カルテ05:わかりにくい賛辞
エイナ先輩とのお昼を終え、午後の業務に就いた私を待っていたのは、宿敵の不満そうな顔だった。
「俺とはお茶すらしないくせに、何故エイナとはすぐ出かけるんだ。俺の方がよっぽど有意義な時間を与えてやれるのに」
わざわざ嫌味を言いに来るのがわかっていたからこっそり出かけたというのに、我が宿敵は本当に目ざとい。
「なぜバレたのかと不思議そうな顔をしているから答えてやるが、理由はその口臭だ。お前達が行きつけの店は、レイガナ大陸産の香辛料をふんだんに使っているので口臭で一発でわかるぞ」
思わず口を押さえ、ローガンを睨め付けたのは言うまでもない。
「前々から思ってましたけど、先生って人のにおいを嗅ぐのが趣味なんですか?」
「そんなわけないだろう。ただすこし鼻が良いだけだ」
鼻が良いだけでわかるほどくさかっただろうかと思わず口臭の確認をしていると、ローガンは今更のように言葉を付け加える。
「あと、エイナの彼氏から彼女をお前に取られたと泣き言を聞かされていたしな」
「……むしろ、そっちが理由でしょ!」
何でわざわざ口臭の話題を出すのかと憤慨すれば、ローガンは悪びれる風もなく肩をすくめる。
「口臭も立派な理由だし、物事を推測する場合に置いて私はあの男の言葉を信用していない」
「さりげなく、勇者様のこと悪く言ってますよね」
「様など付ける必要はない、あいつはただの阿呆だ」
「どこかの元勇者よりよっぽど素敵で素晴らしい方だと思いますけど」
「元勇者が誰をさすかは自ずとわかるが、あれより下だと思われるのは心外だな」
言うほどこたえた顔はしていない。むしろ少しおかしそうに、ローガンは笑う。
「だがまあ、ああ言う男の方が心象が良いのはわかるがな。私から言わせれば勇者という生き物はどれも欠陥だらけの人間……いや人間にすら思えないが、あいつはまあ人間になりかけたクマくらいの愛嬌はある」
「褒めてます?」
「褒めてるよ。私としてはかなりの賛辞だ」
ちっともそんな風には思えなかったが、そう言うならばとそれ以上の詮索はよす。
「ともかくだ、食事は俺と一緒にとれ」
「絶対嫌です」
「どうせ生産性の無い話しかしないのだろう? その点、私と食事に行けば価値ある会話と知識を与えてやれるぞ」
「先生には価値がなくても、お昼休みに女子同士でおしゃべりするのって凄く重要な事なんです!」
「わからなくはないが、心からおしゃべりを楽しめるほど君と彼女が仲が良いとは思えない」
「どうしてそう思うんですか?」
「だって君は、肝心なことを告げていないだろう?」
笑って、ローガンは私が座る受付カウンターに身軽に腰かけた。
「……何のことでしょう」
「君の過去はそこまでひた隠しにする物か? むしろその才能と技能は誇るべき事だと思うが」
だから何のことでしょうととぼけようとしたが、私を見下ろすローガンは逃がしてくれそうにない。
「私は無能な勇者や治癒術師より、踊り子の方がよっぽど素敵だと思うがね」
素敵という言葉に、私はなんだか無性に腹が立ってきた。
何せその褒め言葉は、主に悪い意味でかけられたことしかない。
「それは見かけ的な意味ででしょ?」
踊り子が、そしてかつて私自身が纏っていた衣装を思い出し私は思わずそう吐き捨てる。
「踊り子なんてど底辺も良いところの職業ですよ。別にいなくてもいいし、いたとしても目の保養くらいにしか思われないし……」
それにと言葉を続けようとした時、唐突に無骨な指が私の唇を押し止める。
「君は真性のアホだな。いや、君にそんな知識と見解を与えた奴こそがアホだ。踊り子の衣装は確かに可憐で魅力的な事は間違いない。かくいう私も露出が多いあの装束は大好きだ! だがあの装束の一番の利点はエルハム生糸が織り込まれていることだ」
エルハム? と思わず首をかしげてしまうと、ローガンが信じられないという顔で私を見つめる。
その表情は、正直ちょっと腹立たしい。
「君は踊り子なのにエルハム生糸の事も知らないのか? 高濃度の魔力が日夜流れる『聖脈』を有する地エルハム。そこで育った蚕から取れる生糸はどの属性の魔力にも馴染むことで有名なんだぞ!」
更に首をかしげてしまう私に、ローガンの顔に侮蔑の色が加わった。
「つまり我々が肌で気温や魔力を感じるように、エルハムの生糸で作った服もまた魔力を感知するのだ。だから周囲の状況と魔力を察知し変容させる踊り子はエルハムの生糸で作られた服を纏い、場の魔力を読むのだ」
「……たしかに、他の職業の装備はしちゃいけないってお師匠様に言われた気がします」
そうだろうと言いながら、ローガンはなにやら難しい顔で考え込む。
「あんな貴重な服を身に纏っていながら、その意図も知らぬとは情けない」
「だって、みんな普通に来てるから……」
「誰もが着ているからこそ、その理由が知りたいと思うものだろう。君は思慮が足りないな、やはり俺が鍛えてやるしかあるまい」
やっぱりそこに行き着くのかとげんなりしていると、ふとローガンが顔を上げる。
「まさかお前、踊り子の装束を捨てたりしていないだろうな?」
「捨てようとは思ってるんですけど」
捨てられずにいますというと、彼は大仰に天を仰いだ。
「踊り子の装束は踊り子の間でしか売買がされぬ貴重な物なんだぞ! 捨てるなんて馬鹿言うな! むしろ捨てるくらいなら寄こせ!」
「なっ、なんで欲しがるんですか!」
「着たいからだ」
断言したローガンに、思わず身を引いた私を誰がせめられよう。
何せ踊り子は女性しか慣れない職業で、もちろんその装束は女性の体に合わせてあつらえた物なのだ。
それにローガン自身が言ったように、踊り子の服は魔力感知を能力を妨げないようにという理由で服と言うよりは肌着に近いのだ。薄い生地故に胸と腰回り以外は肌が見えているし、まかり間違っても男性が纏う代物ではない。
「そう言う趣味なんですか」
「大層な鎧に身を包むよりよっぽど動きやすそうだとずっと思っていたんだ」
「いやでも、色々と破廉恥な事になりますよ」
「見栄えより重視すべきは機能性だろう。とくにここで働くなら患者の容態を良く感じられた方がいいだろう」
踊り子の装束で往診しているローガンの姿が一瞬頭をよぎり、慌てて振り払った。あまりに気色悪すぎる。
「先生には渡せません」
「なら大切に持っていろ。とても価値のあるものだ」
私にはそう思えなかったが、有無を言わせぬ彼の声にしぶしぶ頷いた。
「貴重なものなら取っておきます」
「あと言わずもがなだが、衣装以上に君のその技能もまたとても貴重なものだぞ。だからあまり蔑ろにするな」
仕方なく頷いたが、こっそりため息も重ねる。
ローガンの言葉は残念ながら一般論ではない。確かに珍しい技能ではあるが、それを重宝してくれる環境は皆無と言ってもいい。
そしてそれこそ、私が踊り子であることを隠している理由である。
ローガンはああ言うが、やはり踊り子の衣装はその性能より見た目に目がいくものが多い。
そして『舞い』という技能も、それがもたらす効果よりしなやかな体位に目がいきがちなのだ。
故に踊り子は売春婦のようだと揶揄されることが多く、実際その本来の役割とは別の事を強要されることも多々ある。
体を開かねば旅の仲間に入れないと脅されたことが何度もあるし、旅の途中で関係を迫られたことも一度や二度ではない。
また治癒術などに比べて効果が目に見えにくいため「いても価値がない」と安直に思われやすいことも、誤解に拍車を駆けている。
勿論腕が良い踊り子であればその技能で仕事を勝ち取れるが、最近は特に負の印象が勇者達の間に蔓延し、まともな旅の仲間を得るのが難しくなっているのが現状だ。
そしてその印象は残念ながら旅をやめた後も続く。
昔踊り子だったと言う理由で白い目で見られ、仕事に就けなかったことも一度や二度ではない。
だからこそ私は踊り子であることを隠して、今の職に就いたのだ。
「浮かない顔だな。どうやら君はまだ私の言葉を理解していないらしい」
「してますよ」
素っ気なさが言葉ににじみ出たのか、ローガンは深いため息をついた。
「しているなら、今頃君は嬉々として私の助手になっているはずだ」
「残念ながら先生の助手に嬉々としてなるひとはこの世界の何処を探してもいないと思います」
「こう見えて、私は伝説の勇者で凄腕の治癒術師だぞ」
「そう言うことを自分で口にするところが駄目なんですよ」
呆れたが、ローガンはそんな馬鹿なと笑うだけだった。
「ともかく私は絶対、先生の助手にはなりません」
「なるさ」
「その根拠は?」
「君が踊り子だからだ」
だからどういう意味だと眉をひそめた瞬間、ローガンは私の眉間の皺を楽しそうに指でつつく。
今にわかると微笑む彼にそれ以上の口出しは無駄らしい。
「先生、いい加減仕事してくださいよ」
だから結局、私は嘆きをこめて彼の体を遠くに押しやるしかないのだ。
「だがみろ、患者は誰もいないじゃないか」
「来た時に先生がそこにいたら入りずらいでしょ」
ローガンは相も変わらず浮浪者のようなだらしのない格好なのだ。そんな医者が受付で暇そうにしている治療院に誰が入るのかと詰め寄れば、奴は今更のように伸び放題の髭を撫でる。
「そういえば、最近風呂に入っていない」
「妙に据えた臭いがするのはそのせいですか! 暇ならシャワー浴びてきてください!」
先生の家は診療所のすぐ裏じゃないですかと怒鳴れば、ローガンはちらりと時計を見る。
「5分で戻ってくるとエイナに伝えておいてくれ」
「むしろもっとゆっくりしてきてください!」
5分じゃ落ちる垢も落ちないと怒鳴れば、ローガンはちっとも懲りていない顔でフラフラと診療所を出て行く。
「絶対あんな不潔な人の助手になんかならない」
絶対をあと3度ほど繰り返し、私はローガンに触られた唇を乱暴にこすった。