バーランド家の人々
ラインラが扉を開けると、その扉の隙間から幼い声が聞こえてきた。
「お母さん、帰ってきたの?」
「こんな部屋に何の用があるんです?」
そして、隙間をこじ開けるようにして、強引に部屋の中へと入ってくる。
入って来たのは、十歳くらいの男の子と、それよりさらに少し幼い女の子。
二人共、綺麗だが貴族にしてはあまり装飾の施されていないシンプルな服を身に付けている。
二人は、部屋に入るなり、そこに客人がいた事に驚いて、姿勢を正そうとし、しかしその中にルティナの姿を見つけて、飛び上がった。
「お姉ちゃん」
「ルティナ姉さん」
言うなりルティナに駆け寄っていく。
幼い女の子の方はそのままの勢いでルティナに飛びついた。
「お姉ちゃん、帰って来たのね。ラビア、ずーっと心配していたのよ。良かった、良かった」
「ありがとう、ラビア。私は元気よ、心配しないで」
ルティナは複雑な表情でラビアを抱きしめ、そしてラビアの背中を優しく撫でた。
一方、男の子の方は、ルティナの手前まで勢いよく駆け寄った所までは妹と一緒だったが、寸前で立ち止まり、抱き合う二人を黙って見つめた。
その視線はルティナの手首で留まっている。
少しして、おもむろに辺りを見回すと、ユウを見つけて、その子なりに精いっぱい凄んでいる事のわかる厳しい目で、ユウの事を睨みつけた。
「お前が、ルティナ姉さんを奪って行った男だな」
その勢いに押され、ユウが何も言い返せずに黙っているのを見て、ルティナが慌てて口を開く。
「違うの、アテル。姉さんは…」
アテルはそのルティナの言葉を遮った。
「姉さんは黙ってて」
そしてユウの前へと一歩進み出る。
ユウはアテルに罵倒されるか、殴られるかするのだろうと、覚悟した。
大事な家族を奴隷として攫っていったと思っているのなら、そう考えたとしてもおかしくは無い。
実際はユウが攫った訳ではないのだが、突然姉を奪われたアテルの悲しみを思えば、一発位殴られてやってもいい、とユウはそんな風に思っていた。
ところが、アテルはその場で膝を付き、ユウを見上げる様な姿勢をとった。
精いっぱい、虚勢を張っているのが見て取れる。
「どちら様かは知りませんが、姉の事、開放してはもらえませんでしょうか。お金は今はありませんが、もし僕が家督を引き継いだ時には、必ず、必ず払います。何だったら、バーランドの称号を譲っても構いません。ですから、お願いします」
アテルとしては自分の知る限りの礼を尽くしているつもりなのだ。
「アテル!」
呆気にとられているユウ越しに、ラインラが大きな声を出す。
「それはいけません。バーランドの称号はあなただけの者ではないのですよ、アテル。先祖代々王家から…」
ラインラのその言葉を聞き、アテルは我慢できなくなったようだった。
「その王家が姉さんを奴隷にしたんじゃないか! 姉さんは何もしていないのに」
見上げるアテルの目には涙が波立ち溢れている。
そんなアテルをすぐ横にいたフィノが諭しにかかる。
「心配しないでも大丈夫よ、僕。ルティは今、ユウと一緒にいれて幸せなの。枷だって、いずれ街の噂が収まれば外すつもりでいる訳だし…」
「だったら、今すぐ姉さんを返してよ!」
だが、興奮したアテルはフィノにも怒鳴り返してくる。
「アテル、良く聞いて、私は…」
慌てたルティナが説明しようと口を開いたそのタイミングで、部屋の扉が、突然、今度は大きく開かれた。
そこにいたのは初老の男性。痩せていて少し疲れている様にも見えなくもないが、その身体から滲み出るある意味人を圧倒する風格は、貴族である事の証のようにも感じられる。
その男が、一同の中では一番奥まった位置にいるラインラに向かって声を発した。
「こんな所で何をやっているんだ、ラインラ」
「フィルス様…、こ、これは…」
フィルスは自分で問いかけておきながら、慌てて説明しようとするラインラを手で制し、どこか遠くを見つめるようにして言い放った。
「…まあ、大体はわかっておる。外まで声が漏れていたからな」
「…すみません」
「ラインラ、お前が謝る事は無い」
ラインラが謝ると、フィルスはすぐにそう言って、視線をアテルの方に向けた。
「アテル、まだ幼いとはいえ、お前がそこまで思慮が浅いとは思わなかったぞ」
その言葉に、一度は収まりかけていたアテルの中の炎が再び燃え上がり始める。
「姉さんが攫われるのを、ただ黙って見送っていた父さんなんかに言われたくないよ」
「アテル! 謝りなさい、アテル」
しかし、ラインラに諌められ、と同時にフィルスの無言の圧力に当てられては、幼いアテルは黙るしかなかった。
アテルが黙ると、他に誰も言葉を発せず、そこには恐ろしい程の沈黙の時間が流れる事となった。




