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夕陽はかなり西に傾いていた。赤く光る道をメアリは闇雲に歩いた。
マリアンナが憎い。
両親の愛情だけでなく、自分が大事にしているものも全て、勝手に毟り取って行く。
妹が生まれた時は、あまりの可愛さに妖精の贈り物ではないかと嬉しくなった。
だが、マリアンナは長じるにつれ、可憐な容姿とは裏腹な小悪魔になってしまった。
「もう……、あんな妹、いらないわ……」
怒りと悔しさで溢れる涙を拭いながら、メアリは茜の中を歩き続けた。
足元が柔らかい土に変わったのに気が付き、メアリはようやく足を止めた。
顔を上げる。とそこは、妖精の森の中だった。
森はフィンウッズビレッジの中央の大部分を占めている。森の外縁部は整備され、遊歩道が幾本も通されている。
奥の部分へは下草が刈り取られただけの細い道が一本だけ。その道は、妖精フィンの住む巨木に通じていると言われ、村長や森の管理人など、選ばれた人だけが使用していた。
メアリはその細道の半分程まで来てしまっていた。
先は、夕暮れよりも暗い、大木の枝が密集した闇。
眼前の景色に、メアリは我に返った。
引き返そうと踵を返した時。すぐ近くの木陰から人の声がした。
「あん……、ダメよクリス……」
メアリは驚いて、そばの木に身を寄せる。そっと声の方を覗いた。
夕闇ではっきりとは見えない。が、一人は女の子だと分かった。
声に、聞き覚えがあった。
「ねえ、今晩はメアリと踊るんでしょ?」
間違いない。クラスメイトのエイダだ。
彼女を抱くように立っているのは。
「うん。約束はしたんだけどね……」クリスだった。
メアリは息を詰めた。
「やっぱり、誘わなければよかったって、後悔してるんでしょ?」
「……ちょっと、ね。エイダが僕の誘いを待ってるって知ってたら、メアリに声を掛けなかったかも」
コロコロと、エイダが笑った。
「ごめんなさい。だって、私もまさかクリスが、あのメアリを誘うなんて思わなかったんだもの」
『あのメアリ』——メアリは胸を締め付けられた。
陰でクラスメイトが自分をどう言っているか、メアリは知っていた。
可愛いマリアンナの、不細工な姉。
天使のような妹と、魔女のような姉。
頭はいいけれど、女子としては最低、などなど。
近視が酷かったメアリは、去年までは目が倍にも見える分厚いメガネを掛けていた。手術で近視は矯正されメガネはなくなった。
しかし、平凡なブルネットの髪や、眠そうな垂れた目元、高すぎる鷲鼻は治せるものではない。
「失礼だよエイダ」それでも、クリスはメアリを弁解してくれた。
「確かにメアリは美人じゃない。けど優しくて大人しいいい娘だよ」
また、エイダが笑った。
「表ではね。私、マリアンナから聞いたのよ。家ではしょっちゅう癇癪起こしてるって」
「そうなのか? そんな風には見えないけどね」
「女の子はね、クリス」エイダは、甘ったれたような声を出す。
「好きな男の子の前では可愛く見せるの——きゃっ!! だからダメだってっ」
「パーティにはまだ時間があるよ。君のパートナーだってまだ来ないだろ? キスのひとつくらい……」
「うふふ。クリスったら。メアリに知られたら怒られるわよ?」
「彼女は怒らないさ」クリスの声が、意地の悪い笑みを立てる。
「「ガッカリするだけ」」
二人は唱和し、カラカラと楽しそうに笑った。
メアリは、足の力が抜けていくのを感じた。
クリスが自分を好きで誘ってくれたのではないのは知っていた。
誰にも誘われずにパーティーホールの『壁飾り』になるなら、いっそ出席しないと決めていた。
そんなメアリをクリスが誘ったのは、多分、同情心。
それでもいいと思っていた。憐れまれても笑われなければ。
しかし、クリスは笑った。それも、メアリの容姿をではなく、性格を。
完全に踏みにじられた気がした。
メアリはへなへなと木の根元にへたり込んだ。
兄妹や両親からだけではなく、クラスメイトからも嫌われている——
「私の……、私の、何が、いけないの……?」
マリアンナほどの容姿にはなれない。ならばせめて成績を良くしようと努力した。
学年で何度もトップになり、校長からも優秀さを褒められた。
ボランティアも熱心にやり、教会からも感謝状を貰った。
それでも、両親はマリアンナを溺愛し、メアリには相変わらず厳しかった。
それでも、クラスメイトは仲良くしてくれる振りをしながら、陰では妹と見比べて不美人な自分を笑っていた。
顔はいい。仕方ないことだ。が、性格まで笑い者にされてたなんて。
「全部、マリアンナが、悪いのよ……」
口に出した途端。
メアリの中で悲しみが憎しみに変わった。
「全部、全部全部っ!! あの子が生まれたのがいけないのよっ!!」
メアリは立ち上がった。
「あんな子っ!! 生まれて来なければ良かったのよっ!! マリアンナなんて……っ!!」
自分が何処にいるかさえ、もうメアリはわからなくなった。誰が聞いているなどは、全く考えられない。
ただ、自分の中には真っ赤な憤りだけが渦巻いている。
「……マリアンナなんて、死んじゃえばいいっ!!」
メアリは力一杯叫んだ。
声は、森の奥に吸い込まれて行った気がした。
******
フィンウッズビレッジの初夏は、天気の良い日が続く。
もうすぐ夏至祭である。
マリアンナは母と二人で、今年もリビングに星飾りを付けた。
「……メアリ、嫌いだったわよね、星飾り」
マリアンナは金色の巻き毛をそっと掻き揚げて呟いた。
彼女は今年の誕生日で十七歳になった。七年前、行方不明になった姉メアリの歳を二つ、越した。
「あの年も、星飾りのことで最初はケンカになって。そのうちフィンの贈り物なんか嘘だってメアリが怒って」
赤いアルミホイルの五芒形の星型をひとつ摘み、マリアンナはため息をついた。
「私が、ちゃんと伝えなかったのがいけなかったのよ」
「マリアンナ」母は、マリアンナの肩を抱いた。
「白いワンピースをマギーおばさんに上げたのは、それ以上にメアリに似合うワンピースをママと私で用意したからって……。メアリを怒らせる前に……」
マリアンナは俯いて泣いた。
母は次女の金髪をそっと撫でた。
「私も、あの子にもっと愛情を上げるべきだった。一生懸命あなたや弟達の面倒を見てくれていたメアリに、満足に感謝も伝えなかったわ。だから、あの年の夏至祭では、あの子
に一番綺麗になって欲しかった」
母娘がメアリを想って沈み込んでいるところへ、一番下の弟ビリーが入って来た。
「ママっ、大変っ!! 今、村長さんと牧師さんが、ケリー刑事部長と妖精の森に入って行ったよっ!!」
「何かあったの?」マリアンナは顔を上げた。
「何かって……。マリアンナ、知らないの? 昨夜森の一番奥の御神木の下で、死体が見つかったんだよっ!?」
「え?」マリアンナは青い目を見開く。
「そんな話、私も聞いてないわよ? ビリー?」
「ママも知らなかったの? 昨夜……、ああ、結構遅かったもんな。『フィンウッズ・ウィッチ』の放送中にそのニュースが流れたんだ」
『フィンウッズ・ウィッチ』は、この地方のラジオ局の深夜放送番組のひとつだ。
「番組の人が夏恒例のウッズオブフィン捜索のイベントに行って、見つけたんだって。番組が大騒ぎになって、詳しいことは放送されなかったんだ。っていうより、警察に連絡ってスタッフが言い出して放送が切れちゃったんだ」
「ビリー、あなたそんな遅くまでラジオ聴いてたの?」
「ああ、ええと。……それはごめんなさい。でもさっ」
「ママ」マリアンナはふと、嫌な予感がして母を見た。
「もし……、もしかして、その、死んだ人……」
母もマリアンナの言いたいことがわかったのだろう、表情を厳しくした。
「マリアンナ。滅多なことを言うものじゃないわ。メアリが、その人かもしれないなんて」
「えっ? そうなの?」
七年前はまだジュニアスクールに上がったばかりだったビリーは、メアリが居なくなっ
た夏至祭の時のことを、朧げには覚えているらしい。
「あの時、パパもあっちこっちメアリを探しに行ったんだよね? でも結局見つからなくて。みんな、メアリは落ち込んでたから家出したんじゃないかって……」ビリーは、メアリにそっくりなブルネットのストレートヘアを片手で掻き回した。
「違うの?」
これも姉そっくりの鷲鼻に皺を寄せて、近眼の眼鏡を下げる。
マリアンナは、深く広がっていく不安感に押されるように、リビングを飛び出した。
二階の、メアリの部屋へ行く。
部屋はメアリが居なくなった時のままだ。マリアンナはためらいなく、ワードローブを開けた。
あの日、メアリが「お気に入り」のワンピースを掛けていた右側ではなく、冬服が掛かっていた一番左側の服を取り出す。
実はあの時も、この服は既にこの場所に掛けられていたのだ。
メアリが好きだった白地に薄いピンクの小花柄のワンピースより、もっと派手で短めのワンピース。
生地の色は薄いモスピンク。メアリの髪色ブルネットと合うように、濃い紫と金で大柄な花の模様が描かれている。
上品で、それでいて若々しいデザインだと、隣のマギーおばさんが褒めてくれた。
ワンピースとお揃いで、ブレスレットとヒールも揃えた。
母とマリアンナが隣町まで行って、メアリのために選んだのだ。
「だって……、メアリにはうんと素敵になってもらいたかったから……」
ワンピースを抱き締めて、マリアンナは泣き崩れた。
「私が、ちゃんと、もっと素敵な服を用意してあるって、伝えなかったから……。ごめんなさい、お姉さん……」
「そうだったの」
突然、窓の外から声が聞こえた。
マリアンナは驚いて顔を上げる。
窓の外は、まだ真昼のはずなのに真っ暗になっていた。白い窓枠の中央に、女が立っている。
いや。ここは二階だ。窓外に人が立てるはずが無い。
マリアンナは声も出せず、じっと窓の外の女を見つめた。
「あんたが、私の大事なワンピースを勝手に人にあげちゃったのは、その服のせいだったの」
「メ……、メアリ……?」
震える声でマリアンナは姉の名を呼んだ。
女——メアリは、青白い顔ににいいっ、と、不気味な笑みを浮かべた。