カルテ03:深夜の攻防
私の眠りを妨げたのは頬を包み込む穏やかな温もりだった。
最初はその心地よさに、開きかけた意識をもう一度閉じようとした物のそこではたと気づく。
どうやら自分は誰かに触れられているらしい。
そこで私はようやく飛び起きた……いや、正確には飛び起きかけたというべきだろう。
起こそうとした体はがっちりと押さえられ、悲鳴を上げかけた口は大きな掌で塞がれてしまったのだ。
「落ち着け新人。叫んだら入院患者がビックリするだろ?」
耳朶を振るわせる低くかすれた声で、私はようやく目の前にいる男の正体に気づいた。
「ローガン先生?」
口を塞いでいた掌が離れると同時に尋ねれば、体の上に乗っていた重さが消える。
その後、僅かな魔力の高揚と同時に小さな火が枕元におかれたろうそくにともった。
もちろん私がやったのではない。ローガンが付けたのだ。
「あんまり驚かれるとこっちも傷つくんだが」
ともった灯りの下で、ローガンは不機嫌そうな顔をつくる。
「だって……!」
「ちなみにノックはしたし、ついでに言うと鍵も開いていた。これはまさに入ってくださいという状況だとは思わないか?」
全然思わないが、それよりも体に残った動揺が反論を押し止める。
「起こして悪かったが私もすぐ診察に戻らねばならないんでな。手短に話そう。何すぐ終わる、君が私の質問に答え、そしてさいごにハイと頷けば全ては終わる」
一方的に進む会話に、私の入り込むよちはない。
そこでふと治癒術師あ周りから「変人」と称されていたことを思い出す。
優秀なのだがとにかく人の話を聞かない。そして強引で我が儘。 それが彼にたいする周りの評価なのである。
「話……ですか?」
「午前1時34分、君はエイナに呼び出されて受け付け業務にかり出された。……これに間違いないか?」
唐突な質問に、少したじろいだ。
けれど尋ねるローガンの目は真剣で、私はとりあえず頷いた。
「そして私が君の前に現れたのは午前1時40分。その前に準備などもあっただろうから、実質受付で異変に気付き、私に声をかけるまでは3分少々だとおもうが、間違いないか?」
「たしかに、それくらいだったと思います」
「君の履歴書を読んだが、治癒術師として働いた経験はないと書いてあるが本当か?」
「話しが飛びますね」
「本当か?」
どうやら周りの評価通り、人の話を聞かないというのは本当らしいと早口から察する。
「本当です。嘘だったら事務員なんてしてません」
「しかしそうなると非常に不思議なことが起こる」
形の良い顎を伸びたままの無精ひげの上からさすりながら、ローガンはあまりに近すぎる距離で私の目をのぞき込んだ。
「君は治癒術に関してはずぶの素人だ。にもかかわらず、僅か3分弱の時間で魔力の歪みは勿論その出所にも気づいた」
「あの、それが何か問題が……」
「問題なら大いにある。これは常人には不可能きわまりない行為だ。ゆえに私は疑問を持ったのだ、何故君があれを見抜いたのかと」
とっさに後ずさったが、寝具のすぐ後ろは壁で、身を乗り出したローガンとの距離はさほど埋まらない。
その上ローガンはここが女性の寝台であることもお構いなしに乗り上がると、私の距離をまた詰める。
「別に怒っている訳じゃない。ただ純粋に知りたいんだ、あれをどうやって見抜いた」
怒っていないという割には鋭い眼光に臆していると、ローガンは突然私の耳元に顔を寄せた。
もちろん動けずにいる私の髪に顔を埋め、そして彼は静かに息を吸う。
「……レイラの香りか」
耳元で囁かれた言葉にはっとすると、今度は腕を取られる。
それからローガンは患者にするように私の腕や肩に触れ、全身に素早く視線を送る。
「このタコから察するに得意な武器は短剣か。そしてこの日焼けの仕方は少し特殊な服と装飾品を長い期間身にまとっていた証拠だ……。っと、これは驚いた。ひ弱に見えるが意外に筋肉があるようだな。しかし柔軟性は高いと見える」
一体何を言い出すのかと唖然とする私の前で、ローガンは最後にもう一度私の髪に鼻を近付ける。
吐息がかかるほどの距離に、もちろん私は悲鳴を上げかけた。
もちろんすぐに、口はローガンの指でふさがれてしまったが。
「レイラの香りに交じって僅かにするのはフェアリーパウダーか」
その上なんと彼は、私の手を持ち上げその人差し指をぺろりとなめた。
さすがにこの時は黙っていられず、私は口を覆っていたローガンの手を引きはがす。
「なっ何なんですか一体……!」
「君が自分のことを話さないから少し観察しているだけだ。私は、疑問は解決しないとすまないたちでな」
そこでようやく私から身を引き、ローガンはにやりと笑う。
「魔力に聡い理由が分かった。君、履歴書に嘘を書いたな。前職は定食屋のウエイトレスとあったがそれは嘘だ」
ぎくりとひるんだ私に、ローガンの笑みは更に濃くなる。
「君の前職は『踊り子』だ。それも勇者と旅をする冒険者のたぐいだろう」
ちがうと言おうとした口が「どうして」と疑問を口にしていた。
「踊り子は場の空気と魔力を読み、味方の戦闘を助ける舞を踊るものだ。その目で、耳で、肌で周囲の魔力を関知し、舞によってそれを変化させ、勇者の身体能力や魔導師の魔力を引き上げる。そんな踊り子なら、あの短時間で魔力の異変に気づいてもおかしくない」
それに……とローガンはまた私の体に目を向ける。
「踊り子が魔力感知の能力を引き上げる為にたくレイラの香の香りが君には焼き付いている。それに日焼けの後をみれば、君が踊り子の装束を纏っていたのは想像に難くない」
とローガンが指さしたのはいつの間にかめくれ上がっていたシャツの間から見える私の腹部だった。
「踊り子の装飾は総じて露出度が高いからな。他の職業の装備では、そんな細やかな日焼けの跡は付かない」
「わっわかりましたからそんなにじろじろ見ないでください!」
「別に良いじゃないか、減るもんでもないし。それに君の腹は恥じるどころか美しいと思うぞ。適度に筋肉が付いているし、先ほど触れたがなかなかに良い肌触りだった」
何の恥じらいもなく言ってのけるローガンにウッカリ頬を赤く染めてしまい、私は慌てて我に返る。
今までは動揺するばかりだったが、やられっぱなしは癪だ。それになにより、いくら先輩とはいえ今までの行為と発言は失礼すぎる。
「それを暴いてどうするつもりなんですか! たしかに履歴書に嘘を書いたのは問題かも知れませんが、それで迷惑はかけていないでしょ! それにこんな……こんなの酷いです」
「酷いとは?」
「人に許可無く触ったり、臭い嗅いだり、なっ嘗めたりするなんて」
「それは君が私の問いかけに答えないからだ」
「答えないからってこれはやりすぎです!」
「では君は、何もしない私に答えを提示したか?」
思わず言葉を詰まらせると、ローガンはほら見たことかと天を仰ぐ。
「でも私は、私は女なんですよ! なのにあんなにベタベタ触ったりするなんて!」
「安心しろ、私は仕事中に欲情しない。それに小娘に手を出すのはさすがに気も引ける」
「小娘じゃないです! もう18です!」
「私にとっては小娘だ」
悪びれないこの男が今年で30も半ばをこえているのを思い出し、私はまたしても返す言葉を失う。
「反論はもう良いか? 話を先に進めたいのだが」
良いとは言えなかったが、返す言葉が出てこないので私はあらん限りの不機嫌を顔にはり付けた。
しかしローガンは何処吹く風で、私の険しい視線を物ともしない。
「君は小娘だが踊り子としては優秀なようだ。そして魔力も申し分ない」
「だから何だって言うんですか」
「私は助手が欲しいんだ。優秀な助手がな」
そう言うと、ローガンは一枚の紙を私の膝元に落とす。
「治癒術師と雇用契約書だ、今すぐそこに名前を書け」
「けっ契約書!?」
「ジジイの部屋から持ってきた。それに名前を書けば、明日から治癒術師として雇ってやる」
話が支離滅裂で理解しがたいが、ジジイというのは院長のことであることは何となく理解した。
「雇ってやるって、貴方に何の権限が!?」
「私はここの稼ぎ頭だ。つまり私の言葉にはジジイも逆らえない」
「でも何で!!」
「頭の回転は遅いのか……。まあいい、そこは鍛えてやる」
いうなり、今度はペンを私の膝の上に落とした。
「喜べ新人。君は私の助手にふさわしいと私が判断した。つまり君は今日から新人事務員ではなく新人治癒術師として私の下で働くことを許されたのだ。誇れ」
誇れ、のあたりで私の頭の中できれてはいけない何かがきれた。
相手が先輩だとか、名医だとか、元勇者だと言うことは全て吹き飛び、私は大きく息を吸う。
そしてその直後、私は最近とんと使ってなかった腹筋をバネに飛び起きると、ローガンの顔面に向かって足を蹴り上げていた。