六 面接
電話でボランティアの話を聞いた日の翌日。
私は、電話でのアポのとおり、説明会場に行くことになった。
『日本非正規労働者党 党青年局ボランティア説明会場』
その部屋の入り口には立て看板があり、神経質な字がマジックで書かれていた。
やっぱり怪しい。
品のよい女性の声からイメージするのとは、完全に予想外の場所だった。
多くのテナント部屋が立ち並ぶ棟の、薄暗い廊下。
新栄の裏通り、六階建ての築五十年くらいか。老朽化した無愛想な建物の最上階の一番奥。茶色の《会議室1》のプレートが貼ってある扉。立地からして怪しい。そもそもこんなところに、一端の政治団体の施設が本当にあるのが驚きであった。
とりあえず、話を聞いてみよう。もしも変な勧誘を一気にされるようなことがあれば、走って逃げ出そう。そう決心し、深呼吸すると、自分で会場部屋のインターホンを押した。
「はい」
雑音に混じって、スピーカーから澄んだ声が聞こえた。男性の声だ。
自分が、面接で来場してきたことを告げると、カシャっと、ドアの鍵が外れる音がする。
「どうぞ、中へお入り下さい」
今度はインターホンからの女性の声だ。
重い手を持ち上げ、ドアを引く。
パーテーション越しにチラっと見えたその部屋は狭く、斜陽が差し込み、縦に細長かった。部屋の両端には本棚が並び、その棚は、政治や歴史関係の書籍で埋め尽くされているようだった。
部屋の中央には、白い長机が二つ並べられ、その前にはホワイトボードが置かれている。そんな部屋の一番奥に、先程の声の主らしき人が座っていたのが見えた。
パーテーションの向こうから、コツコツコツ…と、ハイヒールの音が近づいてくる。
やってきたのは、鼈甲色の丸メガネを掛け、ウェーブがかかった焦げ茶のロングの髪をなびかせた、まだ20(ハタチ)過ぎくらいの体格のいい色白の女性だった。
「あ、あの・・すいません。ここが党青年局ボランティア説明会場ですか?」
看板に書いてあったので間違いない。でも、一応確認しとこう。
「はい、そうです。少々、こちらでお待ち頂けますか」
そう言われ、応接スペースの長机の前のパイプ椅子に座らされた。
「しまった!名乗るの忘れていた。面接はここでするのかな?面接をしてくれるのは奥にいる人かな?」
初の面接経験。
緊張のあまり小声で独り言をしてしまう自分が恥ずかしい。
奥のほうから男性の小声が微かに聞こえてくる。
「高校生だから、これ説明してきてくれるかな」
「はい」
奥に座っている男性の声が気になり、チラッと覗きこんだ。彼の背後の窓から差し込む西日のために逆光となり、男の姿はほとんど影のようにしか見えなかったが、すらりとした長身であることは分かった。
「お待たせ致しました。あの、これ、エントリー・シートですが、これに記入をお願いします。わからないことがあれば、遠慮なく声をかけていただければと思いますので。全部終わったらまた声をかけてください」
そう言って、先ほどの丸縁メガネの若い女性が、ボールペンとプリント用紙を取り出して、自分に渡す。
「これって、実力を試す試験じゃないよね。ここまで来て諦める私じゃないよ。来るならこいっ!」と、空手道場の「組み手」の試合に臨むように、気張って言う。
はあっ?という感じて、その若い女性は、意識過剰と思える自分の顔を一瞥する。
相手は、キャリアを積んだ社会人。面接の常識を、何もわかっていないわね、と言いたげだ。
「あとコレなんですけど、一応、党の綱領―私たちを結ぶ一番基本の考えになります。わからなくても結構なので、一度、さらっと目を通しといてください」
制服の少女は、言われるままに、綱領のプリントに目を落とす。
◇《日本非正規労働者党 綱領(基本方針)》
一)わが党は、非正規労働者および生活困窮者の国民としての健康的文化的な最低限度の生活を保障するために、活動する。彼らを真に国民として遇する社会制度を実現する。
二)わが党は、持続ある日本社会の建設のため、人口問題および日本を取り巻く環境問題に、優先的に配慮して、活動する。人口および環境問題では、必ず数値目標を設定する。
三)わが党は、日本国および日本国民の、諸外国に対する、精神的文化的、経済的、および外交的軍事的な真の独立の達成を目指す。また、日本国内における精神的、文化的、社会的な退廃と闘う。
準備はすべて終えたので、
呼び鈴を押す。
受付女性は今度、中年男性と若い男性を伴って来る。
これが演壇に立っていた男性ではないかと直観、
「はっ」とする。
先に声をかけたのは、上官とおぼしき中年男性だった。
「ようこそ」
すぐ起立してお辞儀した。
「仙波夏美です」
政党職員三人から、それぞれ名刺を渡されると、
それぞれの人に、お辞儀して名刺を受け取る。
「支部長の織田です」
「支部書記局の島です」
「秘書補佐の森田玲子です」
小柄な中年男性が、まさしく自分を見上げるような感じで、にこやかに語りかける。
「随分、背が高いですね」
たぶん悪気は、ない。その言葉は、初対面のときによく言われ、慣れてはいるものの、あまり愉快でなかった。が、つくり笑いをした。
「なかなか、礼儀正しいですね。いまどきの高校生には、珍しい」
褒め言葉に、立ちながら照れてしまう。
「いえ、そんな」
「どうぞ、お座り下さい」
エントリー・シートを見る政党職員。
笑いをこらえる支部長。
「志望動機。力強いデモ行進に感銘を受けました。昨日の《いんちき民主主義を粉砕するデモ》かね」
「はい」
隣のイケメンの若い男が軽く微笑んで、
「これだけですか?志望動機」
恥ずかしさに、うつむいてしまう。
「あ……はい」
秘書補佐の森田の口元が軽く緩んだ。
「あと、具体的に、どういうボランティアか知りたいと思いまして……」
軽く笑いながら、質問すると、その若いイケメンは、
「あ、それね。そんなに大したものじゃない」
「秘書ボランティアと募集しているけど。単純作業なのよね。最初は、葉書きの住所書き、コピーとか。あと、デモや集会に動員をかける戸別電話訪問とか。実際の秘書ボランティアは、一年以上それをしてから、適正を見て決めます。要は、忍耐力。それでもいいのなら……」
多分この支部で一番偉いと思われる中年男から様子を見られている、そんな感じだ。
「どうですか?まあ、もう少し考えてからでも」
若い男性の政党職員を意識すると、肩や腕や脚や顎やら、あらゆる筋肉が固くなってしまう。
若い男が、透き通った声で、
「本当に、性格の良さそうないい学生さんですね」
「いえいえ、とんでもない」
その男は、感銘を受けながら、
「特技は、空手……ですか」
「はい」
「どれぐらい、やっているの?」
「五歳―幼稚園の年長からです。十年くらいです」
「帯の色は?」
「黒です。成年の段位で、二段です」
「ほう」と、数回頷きながら、軽くニヤケ笑いをする。
「島君。君より強そうだね」
支部長は、口元に軽い笑みを浮かべると、
若い男は、極まり悪そうに頭を搔きながら、
「それだけは、やってみないと解らないね」と言って、
笑いを誘った。
***
翌日、その次の日も、事務所から連絡は来なかった。
たぶん高校生だから、ダメだったのかなあ。あの三人にだいぶ笑われたし。やっぱり、スキルや知識や暇のある大学生を採用したのかなあと、あきらめかけた。
三日目の夜だった。携帯が鳴った。
着信の番号から、例の事務所であることはすぐに判った。
結果が怖かった。
「はい、仙波です」と答えたとき、胸騒ぎがした。
「あの、夏美さんでしょうか?」
女性の声―それは森田さんだった。
「土曜か日曜に来てくれませんか」、とのことだった。
「ボランティアの件、どうもありがとうございました」と、頷きながら、できるだけ丁寧にお礼を述べた。
***
初めてのボランティアの時がやってきた。
うきうきする。
応接室に通され、秘書森田と織田支部長とあいさつし、ボランティアの内容について確認する。その時、憧れの若者は居なかった。
入室とともに、事務所室内をできるだけくまなく見回す。
五十台の机はあろうか。その上に電話機とパソコンが並んでいる。
うず高く積まれた書類。
左側―二つ向こうの人の机は、足元も書類の山となっている。
ゼンリンの地図。選挙用の葉書き。
よく鳴る電話。
「はい、日本非正規労働者党 名古屋支部ですが」の声。
あの男の人のことを想いつづけて、
気づけば、いつの間にか外はもう真っ暗になっている。
時計の針は、午後八時過ぎを指していた。
「宛名書き、ご苦労さま。また、頼むよ」
何の前触れもなく肩を軽く叩かれた新米のボランティアのわたしに、白い歯がにっこり微笑む。力強い自信ある眼差し。自然と、尊敬のまなざしで、その人を見てしまう。
緑色の少し混じった、明るい鳶色の瞳。
圧倒的で、力強く、表現力ある瞳。何かこわばったような、相手を射抜くような鋭い眼光。
これまでの人生、純一ほど顔の中で目の際立っている男性を見たことがなかった。
男の異様に強烈な視線が、わたしの両目を射抜いているようだった。
「なんて凄い目をしているの?」
女の直感で、この人は、普通の人じゃない、と思った。
手を握られると、あの人の直感で、自分の心臓の音が読み取られるのではないかと思った。
握手をし終わったはずなのに、あの人はまだそこに立っている。
それとも、私が彼を視ているからだろうか?
でもやっぱり、あの人、まだ私を視てる。
私の胸を……ジーッと。
セーラー服が好きなの?
こう言ってやりたかった。
もう、いや。
男に見つめられると、下腹部に蠢動を感じてしまう。
「くっくっくっく……」
いやだ。あそこがヒクついている。
若者は、怪訝そうな眼差しで、
「仙葉さん、どうしたの?」と、静かな声で、問いかける。
「いえ、なんでも」
あれ?やっぱり私があの人を視ていたから……。
「あの・・・・・・今日はもうこれでいいです。本当に、おつかれさま。家の人が心配しているでしょうから・・・・・・」
「いえいえ、島さんこそ、遅くまで働いていて。大変ですね」
「有難う、気を遣ってくれて。また、こちらのほうから連絡します。お疲れ様」と、丁寧に送りの会釈をしてくる。
「はい。失礼します」と言って、返礼の会釈をする。
出口の扉を閉める前に、ふっと後ろを振り向くと、またあの人の視線がこちらを向いているような感じがした。
「気のせいかしら。でも、また明日があるし。そのとき、確かめれば……」
翌日、事務所で、先輩の森田玲子に指導を受けた後で、島純一の件をそれとなく尋ねてみる。
「島さんって、私を視ているようだけど」
「えっ!?」
「私のこと好きなのかなあ」
あの島への憧れで、顔がどうしても、ニヤケてしまう。
秘書の森田は、少し渋い曇りがちの表情をした。
何か悪い事でもしってるのかな、と訝しさが胸にこみ上げてくる。
確かに、あなたを見ているようで、関心はあるようだけど……」
ひょっとして、島さんがこの私に、一目惚れ!?
期待に胸がいっぱいになる。
しかし、森田の表情は固かった。
「でもね、あなたが高校生で若いから、単なる好奇心で見ているかも知れないし……それに……」
「それに……?」
「あっ、やっぱり言うのやめとこうかしら」
「それって、なんの話?」
「それは……ちょっと、ねえー」
腕を組みながら、首を傾げる玲子に、自分は好奇心で、
「ねえー、いったいどうしたの。そんなに悪いことなの」
「そうね」
「彼女がもうすでにいるとか?ならば、うばっちゃえ!」
楽観的な恋の予測に、冷水を浴びせるように、玲子は早口で、
「いや、それどころじゃなくて、島さん、婚約しているの」と説明する。
「えーっ??婚約?すぐ結婚なの?」
「あと、半年くらいかなあ」
「えー、そんな……」
予期しない不幸に、胸が急に重くなる。
「がっかりしないで……。いい男は、この日本にゴマンといるから」
「で、誰なの、婚約者って」
「ほら、あの鮎川希美よ。いつも純一のそばで楽しそうにクスクス笑っている」
「まあ、いやらしい、あの人」
「夏美さん、それでも、あの婚約者から、島さんを奪いたいの?」
「もちろん」
「でも希美さん、すごい美人よ。どうやって、島さんを横取りするの?」
そのとき、自分と希美の魅力を比べざるを得なくなった。
もう嫌!
希美との、あまりにも開いた「美の格差」に、つい溜息を吐いてしまう。
身長では、勝っている。私のほうが十センチ以上高い。でも、彼女は高いヒールが似合う。あのヒールを私が履いたら、まずは、独活の大木扱いで笑われてしまう。
ほんとうに、すごい、洗練されている。透き通るような色白で、胸が豊かだし、腰のクビレも半端でない。それに比べて、この私は……。
胸は、Bカップ。貧弱うー。寸胴でお尻も小さく目立たないし、脚も毛が生えてまるでゴボウのよう。顔もすこし下がり目のどんぐり眼。すぐ寄り目にもなるし。身長と、十代の若さ特有の可愛いらしさ(?)だけが取り柄かなあ……。




