β5 空手部の門戸☆負けないよ
□第五章□
□空手部の門戸☆負けないよ□
1
入学して間もなく、美舞は空手部の門を叩くべく、日菜子と向かった。
「ひなちゃん、ちょっとトイレで道着に着替えて来るね」
しっかり持って来ている。
やる気満々。
「うん、行ってらー。私は先に行きたい所があるの。家政部ね。後で、空手部に行くよ」
迎えに来るのか程度に美舞は思ったが、後で、日菜子の友情とやる気を感じる事になる。
「うん、悪いね」
美舞は、パタパタと個室へ行った。
2
徳川学園空手部は男子も女子もかなりのレベルで高校総体で全国制覇する事数度にも及ぶ。
卒業生にはオリンピックに出たり、プロレスラーになったり、有名になる者も数多い。
その空手部には、百八十センチの大男等珍しくなかった。
「おおー、皆さん立派な体格ですね」
美舞は、愉快になった。
「僕は、百三十五センチ、三十五キロですよ。スリーサイズは内緒ね。小人みたいに見えますか?」
その美舞が道場に入って行った時、空手部員の顔は見物だった。
「すいませーん。一年D組三浦美舞、入部希望します。僕は、この男子空手部に青春を感じます」
美舞の場違いな可愛い声は今迄騒がしかった道場を静寂の場に変えてしまった。
なにしろ、身長がかなり低く、非力そうな女の子が道場の入り口で驚くべき言葉を発したのだから無理もなかった。
「あのー、どうかしました?」
美舞はきょとんとして、近くにいた一人の男に聞いた。
その男は美舞の言葉で正気を取り戻したのか、唐突に笑い出した。
「はっはっは、はっはっは」
その男の笑い声を皮切りに道場中が笑い声に包まれた。
それを美舞は不思議そうに見ながら暫くじっとしていたが、どうやら収まる気配がないので、先程の笑い始めた男に話しかけた。
「なにが……。おかしいんですか?」
男は笑い疲れたのか、暫く呼吸が整わなかったが、笑いが収まると美舞に話しかけた。
「君が……。はっはっ。うちに……。ふっはっはっ。入部……。するのかい?」
「はい」
美舞は元気に話した。
「でも、ここは男子空手部だよ」
苦笑いされた。
「ええ、知ってます。駄目なんですか?」
男は美舞の真剣な眼差しと、真摯な物言いに思わず真面目な顔になった。
「いや、駄目って事はないさ。徳川学園は老若男女問わずがモットーだからね。それはうちにも言える事だから」
「それなら……」
と言いかけると。
「だが、見ての通り、ここは君とは体格が違い過ぎる男しかいない。君の身の為にも女子部に行った方が良いと思うんだが」
3
「いいえ、是非ここでやりたいんです」
男は少し考えた後、提案した。
「それならこうしよう。部員の一人と組み手をしてみてから考えよう」
「良いですよ。誰ですか相手は」
美舞がそう言うと男は一人の男に手招きをした。
その男は、部員の中でも大きな方で見た目、百八十センチはゆうにあった。
「いいんですか、松井さん」
「ああ、真面目にやってやれ、加藤。身の程を知れば諦めるだろう」
松井と呼ばれた男は加藤に向かってそう言った。
加藤の方は少し心配をしているがそれでも松井の言い分を認めたのか、美舞の前に立ち礼をした。
「君には恨みはないが、君の為だ。大怪我する前に一度自分の立場を知っておいた方が良い」
「その言葉、忘れないでよ、加藤さん」
美舞はそう言うと、静かに礼をし構えた。
その構えは、右半身を前に出し、少し腰を下げ、右手は口の辺りに、左手は胸の辺りに置いてあるものだ。
両手には指無しの黒い革手袋が謎めいて着けてあった。
一方、加藤の方は足を肩幅に広げ、心持ち左半身が出ていた。
更に両手は顎の前に軽く握って置いていた。
美舞はスピードを生かした攻撃型の、加藤は守りの型である。
しかし、加藤はその巨体で美舞を威圧し無言の攻めをしていた。
少しずつではあるが美舞は退がって行った。
対峙してから一分ほどして、突然、美舞は動いた。
4
「やあっ」
掛け声と共に美舞は加藤の左脇腹に右フックを打ち込んだ。
鈍い音と共に加藤の脇腹はへこんだが、加藤は何食わぬ顔で立っている。
「その体の割りには効くパンチを持ってるな。だが、それじゃあ俺を倒す事は出来ないぞ」
加藤はそう言うと、右正拳を繰り出した。
美舞はそれを躱し、左正拳を繰り出した。
加藤はそれを右肘でブロックした。
美舞はすぐさま左中段回し蹴りを繰り出し、加藤がそれを躱すと、蹴り足を降ろし、それを軸足にして右上段後ろ回し蹴りを繰り出した。
それは加藤にヒットしたが、普通は顔面に当たる筈のものがこの二人だと脇辺りに当たる。
加藤は一瞬顔を歪めたが、すぐ真剣な顔をし、構え直した。
「加藤さん、強いね」
「ああ、まあな。これでも全国でも十指に入るぞ」
「ふーん、じゃあ本気……出すよ」
美舞はそう言うと、いきなり加藤の懐に入り込み、右正拳を腹部に打ち込んだ。
そしてすぐさま右下段蹴りを打ち込み、その蹴り足を軸に左上段跳び後ろ回し蹴りを打ち込んだ。
その全てが加藤の腹部・左足・顔面にヒットした。
その次の瞬間、加藤は右膝をついた。
「ぐ……。う……」
加藤は唸りながらも立ち上がり、構え直すと呼吸を整えた。
そして、徐に左正拳を繰り出し、続けざまに右正拳を繰り出した。
美舞がそれをブロックすると、続けて右中段回し蹴りを繰り出し、美舞のブロックごとふっ飛ばした。
美舞はうまく着地したが、加藤の攻撃が効いたのか暫くその場に留まっていた。
幾らブロックしたとは言え、体重が三倍近くもある男の攻撃を三度も受けたのだからただ事では済まない。
「へへ……」
美舞はそう言って、笑い出した。
微かに俯いた顔を上げた。
「ん? 頭でも打ったのか?」
「ううん。嬉しくって」
こんな可愛い少女がと言った感じの満面の笑顔である。
「嬉しい?」
加藤は不思議に思って訊いた。
「うん、今迄両親以外の人と闘った事が無くって。他の人と闘えるのが嬉しいんだ。それも加藤さんの様な強い人と……。だから、ここは勝たなきゃね」
5
美舞は改めて構えた。
先程からの構えとは違う、心持ち後ろに重心を置いた構えだ。
加藤はそれに対して正面を向いて右拳を引いている。
「じゃあ……。行くよ」
美舞はそう言うと左上段回し蹴りを加藤の右顔面に向けて繰り出した。
加藤はそれを辛うじてブロックしたが、ブロックごと弾かれて左後方につんのめった。
加藤はすぐさま体勢を立て直したが、美舞が続けて繰り出した跳び右後ろ回し蹴りをまともに顔面に食らった。
美舞は体勢を崩した加藤の左顔面に右正拳を打ち込んだ。
美舞の拳は加藤の頬を歪め、口の中を傷だらけにし、右後方へ仰向けに倒した。
加藤は口の中に血の味を感じたが、それによって益々、闘争本能を擽られるのを感じた。
「ふふっ」
加藤は笑うと勢いよく立ち上がり、左拳を引いて構えた。
先程迄の防御を目的とした構えではなく、空手の本懐である“一撃必殺”を目指した構えであった。
美舞は一瞬、背筋に冷たいものが伝うのを感じたが、それも一種の高揚感であることを知っていた。
美舞の方は左肩を加藤の方に向け、重心を右足に置き、左手は地面に垂直に、右手は脇に添えて構えた。
加藤は次の一撃に全神経を傾け、美舞にも躱せぬ攻撃をすると教える様な構えをし、それに対して美舞も受けてたっている。
どちらも次の瞬間に決着を狙っている。
「……」
「……」
二人の緊張は傍からも感じられる程で、どちらも気が満ちて来ている。
どちらかの気が揺らいだ時動く筈だった。
数十秒後、美舞の頬を伝っていた汗が顎から地面に落ちた。
次の瞬間、加藤が吠えた。
6
「ううおおおおおお……」
加藤の左正拳が美舞の顔面めがけて唸った。
それはまるで大砲の砲丸の様な一撃だった。
その一撃は美舞の可愛い顔を打ち砕くかと思われた。
しかし、それは美舞の手痛い報復で応酬された。
美舞は左腕で加藤の正拳を受け流すと同時に右上段回し蹴りを放ったのである。
それは加藤の左側頭部をカウンター気味に蹴り抜いた。
加藤はその反動で右へ吹き飛ばされてうつ伏せに倒れ、暫く目を覚まさなかった。
「あっ、加藤さん……。大丈夫?」
美舞はゆっくり起き上がる加藤に心配の目を向けた。
加藤の方はと言えば、左後頭部の辺りを左手でさすって美舞の顔を見た。
美舞は加藤がどうやら無事なのを確認してほっとし、右手を差し出し加藤を起こそうとした。
加藤は黙って美舞の右手を握り、美舞の引く力に任せて立ち上がった。
そして美舞を改めて見つめ直しゆっくり話し出した。
「参ったよ。君がそこ迄強いなんてなあ。今迄女には負ける筈はないと思っていたが世界は広いな。ましてや男勝りの大女じゃなく、こんなに可愛い小さな女になんて……」
「加藤さんは今迄闘った人の中では強い方だよ。僕の両親は元々凄く強いし、その友人にしても同業者だからとてつもなく強かったもの。その中でもかなりの強さだから自信持っていいんだ」
7
「へえ、君のご両親は何をやっているんだい」
加藤は柔道等の格闘家かと思っていた。
「今はただのおじさんとおばさんだけど、昔、戦争に参加していたって」
けろっと美舞は言った。
「戦争?まさか第二次世界大戦じゃあ……」
加藤にはびっくりな話であった。
「違うよ。僕の両親まだと三十六と四十六歳だもの。何の戦争かは分からないけど。確か……。傭兵とか言ってたなあ」
「そうか、その中でも強い方か……」
「うん。お世辞じゃなく、本当に強いよ」
美舞は真剣な顔をし、両拳を握って言った。
加藤はその姿を見て微笑みを浮かべ、それを見た美舞も加藤に微笑み返す。
そして、二人は改めて握手を交わし、お互いの健闘を讃えた。
ほかの空手部員も二人の闘いぶりに闘う事の面白さを再確認した。
「松井さん……」
加藤は松井に向かい一言言った。
松井の方も加藤が言わんとしている事を了承し、美舞に対して言った。
「参ったよ。君の入部を認めよう。君程の使い手ならうちでもついて行けるだろう。まあ、女子部じゃ物足りなく感じるだろうから、うちでやる事を薦めよう」
「わあ! やったあ! ありがとう、松井さん、加藤さん」
美舞は十五歳の少女に戻り、思いっきりはしゃいだ。
先程迄の険しさは全く感じられない。
それどころか一目見ただけでは、この少女が大男と対等に闘えるとは分からないだろう。
8
「しかし……。この強さは桁外れとしか言いようがないな」
松井が顎に手を当てて言った。
「ええ」
歓喜の声で頷く加藤。
「日本の女子空手界では敵なしだろうな。それでも、女子部に行く事など考えず、ただ強い人と闘いたいという一点だけで……」
松井は嬉しいばかりである。
「うちに入る事を考えたなんて、面白い奴ですね」
美舞の可愛いらしい風貌が余計に加藤のみならず皆にそうさせていた。
「ああ。しかし、あの子がうちに入ってくれたお陰で、ほかの部員のレベルが上がるだろうな……」
流石は部長の観点である。
「楽しみですねえ」
格闘家としての加藤も負けない。
「何が?」
松井はひょいと思った。
「あの子がどこ迄強くなるかです」
闘ったからこそ盛り上がって加藤が答えた。
「そうだな。それを俺たちが見守る……。か」
松井は部長として、こうなったら空手の本懐を学んで欲しい等色々と頭を捻らせていた。
「ええ」
加藤は大きく頷いた。
美舞がはしゃぐ姿を見ながら、松井と加藤は真剣且つ楽しげな表情で話し込んでいた。
この二人はこれからの美舞が乗り越えなければならない試練の数々を知らないのであった。
9
「ひなちゃん、来てくれていたのか」
又、トイレで着替えていると、日菜子がノックして来た。
「うん、さっきだよ」
「ちょっと待ってねー。はい、お待ち! 帰りましょう」
美舞は、ブレザーを着て出てきた。
てくてくと歩いて徳川学園前駅に向かう。
「さっき、男子空手部の部長さんに、栄誉マネージャーの許可を貰ったよ」
「え? 本当に! マジ嬉しいな」
「うん、私は、俗称ハイジ部を申請して部長になりました! 普段は、お菓子を焼いたり、裁縫をしたりする家政部ですよ。その中でも一番は、畜産部と共同で、羊毛から染色迄して、デザインセーターを作りたいなって」
一番に、美舞に話したかった様である。
「うわっ! 凄いな、ひなちゃん!……で。男子空手部栄誉マネージャーなの?」
「そうよ、兼任」
二人とも楽しそうである。
「がんばってくだしゃんせ」
友達ががんばっているのは、とても嬉しい美舞であった。
そして、駅に着いた。
「美舞、明日、新入生歓迎大会だね」
「うん、楽しみだよ」
にこにこしている二人。
ちまちまと手を振る。
「またねー」
「またねー」
声が揃う可愛い新入生は、お互いに反対方向に別れて電車に乗った。
その晩、わくわくし過ぎて、美舞は珍しく遅く迄起きていた。




