上に造られ、さぞ不快だったに違いない。リリィさんに対する当たりが多少強くても仕方ない気がした。
「まったく生産的でもないし決して届かない愛情だけど、国王様は誰よりもリリィの母親を愛しているんだと思う」
「リアムさんは、リリィさんのお母さんが好きだったの?」
二人について熱く語るリアムさんを見ていて思わず質問していた。リリィさんに対して今一つ踏み込めないのは、母親の存在が原因なのではないだろうか……そんな私の推理をリアムさんは軽く笑い飛ばす。
「いやいや、それはない。確かに世話にはなって感謝しているし、尊敬もしているけど“愛情”っていうとちょっと違う気がする」
「会ったことはあるの?!」
意外な新事実だった。離宮や神殿、王宮にもリリィさんのお母さんについて記されている文章はなく、絵画すら残っていなかった。周囲に聞いても漠然とした人物像を語られるだけで、実際に会ったことがある人物から話を聞くのは初めてだった。
「あるよ。短い期間だったけどね。本当に綺麗な人だった。行き倒れていた俺を助けてくれて生きる術を教えてくれたんだ。目元が似ているかな?」
私の顔にそっと手を当ててそう言ったリアムさんの表情は、とても柔らかかった。
「国王様がこの部屋を作ったって知った時は、悪趣味だな……って思ったけど今ならその気持ちが分かるかもしれない。届かない愛をなんとか形にしたかったんだろうな」
リアムさんの顔が近づき自然と唇が重なる。何度かの口づけをするうちにベッドの上に一緒に倒れこんだ。このままなし崩しに関係が始まりそうで私はあわてて口を開いた。
「リアムさんが好き」
私から体を離し、リアムさんは少し驚いたような顔をした。
「初めて聞いた」
「関係がないだけじゃないの?」
肉体関係はないにしろ、リアムさんからの溢れんばかりの愛情を感じていたリリィさんならば『愛している』だの『好き』だのと言う言葉を囁いているとばかり思っていた。
「前も言ったけど、リリィは全部が女王になるための手段だったって。一緒にいた時間は長いが『好き』だなんて聞いたことなかったな」
「そうしないと辛かったからじゃない?好きな人がいるのに他の人と関係を持つって辛いもん。どうせなら誰も好きじゃないフリをしていたのかも……」
リアムさんは「お前は優しいな」と言って私を優しく抱きしめる。リリィさんに適わないのは重々承知していたが、この場所ではリリィさんとしてではなく平凡な女子大生である私としてリアムさんに気持ちを向けて欲しかった。
その想いが伝わったのか、
「大好きだ」
と言うとリアムさんは優しく唇を重ねる。多分、その言葉には「リリィさんの次に」という言葉が入っていたのかもしれないが、今の私にはそれで十分だった。
その日の夢は妙にリアルだった。
八歳ぐらいの少年と一緒に本を読むだけの夢だ。少年が図書室の本棚から持ってきた大きな本を2人で読んでいた。インクの匂いやページをめくる感覚までリアルに伝わってくる。
一緒に一冊の本を読むのが嬉しいのか2人は1ページ読み終わるごとに視線を合わせてからゆっくりページをめくる。少年は文字を読まずに少女の横顔を見ているだけだったが、少女はそのことには気付かず、毎回自分よりも先に本から視線を上げている少年に「読むの早いな」と感心していた。
見たこともない図書室、茶色い髪に緑の瞳の少年。少ししてこれはリリィさんの記憶ではないか……と気付かされる。
「ユーゴ」
目覚めた瞬間、大粒の涙と共に見知らぬ名前を口にしていた。おそらく少年の名前なのだろう。
「ユーゴ?」
その声に慌てて隣を見ると、驚いた表情を浮かべるリアムさんがいた。これはまずい……。初めて一緒に夜を過ごした日に、寝言とはいえ別の男の名前を呼ばれたら、流石のリアムさんも不快になるに違いない。
「なんか変な夢見てね……。そう!ユーゴスラビアの夢みたの」
「ユーゴスラビア?」
「わ、私のいた世界にあった国なの」
「へぇ……どんな国なんだ?」
その解答に私は答えを出せずに口ごもる。とっさに男の名前ではないということをアピールしたかったが、ユーゴスラビアを的確に説明する自信が全くない。
「ユーゴの夢をみたのか?」
そう言ったリアムさんは穏やかな表情を浮かべており、私の髪をゆっくりと撫でる手は優しい。全く怒っている風もないので、リリィさんが可愛がっていた愛猫の名前なのだろうか、と期待を込めてリアムさんを見たが、
「昔、リリィにユーゴって少年を探して欲しいって頼まれたことがある」
との返答に大きく落胆させられた。やっぱりあの少年の名前だったのだ。
「確かリリィが施設にいたころ仲がよかった奴みたいでね。十三歳の時に行方不明になったっきり、音信不通になったらしい。一応手は尽くしたけど、王都を出て北の方に行ったこと以外手掛かりはなかった」
リリィさんの記憶が溢れ出すぐらい大切な存在なのだろう。初恋の人かな……と思うがさすがにそれはリアムさんには聞けなかった。
「十三歳まで施設にいたってことはエドガーも知り合いなんだろうね」
答えの代わりにリアムさんは「うーーん」と小さく唸ってから、おもむろに私を抱きしめベッドに押し倒す。
「もう他の男のこと、考えるな」
確かにその通りだと思い私はリアムさんの胸に顔を埋め、小さく頷いた。