5頭追うものは1頭も得ないようです
離宮に着くなり、ヘレナの制止も聞かずアーロンの部屋へ走っていた。神殿から東の塔は近いが着なれないドレスと焦りから、私にとってはその道のりは途方もなく遠かった。階段を駆け上がるカツンカツンという規則正しい自分の足音を聞きながら、
「なんと弁解しよう」
と必死に考えを巡らす。王妃様は私の肩を持ってくださったが、どう考えても地位と権力を利用して、シャルルとアーロンの仲を引き裂いたのはリリィさんだ。
逆ハーレムは魅力的だが、わざわざヒロインを苦しめてまで手に入れようとは思わない。今からでも婚約解消して二人が上手くいくならば、それも悪くない選択肢だと考えていたが王妃様の前で事実認定されてしまった以上、引き返せないところまで来ている。
もう私に残されたできることと言えば「謝罪すること」ぐらいしかない。
そんなことを考えているうちに、アーロンの部屋の前にたどり着いたが、いざ扉の前に立つと声も出ない。ノックしようと腕を挙げるものの、考えては下げてを何度か繰り返していると
「どうした?俺の部屋に何か用か?」
と頭上からアーロンの声が降ってきた。
「あ、あの…私…」
言葉にならない私にアーロンは優しく微笑み、頭をポンポンと撫でる。
「中で聞こう」
そう言われ、扉を開けられた瞬間、私はさらに言葉を失った。部屋の奥にある開け放たれた窓からは夕日に色づく山々が広がっていたのだ。
「感動も景色も忘れてしまうのだな」
少し寂しそうにそう言われ、アーロンを見ると険しい表情を浮かべている。夕日に照らされた彼の横顔に胸が締め付けられる気がした。おそらくこの景色にリリィさんも胸を打たれたことがあったのだろう。
「シャルルさんとのこと聞きました」
これ以上、優しい言葉も笑顔もかけられないうちに、早く告白してしまいたかった。
「忘れていたとはいえ、本当に酷いことを致しました。申し訳ございません。お二人のために婚約解消して差し上げればいいとも思ったのですが、王妃様が……」
そう言い終わらないうちにアーロンの眉間に寄せられたシワがさらに深くなり、思わず言葉を失った。
「今さら婚約解消……?」
ギリっという音にふと目を落とすと、アーロンの拳がきつく握りしめられているのが目に入る。痛いほどの怒りと悲しみを感じ、私はそのまま逃げるようにして彼の部屋から駆け出した。
「わぁぁぁぁぁぁぁうぁー」
ベッドに顔を埋めながら私は感情のままに大声で泣き叫んだ。完全に嫌われてしまった。今日一日のやるせない気持ち、疲れた気持ち、色々な感情がこみ上げてきたが、一番辛かったのはアーロンの辛そうな横顔だった。思い出しただけで、ブワッと涙が再び込み上げる。
「とりあえず服脱げ」
突然投げかけられた言葉に私は慌ててベッドから飛び起き振り返ると、そこには困ったような顔をしたリアムさんがいた。
「シワになるだろ」
お茶会に着ていったドレスを着たままだということを初めて思い出した。確かに上質なドレスだし、そもそもはリリィさんのものだ。慌てて脱ごうとするも背中のリボンに手が届かずに、ワタワタしていると小さなため息と共にリアムさんが距離を縮めた。
「後ろ向け、手伝ってやる」
そう言うと慣れた手つきで複雑なドレスをスルスルと脱がせるリアムさん。リリィさんはこうやって彼がドレスを脱がせていたのだろうか…と思うと布越しに伝わる微かな温度にドキマギしてしまう。
「で、茶会で何、失敗したんだ?」
脱いだドレスの代わりにフワリとガウンをかけながら、リアムさんはそう聞いた。
「アーロンの婚約者に会ったの」
「あー。ライラ様の姪のシャルル様ね。泣かれただろ」
面白そうにそう言うリアムさんを思わず睨みつけた。
「教えてくれたら良かったのに」
「で、俺が教えたら、あんたはどうした?」
確かに教えてもらったからと言って、何かができた訳では無い気がする。だが、解決方法はあったはずだ……と無言でリアムさんを睨むが、リアムさんは気にした風もなく続けた。
「リリィなら、茶会が始まる前の時点でシャルル様を罵倒してぐうの音も出ないようにしただろうな」
悪役令嬢らしい対応に思わず喉がゴクリと鳴る。
「そ、それが正しい方法なの?」
「正しいかどうかは別として、少なくとも王妃様の前でオリヴィア様共々、恥をかかせるようなことはなかっただろうな」
王妃様らの言葉に顔面蒼白になっていた二人の姿を思い出した。結果として私の拳が痛まなかっただけで、彼女達はダメージを負っていることには変わりない。
「あとアーロンの前でも何事も無かったように振る舞うだろうね」
「でも謝罪するべきじゃ…」
「そりゃあ、リリィのしたことは褒められたことじゃないよ?シャルル様との婚約は公にされてなかったけど、あいつは二人の関係を知っていたわけだしね」
リアムさんは、そう言いながらベッドの側にあるソファーにドカリと腰を下ろす。
「でも、婚約者がいながら夜会に来て、別の女の誘いに乗ったのはアーロン自身だろ?何もリリィが無理やり首に縄をつけて引っ張ってきたわけでもなし」
確かにアーロンがここから出たいというような素振りを見せたことはない。
「近衛隊の分隊長として活躍していたのに、リリィとの婚約を機に離宮護衛長なんて体のいい左遷されてもここにいるんだ。その覚悟をあんたの自己満足で謝罪されたら、堪らんよ」
呆れたようにそう言われ、悪役令嬢だとばかり思っていたリリィさんの言動の方がよっぽど人道的だったことに気付く。
「それに、そもそも先にリリィの男を盗ろうとしたのはシャルルなんだ」
「どういうこと?」
「最初にリリィが婚約したのはエドガーだったんだが、そのエドガーに執拗にシャルルは近づいてきた。ある時からエドガーが相手にしなくなって、そしたら、まぁ、なんだ……一応俺にも声をかけてきた。その後、ラルフ、シリルにも粉をかけててな。最後がアーロンだったんだ」
アーロンルート一択かと思いきや、なんと他のメンバーにも声をかけていたとは……。ただ目の前にこれだけのイケメンがいたら全員攻略したくなる気持ちも分からなくもない。
「でもシャルルさんって可愛いわよね?」
庇護欲が満たされそうなビジュアルに、攻略対象ごとに一定以上のレベルを満たしているパラメーター。正直、私が男ならばシャルル一択だ。
「個人的な感想だが、シャルルはなんていうか……薄気味悪いんだ。事前に下調べしたのか、それぞれの趣味や生い立ち、コンプレックスをピンポイントで攻めてくるから怖い」
シャルルさんは、攻略対象としてイケメン達にゲームのように迫ったのだろう。
「一緒にいる時間が長かったら愛情に変わるのかもしれないが、それを許さずリリィが全員を婚約者として離宮に召し上げちまったんだ。そりゃ~恨まれるだろ」
「仕返しにしてはやりすぎよね?」
悪役令嬢という性質上、リリィさんはシャルルが誰かと幸せに結婚することすら許せなかったのだろうか……。
「俺も止めておけって言ったんだけどな」
しかし純粋に恋人同士だった二人を引き離してしまったわけではない、ということが分かり私の罪悪感は少し軽減したような気がした。
「ま、あんたも災難だよな。こんな世界にやってきて、王家のいざこざに巻き込まれてさ。そうだ、いいもん見せてやる」
思い出したようにリアムさんはソファーから立ち上がるとテラスへ続く扉を開き手招きした。
「王城からちょっと距離があるから、星が凄いんだ」
テラスに出て空を見上げるとそこには、所狭しと星が輝いていた。その圧巻の星空が、今日の嫌なことを忘れさせてくれたような気がした。星空を見ていると、突然リアムさん私の肩をグッと抱き寄せた。自然と抱きつくような体勢になり慌てて離れようとしたが、そのまま優しく頭を撫でられ思わず身を任せてしまう。
「前も言ったけど、俺は何があってもリリィの味方だから安心しろ」
布越しに伝わるリアムさんの温かさと手のひらの心地良さに、こちらの世界に来て初めて安堵感を覚え、もう少しリリィさんでいてもいいかな……と思えてきた。