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カナしき誕生日

全五回の予定。

電撃小説大賞一次通過作品です。(短編です)

 美少女が今、僕の目の前にいる。


 よく『萌え~』って台詞とセットで見かける、黒いメイド服にフリフリ白エプロンのツインテールが、きちんと正座して合掌している。そして僕と彼女の間には、じいちゃん。

 美少女メイドと、もう絶対起きないじいちゃん。昨日まで、いや、ほんの数時間前まで、全然、全く想像できなかった取り合わせだ。

 僕は大いなる困惑の中、激動の一日をぼんやりと思い返し始めた。


   ―  ・  ―  ・  ―  ・  ―  ・  ―


 僕の十五歳の誕生日に、じいちゃんは死んだ。

 親も兄弟もいない僕の、実質たった一人の身内だった。

 木枯らし一号が吹いたその日、スーパーあおいを出てすぐ、しゃがみこむように倒れたそうだ。たまたま通りかかった女子高生が救急車を呼んでくれたそうだけど、手遅れだった。

 六畳の仏間で、いつものせんべい布団に挟まれて寝るじいちゃん。蝋人形みたいだ。

 枕元に目をやると、少し膨らんだスーパーあおいの袋。中身は生クリームと、バナナと、スポンジケーキ。いつもは田中屋のジャンボどら焼き二段重ねにローソクだったのにさ。この前もらったショートケーキを食べながら、僕が「丸ごと一個食べてみたい」って言ったから? だからって百円生クリームと半額スポンジケーキと黒いバナナ一本って、どら焼きケーキより安上りなんだけど。ってか、手作りする気だったってこと? そんなガラじゃなかったじゃん。それに、そんな手作りケーキが出てきたら、一体どんな顔して食えばよかったんだよ。

 田中屋なら近かったのに。あおいまで、行ったりするから。

 僕が十月に生まれたりなんかするから。

「あった!」

 声は隣の仏間からだった。築五十年のボロ家に突然やってきた二人の泥棒――は言い過ぎか。

「ほらね、やっぱり父さんはここに通帳入れてた。母さんが護ってくれるって思ってたのね」

 じいちゃんに、顔だけはちょっと似てるデブいおばちゃんが、得意げに通帳を振り回す。ばあちゃんの面影がある細っこいおじちゃんが、おばちゃんが持つ二冊の通帳を覗き込んだ。

「やあだ貯金これだけ? これだから年金暮らしって……」

「親父はずっと国民年金だったから、遺族年金ももらえないしなあ。借金はないみたいだが」

「やっぱり生命保険も入ってないみたいね。引き落としされてないし。ほんとケチったらありゃしない。入院しないで逝ってくれたからよかったようなものの……えっ、ちょっと待ってやだ何これ。ほら二ヶ月前、一〇〇万円も引き出されてる!」

「本当だ。親父、何に使ったんだろ。まさか女かな」

 これ、父親の遺体と、母親の位牌の間での子どもたちの会話。ま、血の繋がりってさ、ホームドラマみたいに濃くも強くも美しくもなかったりするよね。

「残りは一〇〇万か。これくらいなら拓真にくれてやって……」

「一〇〇万円も! ……でも、うん、そうね。当面の学費と生活費としては充分でしょ。奨学金もあるわけだし、足りなかったら後は自分でなんとかしてもらわないと。じゃ私たちは、ここを売った額を分ければいいわよね。すぐ不動産呼んで査定してもらわなきゃ。最近、ここらへんマンションの建設ラッシュだから、期待できそう」

 おばちゃんの明らかに声が上ずっている。踊りだしそうなくらいだ。じいちゃんがこのおばさん避けてたの、分かる気がした。

「お前は相変わらず強欲だな。ここ売るんだったらこのボロ家を壊して更地にしないと。第一」

 ここでおじさんの声が低くなる。

「今、この家なくしたら、拓真どうすんだ。お前引き取れるのか? 俺は無理だぞ。いくらなんでも東京には連れてけない。家族四人で3DKの狭いマンション暮らしなんだから」

 3DK中古住宅に五人で住むおばさん言葉なし。勝負あり、か。

 その後も不動産だ後見人だって話は続いたけど、もう聞かないようにした。経済力も才能もない無力な中学生の僕には、泣いても喚いても、結局何もできないんだから。

「とりあえず拓真が高校卒業するまではこの家は残す。その後ここを売って、入った金額を三等分すればいい。なら文句ないだろ?」

「何言ってんの。二等分でいいわよ。だって貯金はあげるし、あと三年、この家に住まわせてあげるのよ。葬式代だって私たち持ちでしょ? うちは子供が三人もいて大変だってのに。売却する時には立て壊し料や手数料だって要るわけじゃない。兄さんもローン残ってるでしょ」

「――じゃあ、決まりだな」

 早口でまくし立てるおばさんにウンザリしたように、おじさんが強引な相槌を打って話を終えた。二人が揃ってこちらを見る。やれやれ、やっと終わったか。正座し続けるのも疲れたからちょうどいい、なんて思っていたら二人はのっそりと仏間から出てきた。おじさんが言う。

「葬式とかはこっちでやるから。それと、ここに高校卒業までは住めるようにしておくから、将来をちゃんと考えて、しっかり生きていくんだぞ。困ったことがあったらメールしろ。とはいえ、おじさん東京にいるから、すぐには来れないかもしれないが」

 ウチにはパソコンも携帯もないんですが……って言葉は呑み込んだ。どうせ連絡しないし。

 そして隣町のおばさん。

「拓真ももう十五歳なんだから、高校に行ったらバイトして、自分のことくらいきちんとやれるわよね。今は高校の授業料要らないし。男の子なんだから、生活保護とか児童相談所とか児童施設とか、関係ないわよね。そんなのに頼ったら、大学行けなくなるし。拓真は頭がいいから、そんなのイヤでしょ? おばさんパートで忙しいから、何かあったら兄さんに連絡しなさいね。でももう子どもじゃないんだから、一人で頑張らないとダメよ」

 人のよさげな笑顔をみせながら、はっきり「頼ってこないでね」と言うおばさん。面倒は見ないけど近所の目があるから生活保護とかは恥ずかしいからやめてって、あいかわらず見栄っ張りで、これまた随分な話だよな。思わず隣のクラスにいる、おばさんそっくりなデブ男を思い出す。ヤツは一人で頑張れるのか? 多分ムリ。そう思ったら、なんか笑えた。一瞬だけど。

 まあ、仕方ない。母さんがまだ生きてた頃に、何度か会ったくらいだし。大学を卒業して、結婚して、子ども作って、家買って……モデルケースみたいに順当な生活を送ってきた二人に、俺みたいなのをかわいい甥っ子だなんて思えって方が無理ってもの。

 高校卒業したらよく分からない男と同棲して棄てられた挙句、子ども(僕)を残して死んじゃった母さんは、二人にしたら「どアホな妹」だったんだろうな。母さんの、後先考えず気持ちのまま突っ走る性格じゃあ、この人たちとは相容れなかっただろうし。

 「色々準備があるから」と言いながら、来たときと同じように、二人は慌しく去っていった。

 やっと自分の空間が取り戻せてホッとしたのも束の間――耳に痛いくらいの沈黙が訪れた。

 もたれかかったちゃぶ台にポットとお茶セットが載っていた。寒さしのぎにお茶を入れると、モウゼンと白い湯気が立ち上り、かえって部屋の寒々しさが感じられた。落ち着いた湯気の向こうの仏壇から、やけに若い母さんが笑ってこちらを見ている。 

 父親は誰だか教えてもくれず、バイトをいくつも掛け持ちして、『拓真と一緒に大学生になるんだ♪』が口癖だった母さんは、僕が中学に上がる直前、肺炎であっけなく逝っちゃった。で、僕はここに引き取られた。そして去年、ばあちゃんが逝って、今度はじいちゃん――。

 ああ僕ってば、本当に、天涯孤独ってヤツになったんだ。

 風が、安いガラスをビシバシ鳴らしている。寒いのは隙間風が入るからだ。何かもう一枚、着ようかな……思うけれど、どうしてか立ち上がる気にならない。

 ビーッ!

 その時だった。音の大きいインターホンが鳴った。

 人付き合いがキライなじいちゃんだったから、お客は皆無だった。たまーに来るのは、セールスか宗教勧誘。なんだよこんな時に! 無視だ無視。

 ビーッビーッ!

 しつこい。

 ビーッビーッビーッ!

「分かったよ、出ればいいんだろ、出れば!」

 僕は仕方なく立ち上がり、廊下に出て、三和土たたきに裸足で下りた。「誰!」

 自然、声が尖る。ひび割れをテープで止めた安いガラス戸に、黒い膨らみが透けていた。

「ごめん下さい」

 声は、まるで聞き覚えのない少女のもの。困惑しながら僕は引き戸を開けた。立て付けが悪くて、スムーズに開かない。ガタガタ戸を鳴らすことしばらく。

 突然スパーンと開いた戸の先にいたのは、ツインテールメイド服の少女。手にはビニール袋。

 な、な、な、なに? このイセイジン。

 声も出せずボウゼンとする僕に、彼女は深々と頭を下げた。

「突然失礼致します。私、まりあと申します。生前おじいさまにお世話になった者です。是非とも、手を合わさせていただきたく、参りました。お邪魔してよろしいでしょうか?」

  

   ―  ・  ―  ・  ―  ・  ―  ・  ―


 で、誰? 同じ質問が頭でグルグルし続けてしばらく、彼女が動いた。両手を下ろし、ゆっくりと頭を上げた。フツーはできないこの格好。胸元と同じ黒いリボンのツインテールがイタくない若さ、いやむしろ似合ってる――って、何を冷静に分析してるんだ、僕は!

 と、自分にツッコミ入れてたら、彼女がいきなり後ずさった。目が潤んでる。声が出ない僕の前で、彼女はさっと三つ指つくと、

「ご挨拶が遅くなり、申し訳ございません。お初におめもじ致します。私まりあ、本日より心をこめてお仕えさせていただきます。拓真さま。何なりとお申し付け下さいませ」

「お仕えって……」

 絶句する僕の目の前で、彼女の目が、じいちゃんの枕元を捉えた。そこにはスーパーあおいのビニール袋。

 彼女は「失礼致します」とそれを手にすると、すっと立ち上がり、

「お台所をお借り致します」

 あくまで丁寧な口調で、深々と頭を下げると、さっと身を翻した。

 ガサガサガサ。シャカシャカシャカシャカ。

 聞き慣れない音が、廊下を挟んで向かいの台所から漏れてくる。

 ガチャガチャ。あ、あれは食器棚からヤ○ザキの白い皿を出している音とみた。

「お待たせ致しました」

 しばらくして戻ってきた彼女が捧げ持っていたのは、ヤマザキの白い皿に載った、ホールケーキ。眩しいくらいの白に、ブラウンの四角が載っている。それに惹かれるように、じいちゃんに場所を取られて片隅に追いやられたちゃぶ台に、僕は寄った。

 全体に生クリームがキレイに塗られたスポンジを、輪切りバナナが縁取っている。絞り出されたクリームを土台に、真ん中に置かれた長細いクッキーには、チョコレートで「Happy Birthday 拓真さま」と書かれていた。

 ポカンとする僕の目の前でローソクを立てられていく。長いのが一本、短いのが五本。次々に火が点けられた。

 すると彼女が手拍子付で、歌を歌いだした。ちょっと待って、これってまさか……。

「……ハッピー・バースディ ディア 拓真さま~。ハッピー・バースディ トゥ ユー。おめでとうございます。さあどうぞ」

 彼女は笑顔で、僕にフォークを差し出した。

 僕はフォークを手にとって、ホールケーキを少しだけ削った。二枚のスポンジの間からは、バナナがゴロゴロこぼれ出した。全部すくい上げて、慌てて口に入れると、ビックリするほどまったりとした甘さが口の中に広がっていく。

「おいしい……」

「よかった! あ、今コーヒーをおいれしますね」

 彼女は嬉しそうな声を上げると、軽やかに立ち上がった。

 『カフェインちゅーのは高いくせに身体に悪いもんだから、飲まんほうがいい。番茶がええ、番茶が』って言いつつ、外出先で疲れると絶対マックのコーヒーだったよな。『茶より安いからの』と言い訳しつつ、『ええ香りじゃあ』ってゴマンエツだったよな。

 ガラっとふすまが開き、お盆に載せられたコーヒーが置かれる。

「お砂糖とミルクはどうされますか? 拓真さま」

「……」

「たくま、さま?」

 まだ何もできないのに。

 覗き込むツインテールがぼやけている。

 まだ何もしてないのに。

 二口目のスポンジが喉につかえて、下りていかない。 

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