名家には名宝が伝わるようです
エドガーが古びた扉を開くと、ムワッとお香のような匂いが廊下まで広がってきた。
「ここは、我が家の祭壇なんだ」
「祭壇?」
「そう。祖先が持ち帰ったという聖剣を祀ってある場所さ」
部屋の奥にある壁には古びた剣が飾ってある。その周囲には花や美術品のようなものが飾ってあり、その剣がいかに大切なものか予備知識がなくても直ぐ分かった。
「子供の頃、絶対触っちゃだめって言われていたんだ」
「まぁ、危ないだろうからね」
「でも子供の時、リリィは『触ったら』って僕に言ったんだ」
その口ぶりだと私もここに来たことがあるのだろうか。
「単に祭壇をリリィに見せたかったんだけど、実際に来たら『取ってきて』って言うんだ」
「それで取ってきたの?」
「うん。でも親からは『伝説の剣だから抜いてはいけないし、そもそも選ばれた人間しか抜けない』って言われていたんだけど、リリィはあっさり抜いちゃったんだ」
悪役令嬢のリリィさんは、意外にも子供の時はヤンチャだったのかもしれない。
「それで、リリィはなんて言ったと思う?『何てことはない剣よ。親の本当か嘘かも分からない言いつけを守ってエドガーは大変ね』って言われたんだ。」
「なんかごめんなさい」
人様の家宝を勝手に触って価値がないものと勝手に認定するとは、他人事だが穴があったら入りたい気分だ。
「うんん。でも僕はそれで気持ちが楽になったんだ。公爵家の人間だからって親に言われた通り生きなきゃいけないわけではないって」
エドガーの両親は自分達の存在価値をこの剣に求めており、それをエドガーにも強要していたのかもしれない。それをリリィさんに否定されたことで、彼の中の重責がなくなったのだろうか……。
「まぁ、こんな話はどうでもいいんだけど、その後のこと覚えてない?」
少し熱い視線を向けられ私は思わず視線を外してしまう。多少イケメンに耐性はできたとはいえ、この透き通ったブルーの瞳に見つめられると腰が砕けそうになる。
「覚えてないよ」
「僕、君にプロポーズしたんだよ。『僕のお嫁さんになって』って。その時は君がまだ第一王女って知らなかったから結婚できるはずはないって思っていたんだけど、リリィの言葉でふっきれたんだ」
エドガーは私の両手を取ると優しく引き寄せ二人の距離を縮める。
「こんなに大好きな気持ちを抑えるほど公爵家は大切なものじゃないって気付かされたんだ」
そのままエドガーは唇をそっと重ねる。ふんわりと広がった甘い香りは、先ほど飲んだ果汁酒のものだろうか。さらに深い口づけが落とされそうになり私は慌てて離れる。
「だ、ダメだよ。こんな場所で」
特に信心深いわけではないが、これだけ聖なる雰囲気を醸し出している場所でイチャイチャするのは申し訳ない気がした。
「そ、そうだ。『剣、取ってきてよ』」
キスをしたことが恥ずかしく、話を逸らそうと祭壇の先にある剣を指した。少し驚いた表情でエドガーは私を見るが、にっこりと形がよい笑顔を作り祭壇に近づく。
「あ、うそ。冗談だよ」
エドガーが壁に掛けてある剣に手を伸ばした瞬間、私は思わず否定した。さすがに今さらそんなことはしないだろうと思ったが、エドガーは私の前に聖剣を持ってきた。
「ダメだよ。こんなことしたら」
「ただの剣だから大丈夫だよ」
そう言って渡された剣はズッシリと重く、微かに錆びの匂いが漂う。おそらく『抜くことができない』という設定だからこそ、剣を鞘から抜いて手入れすることができず、錆びてしまったに違いない。抜けるのかな……という好奇心と共に柄に手をかけ力をこめると、すんなりと鞘から剣は抜ける。「やっぱり普通の……」と言いかけ口ごもったエドガーの表情を見て、その異変に私も気付く。
剣が光っているではないか。
「こ、これって光るもの?」
「うんん。初めて見た」
私は慌てて鞘に剣を戻すと、さきほどまでボンヤリと光っていた光は失われる。
「凄い剣だったのかもね」
「もう一回、プロポーズしようと思ったけど……この流れだとちょっと違うのかな」
私から剣を受け取ると、エドガーはそう言いながら元あった場所に戻す。
「プロポーズは一回で十分よ。覚えていないのは残念だけど」
「それに既に婚約済みだしね」
エドガーは笑いながら私の肩を再び抱き寄せようとした瞬間、全身の毛が逆立つような錯覚を覚え、思わずその手を払いのけていた。
「ご、ごめんなさい」
「大丈夫?」
心配そうに顔を覗き込まれるが、なぜ自分があんなことをしたのか分からず思わず困惑してしまった。
夜会も無事終わり、客室に案内されたのは深夜を回ってのことだった。初めての場所で知らない人ばかりに囲まれた緊張感から解放され、ベッドに入った瞬間に睡魔がフワリと襲ってくる。心地よい眠気に身を任せ私は早々に眠りについた。
再び身の毛がよだつような感覚に襲われ、私は目を開けるとそこにはエドガーがいた。
どれくらい寝たのかは分からなかったが、まだ部屋の中は暗闇ということはさほど寝ていないのかもしれない。
「え、エドガーどうしたの?」
いつの間にか私のベッドに入り込んでいるエドガーに間抜けな質問を投げかけるが、エドガーは形のよい笑顔を浮かべるだけだ。窓から差し込む月明りに照らされて、その金髪は幻想的に輝く。思わず神話の一ページを見ているような錯覚に陥る。
白く長い指はそっと私を引き寄せ唇を重ねようとするが、2人の距離が縮まった瞬間、理由もない不快感が全身を覆い、思わず彼を突き飛ばしてしまう。
「お酒くさいから……」「寝起きだし」「疲れているから」
色々言い訳を並べてみようとしたが、寝ぼけているのか口からでた言葉はから回る。理由は分からないが私の本能がエドガーを拒否していた。私の拒否が頑ななことを知ると、エドガーの顔から笑顔が消える。
「なんで僕じゃダメなんだよ。他の奴らとは毎晩、一緒に過ごしているのに……なんで?!」
「ダメじゃないよ」
「ダメだろ。ずっとそうだよ。何が悪いんだよ。何で僕じゃないんだよ」
泣きながら私の足にすがるエドガーを見て、新たな事実に気付く。もしかしてエドガーともリリィさんは関係を持ったことがないのかもしれない……と。だがそれを口にする前に、喉に酸っぱいものがこみ上げてきた。