幕間 狂い始めた物語
これでこの章はラストです。
別視点になります。
そして残酷描写ありです。
「何で、こんな事もろくに出来ないのよっ!? このクズッ!! 賤しき血の分際で、公爵家の血を引く私に手間ばかりかけてっ!!」
少女は何時も苛立っていた。
それは焦りから来るものであったり、寂しさや不安から来るものでもあったが、少女は最悪な事にソレを暴力として他人へと普段からぶつけていた。
今日の怒りの原因も、本来であれば取るに足らないような事であった。
《バシンッ》
豪勢な家具が並ぶ、広い屋敷の中でその音はよく響いた。
「あ゛ぁ゛ぅっ!!?」
女の苦悶に充ちたうめき声が、部屋の中で響いた。
女は手足からダラりと、血を流していた。
少女の手には、小さな棘の付いた鞭が握られていた。
その棘の尖端から、血がポタポタと滴る。
「も、申し訳ございません゛、お嬢様、ぉ、御許しをっ! 何卒、怒りをお納めくださいっ!!」
女は恥も外聞もなく、血だらけのまま額を地につけて許しを乞うた。
自分より、一回りも二回りも違う幼い少女に向かって、何度も、何度も。
頭を下げ続けた。
「何故、お前のようなモノにこの私が慈悲を与えなければならないのっ!? その耳障りな声で、私は今とても不愉快だわ!」
だが、そんな謝罪は少女相手には意味をなさない。
何故なら、コレは少女――リリス・ウェルザックにとっては只の憂さ晴らしの様なものなのだから。
リリスに目をつけられてしまったこの瞬間から、女の結末は既に決まっていた。
「そんな! お嬢様っ! リリスお嬢様っ!!」
女も心の奥底では、分かっているのだろう。
無駄だ、と。
女は過去に同じような目にあってきた同僚を、何人も見たことがあった。
そして、それと同じ数だけ見殺しにしてきたのだから。
慈悲が与えられる事がないのは、よく分かっていた。
「慈悲をっ! ご慈悲をどうかっ! どうか!!」
分かってはいたが、女は命乞いを止める事は出来なかった。
何度も何度も、頭を地に振り下ろし、額からも血が流れる程に繰り返した。
けれど、何度繰り返してもリリスの口から許しが聞こえる事はなかった。
「無能はいらないわ、処分して!」
そして、何時も通り残酷な審判が下された。
女は只運が悪かったのだ。
機嫌の悪いリリスの視界に、偶々入ってしまった。
只、それだけの事だ。
女だってかつての同僚達をそう憐れみながらも、手を貸す事はなかった。
けれど、自分がその立場に立つのとは訳が違う。
他人の事は不運で済ませられても、自分の命がそんな理由で失われるのは断じて許容出来なかった。
それは、きっと今まで見殺しにしてきた同僚達もそうであっただろう。
彼等は何度も何度も許しを乞い、女や周囲の同僚達に助けを求めたのだから。
女も同じ様に、周囲にいる同僚達に縋る様な視線を向けるが、その視線が交わる事はない。
誰も彼もが、自分の身が可愛い。
「ご慈悲をっ! どうか、どうかっ!!!」
女は狂ったように、必死に叫び続けた。
「――――五月蝿いわねぇ、何の騒ぎかしらぁ?」
女が連れて行かれようとした時、この殺伐とした空気には場違いな程、気の緩んだ声が部屋の外からかけられた。
金髪に漆黒の瞳を持った、美しい女だ。
その腕は隣にいる男へと絡ませており、胸元を大胆に露出している。
それ故に、整った顔立ちながら、どこか毒婦の印象を他人へと与えていた。
「ぁ……奥さ「お母様っ!」」
リリスはその姿を確認した途端に、現れた女性、自身の母親の元へと駆け寄った。
そう、この女はリリスの母親であった。
けれど、全く似ていない親子であった。
母親は毒婦の印象を与えるとはいえ、その容姿は整っており、大勢の男達を魅了してきた。
それに対し、リリスは実に平凡な容姿であった。
平民に多い焦げ茶に、同色の瞳。
周囲はリリスの生まれが、下賤の出ではないかと度々噂してきた程だ。
「何でもございませんわ! お母様はこれから何かご用事が? なければ、私とお茶でも――」
しかし、リリスは母が腕を絡ませている男の存在など見てみぬふりをして、一心に話しかけた。
愛情を注がれた事は1度もない。
けれど、リリスは母親を慕っていた。
リリスは、自分が母親と同じ大貴族の血を引き、父親は母親の前夫の名門伯爵家当主だと疑ったことはなかった。
周囲の噂など、僻みや妬みでしかないと。
そう、信じていた。
信じようとしていた。
―――この瞬間までは。
「あぁ、お前を見て思い出したわぁ。お前の父親、こないだ死んだみたいなのぉ。全く、役に立たないわぁ――本当にお前と、そっくりねぇ?」
母親何気なく、何の感情もなくただそうリリスに告げた。
まるで世間話をするかの様な気軽さで告げられた母親からの言葉は、リリスのこれまでの生き方を粉々に踏み砕くものだった。
「……ぇ? お、かあ、さま? 何を冗談を……」
リリスが動揺するのも無理はない。
自分のこれまで信じていたものが、何気ない一言で亀裂が走ったのだ。
動揺しない方がおかしいだろう。
リリスの父親である伯爵は、リリスが生まれる前に死んでいる筈だ。
「あの目障りな女を消すようにお願いしたのに……所詮、下賤の生まれではたかが知れてると言うことかしらぁ?」
母親はリリスの動揺も話も無視して、一人で喋り続ける。
その言葉からは、死んだその男への情は感じられない。
「嘘……だって、私はお母様の、子供でしょう……?」
うわ言のように、リリスは母親に問いかけた。
「そうよぉ。私とは、似ても似つかないけどぉ」
子の必死な形相をよそに、母親は髪先を指で弄りながら詰まらなそうに答えた。
「そ、んな……私は、名門伯爵家の……誉れ高き魔眼持ちのお父様の、子じゃ……」
「――は? そんな訳ないでしょう? お前のような出来損ないが、あの方の血を引く筈がないわ」
リリスが父親の事を口にした途端、母親は先程とは売って代わり冷たい双眸で実の娘を睨み付けた。
「……本当の父親なら、お前も会った事あるわよぉ。……こないだも、何か貰っていたでしょぉ?」
「……こない、だ?」
「そう、覚えてるでしょぉ?」
心当たりはあった。
その男は、実によくリリスに似ているから。
茶髪に茶眼の平凡な、特に特筆する事のないような容赦。
男はリリスに事あるごとに、プレゼントを贈っていた。
それは高価な物であったり、遠くの国の珍しい物であったりと様々であった。
母の客が何故私に? と、思わなくもなかったが、男は屋敷を訪れる度にリリスへと声を掛け、リリスへ親愛の情を注ぐ。
リリスの家柄や行動から怖れ敬われる事はあっても、愛情を与えられた事はない。
だから、理由については考えないようにしていた。
「あれが……? 私の、父親……?」
思い返せば、手がかりはいくつもあった。
この屋敷に支えている使用人達も、恐らく薄々は気付いていただろう。
「……クリスティーナ、早く部屋へ行こう」
「ふふ、そうねぇ? 今夜はたのしみましょぉ?」
そう言うと未だ立ち尽くしているリリスを放って、母親、クリスティーナ・ウェルザックは男と部屋を後にした。
「……私が下賤の血を引いている?」
それは今まで権力を振りかざし、周囲を見下し虐げていたリリスには耐え難い真実であった。
だから――――
《ガシャンッッ》
ガラスの砕ける音が、部屋に響いた。
「お嬢様っ!?」
長年リリスの世話をしていた侍女が、突然のリリスの行動に声を上げた。
割れたのは蓮の華をモチーフにしたガラス細工、リリスの実の父親から贈られた物の1つだ。
「こんな、ものっ!!!」
《ガシャンッ》
色取り取りの宝石が、宝石箱ごと床に散らばる。
「いらないっ!」
《バキッッッ》
愛らしい顔をした高価なビスクドールの人形の手足が、床に落ちた瞬間に取れた。
「私はっ!!」
《ガキイィィン》
リリスは父親から贈られた物を、全て壊した。
部屋は悲惨な事になっており、元に戻すには多くの時間がかかるだろう。
「はぁっ……はぁっ、……」
足りない、足りない。
壊したくらいじゃ、この感情はおさまらない。
もっと、何か……別の……。
「……あんた、何を見てんのよ」
リリスはじろりと視線を彷徨わせると、ある一点で眼を止めた。
「ひっ、!? 私は別に、何もっ!」
先程処分を決めた女だった。
「ねぇ、あんた、クズの癖に私を見下してたの? 本当は、クズの血を引いてるって……ねぇ、そうなの!?」
リリス言っている事は無茶苦茶だった。
けれど、そうと知っていても、リリスは割れたガラス片を握り女へと向けた。
自分の手が傷付くことも厭わずに。
「ひっ!? たすけ、助けて……」
「――嫌よ」
リリスは、腕を女へと振り下ろした。
何度も、何度も。
女が動かなくなってもまだ――
その晩、屋敷には女の悲鳴と、幼い少女の笑い声ががこだました。