メタモルフォーゼ
結局、あれから三日が経過しても状況は何も変わらなかった。
その間、ユウが念の声を使って何度かアーダに問いかけてみたのだが、その都度、もう少し待って欲しいと言われ、待っている間に時が過ぎていったという感じだ。
例の声は、もうずいぶん前に聞いて以降、全く聞こえて来ていないので、先を急ごうにも急ぎようもない事も事実なのだが、それでも、次に声が聞こえる前に、大雑把にだが把握しているその方向に向かって出来るだけ進んでおきたいという気持ちも有るので、ただ待っているだけというのは落ち着かない。
そんなこんなで、少し焦り始めた三日目の朝、アーダの館に異変が起きた。
館がみしみしと音を立てて揺れ始めたというのだ。
アニーチェからその事を聞いたユウが館の前へと駆けつけると、館は確かに揺れていた。
しかし、建物が壊れる程の規模の大きな揺れという訳ではない。
ユウは館の扉を開け、アーダに念声かけた。
『どうした? 何かあったのか?』
返事はすぐに帰ってきた。
『あたしの事なら大丈夫だから、心配しなくていい。もう少し待っててくれ。あと少しで出て行くから』
声のトーンもその口調も、アーダは大分調子が戻ってきている。
しかし、もう少しだけ待ってくれ、と言うアーダの言葉は、実は以前から変わっていない。
少し、というのがどのくらいの期間をさすのかユウには見当がつかなくなってきていた。
そんな事もあり、ユウはアーダに初めて聞き返してみた。
『もう少しって、どのくらい?』
『もう少しはもう少しだ。もう出て行く準備に入っているからな』
『準備?』
『とにかく、もう少しだけ待っていてくれ。すぐに出て行く』
『……わかった』
何だか強引に押し切られてしまったような気もするが、アーダの口調に元気が戻ってきた事は嬉しい事だ。
偉そうな口調ではあるのだが、小さな体で虚勢を張っている様は、想像するになんだかとっても可愛らしい。
念声の張りも戻っていて、むしろ以前よりも艶があるようにさえ感じられる。
自然、口もとがほころんでしまう。
ユウがそんなにやけた顔のまま、館の前から立ち去ろうとすると、正面からフィノと、少し遅れてルティナが走り寄って来るのが見えた。
恐らく館に異変があったと聞いて駆けつけて来たのだろうが、その異変は今はもう収まっている。
フィノはユウの近くまで来た所で力を抜いて、そこからはゆっくりと近づいてきた。
「なに? ユウ、何かいい事でもあったの?」
「どうして?」
「だって、表情が緩んでいたじゃない。遠くからでもわかったわよ」
「そ、そうかな」
フィノはユウのすぐ近くでいったん立ち止まり、そこからユウの右腕に、飛び付くようにしてしがみついた。
此処の所、ユウが表情を険しくしている事が多かったため、フィノはあまりこういう行為はとらないようにと自粛していたのだが、この時のフィノは無意識にユウの顔色を読んでいたのか、本人も気づかないうちに、気付いたらユウに抱き付いてしまっていたのだ。
そこへ、少し遅れてルティナが追いついてくる。
「私にもユウが嬉しそうにしているように見えましたよ。良い事があったのなら教えてください」
「別に、そういう事でもないんだけど…」
戸惑うユウの左腕に、ルティナもフィノと同じようにしてしがみつく。
一部の小人達が、何事なのかと三人を見ている。
「な、何?何で急に…」
「わかんない。ユウが嬉しそうにしていたからかな、体が勝手に動いちゃったの。けど、いいじゃない。もうこうして抱き付いちゃったんだし、小人さん以外に見ている人はいないみたいだしね」
「いや、恥かしいでしょ。せめてもう少し目立ない所へ行ってからの方が…、ねえ、ルティナ」
「私も、構いませんけど」
ルティナにそう言われてしまったら、もうやむを得ない。
小人たちの好機の目にさらされるくらいは仕方がないのかもしれない。
ユウがそんな覚悟したその時だった。
ユウの後方で、それまでよりも数段大きな館のきしむ音が響いて来た。
ピキッ…ミシミシミシミシ
振り返ると、館の屋根が先程までよりさらに大きく膨らんでいる。
何が起こったのかわからず、しばしその場で固まってしまっていると、館の屋根は更に大きく膨らんだ。
バキバキバキバキバキッ
館のきしむ音がさらに一段階大きくなる。
「アーダ!」
ふと我に返ったユウは館に向かって走り出そうとした。
しかし、フィノとルティナに両側から挟まれていて走れない。
その間にも屋根はどんどん膨らんでくる。
館は小人の作った小さなサイズの家なので、元の屋根はそれほど高い位置にある訳ではなかったのだが、今はかなり見上げる高さまで膨らんでしまっている。
もうそろそろ限界だろう。
そう思った次の瞬間、とうとう何かが館の屋根を突き破った。
屋根の上に現れたのは真っ赤な繭。
心なしか深い赤色へと変わったように見えるその繭は、押さえる物が無くなって、更に大きく膨らんだ。
と思ったその時、
バン
と言う音と共に繭の一番上の部分が弾け、その中から黒い影が勢いよく飛び出して来た。
その影は、フィノ並みのスピードで屋根の上から飛び降りて、そのまま真っ直ぐユウいる場所めがけて迫ってくる。
気が付くとユウは、槍の穂先を喉元に突き付けられていた。
咄嗟の出来事で、頭の中が混乱する。
ルティナもフィノでさえユウと同様動けていない。
が、一番最初に我に返ったのはやはりフィノだった。
「アーダ?」
少し冷静になって見てみると、確かにユウが突き付けられているのはアーダが大事にしていたラビアローナの槍に間違いない。
だが、それを持っているのは、ユウよりも背の高い、綺麗な薄紫色の肌を持つ見事なプロポーションの美しい大人の女性だ。
アーダとは、背丈はもちろん、その容姿も全然違う。
肌もずっと滑らかで、何よりそのはちきれんばかりの大きな胸は、身に付けている革鎧からはみ出すほどのボリュームだ。
ユウはその胸を見て、いや、その大きな胸を辛うじて護っている革鎧を見て気が付いた。
この女性の着ている皮鎧は、ユウがアーダに買ってあげたものに間違いない。
アーダのサイズに合わせて買ったものなので、この女性が身に付けるにはサイズが小さすぎるのだ。
その所為で余計に胸が強調されてしまっている、という事だ。
槍は依然としてユウに突き付けられている。
槍を持つ女性の表情は依然として厳しいが、そんな表情もまた美しい。
くすみのない綺麗な銀髪を風に靡かせ、鋭い目で睨みつけている。
しかしよく見ると、その顔にはやはりアーダの面影がある。
「アーダ、…なのか?」
思わず呟いてしまったユウのその言葉を聞いた女性は、ラビアローナの槍を派手なアクションと共に収め、石突を地面に突き刺すようにして立てると、今までよりも少し艶めかしい声で言った。
「あたしが動けずにいる事をいい事に、随分いちゃいちゃしてくれたみたいじゃねえか。あたしの事をないがしろにしやがったら、只では済まさないからね」
その声は、ついさっき念声で会話した時のものと全く同じ声だった。




