記憶がなくてもOKなようです
ヘレナと共にラルフの部屋へ向かうと、既に伝わっていたのかラルフが部屋の前で妖艶な笑みを浮かべて待っていた。
「月の妖精が舞い降りたかと思ったよ。今日は一段と可憐だ」
その言葉をヘレナは軽く鼻で笑ったような気がしたが、ラルフは気にした様子もなくうやうやしく自室へ案内した。扉を開けた瞬間、部屋からはむせ返るようなユリの香りが溢れ出す。
「リリィが来てくれなかった時に、この香りに包まれて寝たかったんだ」
「ユリですか?」
「うん。夜部屋を尋ねて来てくれる時は決まってユリの香水をまとっていたんだけど…覚えていないんだね」
ラルフさんは何故か嬉しそうな顔をして、そう語った。
「僕はね、別に君が記憶を取り戻そうが戻すまいが、実はどうでもいいんだ」
テラスに置かれた長椅子に案内される。二人で座ると少し狭い気もしたが、ラルフは気にした風もなく私の隣に座った。
「印象は変わったけど君は君だし、そんな君ともう1度恋に落ちるのも悪くないだろ?」
「恋に…」
「二百十二年生きているけど、こんなに刺激的な関係は初めてだよ。一度恋に落ちた女性をもう一度最初から口説けるんだから……。他のみんなは、ちょっと焦っているみたいだけど、僕はゆっくり楽しみたいと思っている」
確かに人の平均寿命の三倍弱生きていれば、好きだ嫌いだと騒ぐのも馬鹿らしくなってくるのかもしれない。
「ここだけの話、実は一回目の時、ちゃんと口説けていなかったな……と反省していたんだ」
整った顔をクシャりと崩して笑うラルフさんに、先ほどまでの緊張が解れていくのが分かった。
「王妃様のご紹介で君と会った時、このために生きていたんだって、思ったんだ」
「王妃様が紹介して下さったの?」
あえて王妃様の名前が出てきたことに驚かされた。だが、それを隠して私はラルフを探ることにした。
「うん。『会わせたい人がいる』って言われてね。最初は政治的に利用されるのかな……って思っていたけど、君に会った瞬間、恋に落ちたんだ」
修飾語がオーバーなラルフなだけに、どこまで本当のことか分からなかったが私は、黙って聞くことにした。
「国から追われて生きていくことで精いっぱいだったんだけど、君に会ってから人生が色づいたような気がしたんだ」
エドガーがかつてラルフさんについて「国を追われた王子」と説明していたが、王子という立場だからこそ亡命するというのは生半可なことではないのだろう。
「僕たちエルフの貴族に仕事を与えてくださったことにも感謝しているけど、君という存在に導いてくださった点では、王妃様には頭が上がらないよ」
「仕事…ですか?」
改めて思い返してみると他のメンバーと異なり、ラルフが離宮にいるのは夜しか見たことがない。
「エルフに伝わる技術で特殊な精油や香油を作っているんだ。元貴族のエルフ達は、所作や言動が美しいってことで王都内の精油を売る店で店員としても働いているよ」
エドガーの話を聞いて以来、ラルフは王妃様の愛妾として王宮に通っているのだと思っていたのでこの事実には驚かされた。
「もしよかったら、明日遊びにくるかい?」
そう言ったラルフの瞳は今まで見たことがない程、透き通っており思わず「はい」と頷いてしまった。