極限状態での選択に失敗した~エルフ王子・ラルフ視点~
美しく優しい母、強く尊敬できる父。
そんな二人の血を色濃く受け継いだラルフは、第一王子という立場もあり、称賛の声ばかり送られる人生だった。だからこそ両親が殺され、命からがらに国を亡命した際は何が起こっているのか理解しかねた。そして突き付けられた現実を直視しないために、目の前に差し出された手に自分の人生を委ね、何も考えないようにした。
王妃は王宮に自分のための庭園を作っており、その片隅にある小さな屋敷にラルフを住まわせた。ラルフはそこで毎日のように訪れる王妃の機嫌を取り、夜を共にすることも度々あった。それはラルフが望んだ関係ではなかったが、全てを失った彼にとっては取るに足らない出来事で、生きるために王妃の欲求を満たすことだけに尽力した。
王妃はそんなラルフを可愛がったが、そこには愛情などないこともラルフは理解していた。珍しい玩具を手に入れて喜んでいるだけで、遅かれ早かれ自分は捨てられるだろう……ということは分かっていたが、だからといって国を追われた彼にできることは何一つなかった。
そんな中、ラルフはリリィと出会った。
王妃の前ということもありリリィは愛想よくしていたが、ラルフには突き刺さるような鋭い視線を送り、明らかに軽蔑していた。そんな厳しい視線にラルフは何故か久しぶりに感情が高揚するのを感じた。何とか彼女に振り返って貰おうと、ラルフは王子時代、恋人達が喜んだ言葉やプレゼントを贈ったが、リリィは頑なだった。
勿論、王妃や他の婚約者の前では大切な婚約者としてラルフを扱ったが、二人だけの時は目すら合わせようとしなかった。十日に一回ほど訪れる逢瀬の日ですら
「離宮にいてくださっても結構ですし、王妃様のところにいてくださっても構いません」
と同じベッドに入ることはあっても、ラルフが触ることを決して許さなかった。半年もした頃だろうか……、十八回目の逢瀬の夜、ついにラルフはリリィに関係改善を求めて訴えた。
「私が王妃様の元にいたことが、そんなにお嫌なんですか?!」
しかしリリィはその訴えに小さくため息をつき、首を振った。
「確かに王妃様と男を共有するのは、私の趣味に合いませんが、全く気にしておりませんわ。現に私の身体をここの婚約者達は共有しておりますでしょ?」
「では個人的に私をお嫌いということか?」
ラルフがそう食い下がるようにしてリリィの肩を掴むと、彼女は再び大きくため息をつく。
「ご両親を亡くされ、お辛かった気持ちは分かります」
リリィから初めて優しい言葉をかけてもらったことに、ラルフは心が温かくなるのを感じた。
「祖国を亡くされ帰る場所もなく、こうして男娼のように扱われ……心を閉ざしたくなる気持ちは分からなくもありません」
「ならば……」
「今日、私に下さったこの香油、どちらで作られているかご存知ですか?」
ラルフは返す言葉がなかった。自分がレシピを考えて、周囲のスタッフに渡せば数日後にはそのレシピ通りの製品が“工房”で作られ、手元に来ることしか知らなかったのだ。
「王室育ちではない下賤な私のたわごとですが、ラルフ様は元王族として心をとざす前に、なさることが他にあるのではないか……と私は思っております」
「亡くなった国に何ができよう!」
思わずカッとなり、ラルフは叫んでいた。
「『元王子』という肩書は、この国でいくらの金や地位に変えられるかご存知か?王妃様がいらっしゃらなければ、おそらくどこぞの地で野垂れ死ぬか、奴隷として売られ本当に男娼として働いていただろう」
国を追われて初めて怒りの感情が爆発していた。理不尽な暴力により自分の平和な世界が壊され、何もかも失った現実をこの女は分かっていない。そんな怒りがラルフを覆いつくしていた。しかし激高するラルフにリリィは怯えることもなく自分の肩を掴む手を振り払うと、呆れたといった様子でベッドから降りた。
「今日は帰ります。十日後、答えが出ているとよろしいですね」
そう言って、リリィは十八回目にして初めてラルフをその夜、一人にした。
怒りが収まらないラルフは次の日早朝には、店に足を運んでいた。リリィの言い分はおそらく、自分が製造主であるにも関わらず何も分かっていないと揶揄されただけだろう、とタカをくくっていた。ならば次の逢瀬までに知ればいいだけだと動いたのだ。
数日に一回、名ばかりの店主として店を訪れるだけだったこともあり、ラルフの早朝出勤に店員らは驚いた表情で迎えた。そんな彼らをさらに困らせたのは「工房を見せて欲しい」というラルフの要望だった。
「王妃様から禁じられております」
と店員は口ごもりなかなか工房へ案内しようとしなかったが、午後になってもラルフが頑として動かなかったので、根負けした店員の1人が“工房”に案内した。扉の向こうで受けている同胞達への仕打ちを聞き、ラルフは初めてリリィの言葉の意味が理解できた。
次の日には王妃に会いに行き、待遇改善を求めたが、王妃に全く悪びれた様子もなく
「ならラルフ様が代わりに働いてくださいますの?」
「そういう話ではなく、労働環境の改善を……」
「ラルフ様、誰があなた方貴族の生活の面倒をみていると思っていらっしゃるのかしら。店の賃料、皆様の高い衣食住……勝手にお金がわいてくるとでも?」
と嘲笑され、ラルフは初めてこの国も又楽園ではなかったことに気付かされた。
「自分に何ができるだろうか……」
その自問自答を繰り返しながら過ごす八日間は悠久な時の流れのように感じた。
「それで、答えはでましたか?」
柔らかなユリの香りをまといながら、そう言ったリリィの言葉にラルフはうなだれるしかできなかった。この八日間、自分にできることはないかと思案したが、抜本的な解決策を見つけることはできなかったのだ。
「私は何もできない…」
その結論を伝えるとリリィは満足したように頷き、微笑んだ。
「生粋の王族って本当に人がいいのね。私を利用したらいいのに」
砕けた口調にラルフは、視線をようやく彼女に向けると、優しい視線を送るリリィがいた。初めて王妃によって引き合わされた時から、ラルフがずっと求めていたものだった。
「私が女王になればあんな工房すぐに潰すし、あなたの国だって取り戻してあげる。できなくても人身売買は禁止し、難民となった国民を全て市民として受け入れるわ」
何の根拠や確証もない言葉だったが、ラルフには一縷の望みに見えた。
「私は何を…」
ラルフが半泣きになりながらリリィに縋りつくと、十九回目にして初めて彼女はラルフを優しく抱きしめた。
「あなたはエルフの王子でいてちょうだい。それで全てうまくいくから」
そう言って落とされた唇の温かさにラルフは大粒の涙を流し、安らぎを覚えたのだった。