現実でも最初の攻略対象はアーロンなようです
移転魔法のスクロールができた夜以来、リアムさんとは会話らしい会話をせずに数日が過ぎていた。アーロンのスキンシップが過激さを増す中、部屋に行っていいものかと相談したかったが、ここで「行けばいい」と言われても「行くな」と言われても辛く、何も言わずにその夜を迎えていた。
ガチガチに緊張してアーロンの部屋に向かったが、
「まだアーロン様は戻られておりません」
というメイドのその言葉に拍子抜ける。
「リリィ様がいらっしゃりましたら、部屋にご案内するよう言いつかっております」
主人不在の部屋に案内され、罪悪感からソワソワしてしまう。部屋にあるものを触っても見ても悪いような気がして、テラスに出ることにした。アーロン達の姿が見えないかと目をこらしたが、夕闇に染まった山々しか見えなかった。そろそろ部屋に戻ろうかと思った時、部屋の外からガチャーンと金属音が聞こえてきた。
何事かと部屋に戻ると、そこには全身で息をする甲冑姿のアーロンがいた。先程の金属音は、この甲冑の音に違いない。
「す、すま…すまない」
「慌てなくて良かったのに。脱ぐの手伝おうか?」
「いや、大丈夫だ」
私の申し出を断ったアーロンは手早く甲冑を外していく。一つ一つの作業に無駄がなく、この人は騎士なのだな……と再認識させられる。
「風呂に入らないか?」
「お風呂は入ってきたよ?」
突然の申し出に首を傾げると、アーロンは「一緒に」と短く付け足す。ようやくその意味を理解し、慌てて断る。
「恥ずかしいよっ!」
「見ないから大丈夫だ」
謎の理論で食い下がられるが、そんな訳にいくはずがない。
「湯船に入るだけでも?」
私の全身全霊の拒否にアーロンは捨てられた子犬のような表情を見せる。これはズルい……。
アーロンの部屋にあるバスルームは私の部屋よりも一回り小さかったが、それでも2人が入るには広すぎた。身体を洗うアーロンに背中を向けて私はできるだけ身体が見えないように両足を抱えるようにして湯舟の中に座る。お湯は白濁しており、湯舟に入ってしまえば体は見えにくいかもしれない。
「少しずれてくれ」
そう言って湯舟に入ってくるアーロンを止めるわけにもいかず、私はさらに湯舟の端っこに移動しアーロンに背中を向けた。
「狭いだろ」
アーロンは私の腕を取ると軽く引き寄せた。手を振り払おうとすると身体が見えそうになり、仕方なくアーロンに抱きかかえられるような態勢に甘んじる。
「見えないから大丈夫だ」
かなり身体は密着しているが、逆にこの態勢ならばうなじ付近ぐらいしか視野に入らないだろう。何よりこの恥ずかしい状況でアーロンの顔を直視しなくて済む。
「そういえば何でここのお湯、濁っているんだろう」
目を凝らしても手足がどこにあるのか分からないほど濁っている。
「あぁ、誰かが魔法で濁らせているんだろう。実家にいた時からずっとこうだ」
エドガーやアーロンなどは自宅から執事やメイドを連れてきており、実家と変わらぬ環境を用意しているらしい。さすがお坊ちゃん、いや貴族といったところだろうか。
「アーロンも魔法って使えるの?」
「俺はあんまり。元々体内に貯められる魔力の量が少ないらしい。簡単な魔法ぐらいだな」
何かブツブツ唱えるとアーロンの手からフッと青白い炎がユラリと灯る。少しするとフッと消えるので本当にちょっと使える程度の魔法量なのだろう。
「おぉ~スゴイ!私も練習したら使える?」
「お前は無理だ」
「え?ちょっとも?」
「ああ」
意外な回答に思わず耳を疑う。魔法職でなくても普通の人ならば多少使えるのがセオリーというものではないだろうか。納得していないという私に気付いたのか面倒くさそうにアーロンは口を開く。
「王族は魔法は使えないと言われている。普通は魔力が体内に時間をかけて貯まるんだが、それが全くないらしい」
「何その使えない才能」
「まぁ、だからお前が王族って分かったんだろうけどな」
DNA鑑定などという技術はなさそうなこの世界でリリィさんが国王の娘と認められたのは、そういった経緯があったか……とようやく納得させられた。
会話をしたことで緊張も少し解れると、視界の端にアーロンの浅黒い両腕が入った。思わず「凄い筋肉だね~」と感嘆の声があがる。服を着ている時も筋肉質だということは分かっていたが、改めて間近で見るとその迫力に圧倒させられる、
「触るか?」
「いいの?」
「構わない」
許可が下りると、好奇心を満たしたいという欲求が高まる。おそるおそる右腕に指を這わすと思わぬ弾力に押し返された。平凡な女子大生だった私には、一度も触れる機会がなかった弾力だ。
「凄い!!やっぱり鍛えているの?」
「別に。毎日仕事しているだけだ」
先程、ガシャンガシャンと勢いよく脱ぎ捨てられた甲冑を思い出し、あれを着てウロウロしていたら筋肉もつくわな……と軽く納得する。気付くとアーロンは私の手に自分の指を絡めた。
「リリィは相変わらず細いな。もっとちゃんと食え」
私の手を繰り返し握りながらアーロンは愛おしそうに耳元でそう呟く。BMIの数値は“痩せすぎ”に分類されるであろうリリィさん。『アーロンあんたの意見には賛成だよ』と思ったが勿論口にしない。
「怪我しているな、ここ」
アーロンの指摘に首を傾げる。最近、怪我をしたような記憶はなかったので、古傷だろうか。「どこ?」と聞くが、「ここ」としか返ってこない。
「だから、どこ?」
焦れたようにそう聞くと「ここ」の代わり背中を吸われた。弾かれるようにして振り返ると
「やっとこっち見た」
とニヤリと笑うアーロンがいた。傷などなかったに違いない。アーロンはそのまま顔を近づけ唇を重ねる。蒸気とアーロンの舌が与える刺激に頭が一気にボーっとなった。慌てて離れようとしたが後頭部と腰を押さえつけられ、甘い口づけが繰り返し落とされる。
「いいか?もう無理だ」
ようやく長い口づけから解放された時には完全にのぼせ上り、「うん」としか言葉を返せない。何がいいのか分からないが、もう終わりにしてくれるならば何でもよかった。しかし次の瞬間、アーロンはそのまま私を横抱きで抱え上げると勢いよく浴室から出た。
「見えてる」
「拭いていない」
「濡れちゃう」
と反論してみるが、アーロンは「ああ」「そうだな」「大丈夫」とだけ返事をし、聞く耳を持たない。体も拭かずそのままベッドの上に優しく横たえられ、さきほどの『いいか?』の質問の意味をようやく理解する。
「愛している」
そう言って私の首筋に顔を埋めたアーロンのぬくもりに、私はすがるようにして彼の背中に腕を絡めた。