辺境の村
街道とは、赤いレンガの敷かれた整備された道だった。
ラーツはこの街道をまっすぐに行けばすぐにラーブルと言う村に着くからと言い、持っていた予備の剣をお礼にと言ってユウに渡すとそのまま反対方向へと去って行った。
ラーツの行く方向へは徒歩だと十日ほど歩かないと次の村へは着かないという事だった。
それでもラーツは新たな仕官先を見つける為にそちらの方向へと向かうのだそうだ。
ユウとフィノは別に仕官先を探している訳ではないし、そもそも今は聞こえなくなってしまったとはいえ声の主の居場所を探すのが本来の目的だ。声がしたのはラーツが向かう方向とは正反対の方向だったため、ラーツとはそこで別れる事になったのだ。
ラーツと別れて以降、フィノはずっとラーツにもらった剣を握り、その感触を楽しんでいる。
フィノの強さなら剣など必要ないようにも思えるが、剣に対して何らかの思いがあるのか、その表情はどこか感慨深げだ。
ユウはその剣をフィノにあげると言ったのだが、フィノはユウが身を守るのに使ってほしいと言って断った。
しかし、剣は今フィノが握っている。ユウはそれでフィノが喜ぶのならそれでいいと思っているし、そもそもユウは剣の扱いなどド素人なので、ユウが持っていてもまともな使い方は出来ないので仕方がない。それよりは剣の扱いにも通じているように見えるフィノが持っていた方が剣も役に立つ事があるだろうと思われた。
「ユウ、この剣、結構いい剣かもよ」
「へえー、フィノってそう言う事もわかるんだ」
ユウはフィノが剣を扱えるとは聞いていなかった。
いかにも女の子っぽい外見で剣などと言うものとは無縁の生活をしていたように見えるフィノだが、あの異常な運動神経を見せつけられれば、実は剣技にも長けていたと聞いてももう驚きはしない。
「うん、剣もちょっと修行してた事があるんだ。でも、全然役に立たなかったけどね」
そう言ってフィノは無理やり笑顔をつくった様に見えた。
フィノのあの運動神経で剣を振るえば、たとえそれを使う技術が低くてもそれなりに脅威になるはずだと思うのだが、それが全く役に立たないとはフィノはどんな相手と相対した経験があるのだろう、という思いが頭をよぎったユウだったが、それを言うとフィノがまた嫌な事を思い出してしまうのではないかと考え、それには触れずに話題を変える事にする。
「ところでさ、ラーブルの村ってどんな所かな。いい人ばかりだといいんだけど…」
「そ、そうよね。た、たぶん大丈夫よ。あ、あのラーツさんもいい村だって言ってたし…」
しかし、ユウとしては別に変な話題に振ったつもりはないのだが、フィノの反応は微妙なモノだった。
持っていた剣を鞘の中へと戻し、ユウの手を握ってくる。
こういう場合、大概何か悪い事を思い出している事をユウは今までの経験から知っている。
話題の変え方に失敗したらしい。
ユウは密かに顔をしかめ、せめて少しだけでもフィノが元に戻る様にと優しくフィノの手を握り返した。
その時だった。微かに、しかし確実に声が聞こえてきた。
『…お願い…ます。……………して……さい』
祈りの様にも聞こえるきれいなソプラノの声は探していたあの声に間違いない。
ユウに声が聞こえたらしい事を、例によっていち早く悟ったフィノはユウの事を窺うようにして静かにしてくれている。
しかし残念ながら声はすぐに聞こえなくなってしまった。
それでも声の方向が確認できた事は大きかった。方向は今歩いているこの街道の先の方向で間違いない事がわかったからだ。
「フィノ、声はすぐにまた聞こえなくなっちゃったけど、方向は確認できた。やはりこっちで間違いないみたいだ」
ユウはフィノの手を握り直し、フィノが握り返して来たのを確認してからその手を引いて歩き出した。
そうして誰も通らないさびれた街道を半日程歩いていくと、急に人の気配が感じられるようになってくる。
ラーツから聞いたラーブルの村に着いたのだ。
村は谷合の僅かな平地に作られていて、街道は村を見下ろす高台の上を通っていた。
そこへ差し掛かると、村の全貌が見て取れた。十軒ほどの民家が並ぶ小さな集落だ。
街道は谷合のぽつぽつとまばらに建つ民家の間を縫うように続いている。
村と言っても大きな建物などは見当たらない平屋の家が数件あるだけのもので、小さな畑で作業をしている人の姿などから村全体にのどかな時が流れているのがわかる。
「フィノ、やっと着いたみたいだよ。ほら、人もいる」
ユウの手を握るフィノの手に一瞬力が入ったのがわかるが、フィノはすぐに力を入れ過ぎた事に気づき、力を抜いたようだった。
「大丈夫? 何か心配な事でもあるの?」
ユウはフィノに努めて優しく話しかけた。
この世界に来て初めての人の住む村なのだ、ユウにも不安は無い訳ではない。しかし、いくらユウの何倍も強いとは言え、目の前の女の子が不安がっている前で、いや、不安がっているからこそ、ユウは自分は落ち着いているのだと見せかけようと心がけた。
「う、ううん。何でもない。心配しないで」
フィノはユウの言葉を聞き、繋いだ手の温もりを確認すると、自分自身に力を入れる様に一つ頷いてから、ユウに向かって微笑んだ。
それによってフィノはどこか吹っ切れたようで、しっかりとユウの手を握り直してくる。
「ユウ、行くよ」
そして、ユウの手を引き一気に丘を駆け下り始めた。
「わぁぁぁぁぁー」
フィノに引きづられるようにして走りながらユウは思わず大声を上げていた。
その声で、畑で作業をしていた人が何事かと振り返る。
そんな訳で集落に着く頃には二人の事はすっかり村人達に知れわたっていた。
村人達の視線が集中し、恥かしい思いもした。
しかし、それは決して悪い事ばかりともいえなかった。
ユウとフィノが村に入るとすぐに、集まった村人たちが二人を歓迎して、集まってくれたのだ。
集まってきた人達の前で二人が立ち止まると、その中でも一番年上に見えるお爺さんがユウに話しかけてきた。
「旅の人、ようこそラーブルの村へ。何か旅に必要な物がお有りなら、格安でお助けいたしますぞ。宿も格安で準備できます故、ゆっくりして行ってくだされ」
老人はどうやら旅人に何かを売る等して金銭を得ようと考えているようだが、残念ながらユウとフィノは無一文だ。
「ごめんなさい。俺達、お金は持っていないんです」
期待して集まってくれた人達には申し訳ないが、こういう事は早めにはっきりさせておいた方がいい、ユウはそう思い正直に話した。
しかし、がっかりして帰って行くだろうと思った村人達はそのままその場に留まっていて、誰も帰ろうとはしなかった。
それどころか、意外な言葉を掛けてきた。
「そうでしたか。それは申し訳ない話をしてしまった。お恥ずかしい限りじゃ。いや、ここは街から遠く離れておる故、たまに来る旅人から得るお金は貴重なものでな。……。じゃが、お金など持っておらんでも心配する事は無い。贅沢なものは差し上げられないが、食べる物くらいは分けてやることはできるし、短い間なら泊めてやっても良い。長居するのなら働いてもらわねばならん事になるがな」
集まった村人達も、うちに泊まればいいとか、うちにはいい果物があるとか、うちには旦那が今日獲ってきた肉があるとか言っている。
どうやらお金がないとわかっても歓迎してくれる事に変わりは無いようだ。
しかも、ユウとフィノの付けている腕輪に気付くと村民達はさらに騒ぐようになった。
「お二方、その腕輪は何処で手に入れたのです?」
村人の輪の中から出て来た壮年の男がユウの腕輪を見つけたのだ。
老人もユウの腕輪を見てとても驚いた。
「おお、それは「森の標章」ではありませんか。見せてくだされ」
そして、ユウの腕を掴んで真剣な眼差しで腕輪を凝視する。
ユウは掴まれた腕が少し痛かったのだが、じっと我慢して待った。
老人はしばらく腕輪に見入っていたが、程なくして、ほお、と一声漏らし、その後ようやくユウの腕を開放した。
「長老、こちらの娘にも」
誰かがあげた言葉に反応した老人が、フィノの腕輪も確かめにいく。この老人が村の長老だったらしい。
長老は今度はすぐに腕輪から目を離し、振り返ると真面目な顔で言った。
「あの実りの森の「森の標章」をお持ちとは…。知らなかった事とはいえ失礼な事を言ってしもうた。我々もあの森には生きる為の糧を得る為お世話になっておるからの、森の主様には感謝してもしきれるものじゃあないんじゃ。お主達にも出来る限りの事はするんで、この村でゆっくりして行ってくだされ」
そして長老はようやく笑顔になった。
村の人が実りの森と呼ぶオルシェのいたあの森はこの村にとっては重要な森で、村人は森の木々の実りを持ち帰り、また、狩りによって獣の肉をも得ていた。そのため森に好かれる事はこの村の住民にとっては大事な事だったのだ。
なので、「森の標章」を持っている二人が特別な歓迎を受けるのもおかしな事ではなかったのだ。
それはユウの知らない事ではあったのだが、それでも歓迎されて助かったのは間違いない事だった。
「いいえ、我々は別に失礼な事なんて何もされていませんし、逆に皆さんがこうして親切にしてくださる事には感謝しています」
ユウがお礼を言っている間にも、村人達はまだなにやらざわざわと話し合っている。
その内の一人が長老に進言している。
「あの娘の持っている剣ですが、長老の剣じゃありませんか?」
それを聞いた長老はフィノの側へと近づくと、フィノに腰に差している剣を見せるように頼んできた。
「こ、これは私のものではなく、ユウの…」
まだユウに剣を返していなかったことに気付いたフィノが、慌てて説明しようとするが、長老はそんなフィノの言葉は聞いていない。
差し出された剣を見て、声を上げる。
「おお、そうだ。これはラーツが持って行った剣の一つだ。間違いない」
そして剣をそのままフィノに返すと、穏やかな口調で訊ねてきた。
「これは、どこで手に入れなさったのかな?」
どう答えようか迷っているフィノに変わって、ユウがその質問を引き受ける。
「あなた達の言う実りの森の近くで、深い穴の底から出られなくなって助けを求めていたラーツさんの事を、たまたま近くを通りかかった俺達が引き上げてあげたんです。この剣はそのお礼としてラーツさんがくれた物です」
「それはいつの事じゃ?」
「半日ほど前の事です」
「なんと、それでは三日も穴の中にいたという計算になるではないか。あやつめ何をやっておるのじゃ。ばかものが」
長老は吐き捨てるような口調でそう言った。
「ラーツさんの事を知っているのですか?」
長老が、ラーツの事を、良く知った者の様に話した事が気になったユウが聞いてみると、長老はユウとは視線を合わさず、少し恥ずかしさの混じった声で小さく言った。
「あやつは…、ラーツは儂の息子じゃ」
「えっ、ラーツさんはあちこち回って傭兵をしていると言っていましたけど…」
この村は傭兵等とは無縁そうな村だ。もしラーツがこの村に居たというのなら、彼が傭兵だと言うのは嘘なのかもしれない。
「ああ、あのバカ息子は傭兵になると書置きを残し、三日前の早朝に何も言わず村を出て行ってしまったのじゃ。儂が昔使っていた二本の剣を持ち去ってな」
つまり、ラーツが持っていたのは長老の剣だったという事だ。
それが本当なら、正当な持ち主に返すべきかもしれない。
「そうだったのですか、……。ではこの剣は長老様にお返しいたします」
剣を握った時のフィノは機嫌がよさそうだったので、剣は無いよりは有った方がいいだろうと思い始めていたユウだったが、無いと困ると言う訳でもない。
長老が自分の剣だと主張するのなら返す事に異存はない。
ユウはフィノから剣を受け取ると、そのまま長老の前へと差し出した。
しかし、長老は剣を差し出すユウの手を優しく押し返してきた。
「いやいや、それはラーツが奴なりに考えてあなた達に贈ったもの。ですから今はあなた達の持ち物じゃ。それよりも、いくらバカ息子とは言え、我が息子の窮地をあなた方が救ってくれたことは確かな様じゃ。とにかく、狭い所で申し訳ないが、まずは我が家の方へお寄りくだされ。何か暖かいものでも用意させますのでな」
長老が手を叩き合図をすると、老人の後方に控えていた二人の若い娘がユウとフィノの前まで進み出て、さあ、こちらへ、等と言いながら、有無を言わせず二人を長老の家へと案内した。
娘達は、柔らかな所作で優しく微笑んではいるものの、それでいて客人をその意図するところに抗えないよう導く絶妙の按配を心得ていた。
ユウは流されるままにその娘達について行くしかなかった。




