妖精の家
ユウとフィノが小指の先ほどの大きさの小さな種とそれをちょうどはめ込む事が出来る立派な銀の腕輪を手に入れたのはこの世界へ来てすぐの事だった。
どちらもこの世界へと導いた声が聞こえなくなった後、新たに聞こえるようになった声の主を助けた時にもらった物だ。
それがどんな価値を持つモノかは何も聞いていなかったが、持っていれば役に立つ事があるかもしれないと言われていた為、二人とも身に付けるようにしていたのだ。
しかしそれはオルシェにとっても重要な意味を持つもののようだった。
『その種は、私達が「森の標章」と呼んでいる、この森に住む者にとってはとても大切なものです』
オルシェは二人を森の奥の自分の家へと案内する道すがら、そんな話をし始めた。
森の奥へと戻る事になったのは、助けてもらったお礼に御馳走したいというオルシェの「御馳走」という言葉の誘惑にユウが負けてしまったためだ。
そもそも「御馳走」を蹴ってまで、急がなければならない理由も今現在は見あたらない。久々にまともな食事にありつけるのなら、他の事は後回しにしてもいい、とユウは思ってしまったのだ。
ユウとフィノを先導するように、一番前を歩いていたオルシェが、二人の方を振り返る。
『「森の標章」というのは、森の主である樹が代替わりする時に、次の若木が無事に育たなかった場合の予備の種だったもので、若木が育つとその役目を終えてその森にとって大事な方の元に送られると言われている神聖なものです。先日、母の元に届けられたものを見た事があるので見間違える事は有りません。そんな神聖なものをお持ちの方に助けて頂けたというのも、やはり森の主様のお導きなのでしょう。本当に感謝いたします』
オルシェはそう言って、わざわざ立ち止まって頭を下げた。
その体を起こして、先に進むよう促すユウ。
『そんなに畏まらないで。あまり大げさにされても困ります』
あまり大仰な事を言われても、御馳走目当てで動いている身としては心苦しくなる。
しかし、オルシェはそんなユウの考えなど構う事なく、さらに大仰な言い方をしてくる。
『いいえ、あのままルゲラに攫われていたらと思うと恐ろしくてたまりません。あなた方は私の命の恩人です』
猿はルゲラと言う名前で、今まではこの森にいなかった種類の猿らしいのだが、最近よく見かけるようになってきたらしい。
ユウとしてもオルシェの様な美人に恩人だと言われれば、悪い気はしないのだが、実際にオルシェを助けたのはフィノであり、ユウがルゲラと戦った訳ではない。
そのためもあってか、少しいたたまれない思いを感じ始めていたその時、オルシェが少し先の森の中を指し示した。
『すぐそこが私の家です。さあ、行きましょう』
そう言われてよく見てみると、確かに家らしい建物があるのが見える。ついさっきまでただの森の中にしか見えなかった場所だったので、ユウは不思議な気持ちになった。
そんな事には構わずに、オルシェはその家に向かって歩いていく。
ユウは慌ててオルシェの後に付いていった。フィノも黙って後ろに続く。
オルシェの家は深い森の中にポツンと建っていた。
家の周りだけ高い樹が無くなっていて、そこに日の光が差し込んでいる。
その光に浮かび上がって見えるのは、小さな家の三角屋根だ。
その周囲だけ風の流れさえ感じない、穏やかな空気に包まれている。
オルシェはそんな空気の中心に位置する家の中へと滑るように入って行った。
『ただいま、お母様』
すぐにオルシェが中で話をしているのが聞こえてくる。
立ち去るには完全に機を逸したといえるだろう。ユウはフィノと外で待つ事にした。
しばらく待つと、一人の女性が現れた。オルシェと瓜二つだが、よく見ると少しだけ年上のようにも見える美しい女性だ。オルシェのお姉さんだろうか、とユウが思っていると、おもむろにその女性が口を開いた。
「*************」
聞いた事の無い言葉で、ユウには何を言っているのか全く分からなかったのだが、こちらに向かって頭を下げている事から、お礼を言っているのだろうという事はわかった。
少なくとも敵意を持たれていない事は確実だ。
ユウとフィノの反応から言葉が通じない事を知ったその女性も戸惑っている。
オルシェが気付いて聞いて来る。
『どうかしたのですか?』
『いや、俺達どうも此処の言葉は使えないみたいなんだ』
ユウが正直にそう伝えると、最初オルシェは信じられないという表情をした。
オルシェは今までユウと普通に会話していたので、それもある意味当然の反応なのだが、声に出して話をしていなかった事についてはあまり気にしていなかったようなのだ。
妖精間のコミュニケ―ションの中にはこれに似た方法もあるからだ。
『えっ、でも、私とは…』
オルシェは念声とはいえユウとは普通に話が出来ていたので、他の人と話が通じないとは思っていなかったという事なのだろう、かなり戸惑っているらしかった。
ユウはオルシェの目を見て言った。
『ああ、何故だかはわからないんだけど、俺は誰かが困っている時にその人の助けを求める声が聞こえるようなんだ。それに応えてその声の主の事を助けられれば、その後はその相手と普通に意思の疎通ができるようになるみたいなんだけど、それでも口に出す言葉は分からない』
『じゃあ、私はあなたに助けられたからこうして話ができるっていう事?』
『おそらく』
『もしかてそちらのお嬢さんが何も話さないのは、恥かしがり屋な訳ではなくて…』
『そう、話せないんだ。といっても、俺との間では今オルシェとしているみたいなやり取りはできるんだけどね、他の人とは話せない』
オルシェはようやく状況を理解したようだった。
オルシェとそっくりな隣の美人が心配そうに見つめる中、しばらく考え込んだ後、ゆっくりと顔を上げ、おもむろにその女性の腕を掴み、
『………。わかった。ちょっと待ってて』
そう言い残して、その女性の腕を引き家の奥へと消えていった。
『どうしたの?』
フィノがユウの顔を覗き込んでくる。
しばらく話しの邪魔にならないよう意図して黙っていたフィノだったが、我慢できなくなったようだ。
『俺達は言葉がわからないって言ったら、家の中に入って行っちゃった』
ユウがそう答えると、フィノは閉められた玄関の扉を見つめたまま言った。
『もしかして私達、嫌われちゃった?』
『いや、オルシェは待ってて、って言ってたから、そんな感じじゃなかったと思う』
オルシェは何か思いついたような感じだった。ユウ達に帰れとは言っていない。
『じゃあ、待ってるの?』
『そうだな、少し待っててみようか』
結局二人はそのままそこで待つ事にした。
……………。
しかし、それからしばらくは何の動きも無かった。
穏やかな日射しの中、ただ時だけが流れて行く。
家の中からは時折何やら切迫したような声が聞こえてくるが、何をしゃべっているのかは全く分からない。
魔獣も住む深い森の中だと言うのに、目の前の家の周りだけまるで別世界のようにのどかだ。
『お腹すいたね』
フィノがそう言ってユウの手をぐっと握ってくる。ユウはその手をぎゅっと握り返した。
『そうだな。御馳走は無理かもだな』
オルシェが何をやっているのかはわからないが、料理を作っている訳ではなさそうだった。御馳走が食べられないのなら、あまりここへ来た意味もない。
なので、もう立ち去ってしまってもいいのかもしれないのだが、そんな事とは関係なく、ここには平和な空気が流れていて居心地が良い。
何となく立ち去り難く感じている間にどんどん時は過ぎてく。
フィノは何も言わずに、ユウの手を握ったままの状態でいる。
その手が急に強く握られた。
少しぼーっとしかけていたユウは、それで我に返った。
『どうした?』
『……いい匂いがする』
フィノに言われて、ユウも注意して匂いを嗅いでみると確かにいい匂いがする。
どうやらオルシェは御馳走の事も忘れていなかったらしい。
ユウがそんな事を思っていると、ようやく玄関の扉が開き、そこからオルシェが顔を覗かせた。もう一人の女性の姿は見当たらない。
『おまたせ。二人とも準備が出来たから入って』
オルシェに招き入れられ、家の中に入ったユウは驚いた。
部屋の中が様々な装飾品で埋め尽くされていたのだ。
てっきり御馳走が準備されていると思っていたテーブルの上には、色とりどりの宝石や水晶が精緻な彫刻の施された木製の台座に乗せられ並んでいる。
壁には奇妙な図形の描かれた織物や絵が幾つも掛けられていて、部屋の一番奥には祭壇の様なものが設けられ、そこに描かれた円の中心に丸いテーブルが設置されている。
そしてそのテーブルの上に置かれた銀の台座の上に楕円形の宝石の様なモノが二つ置かれ、それが光に反射し綺麗な緑色に光っていた。
『こちらへ』
オルシェの指示に従ってその後ろを着いて行くと、オルシェはユウとフィノを部屋の奥の一段高くなったステージの様な場所へと導いた。
その中央には祭壇の様なものが設けられている。
『なに?』
オルシェに悪意は感じないものの、流れる空気は決して軽いものではない。外ののどかな日差しの中から入ってきたユウとフィノにはなおさらそう感じられた。
オルシェはその一段高くなっている場所に一緒に上がり、二人の事を交互に見ながら言った。
『あなた達にはこれからある儀式を受けてもらいたいの』
『儀式?』
目の前にある祭壇のようなモノを含め、どうやら周りの装飾は儀式の為のものだったらしい。その準備の為に時間がかかっていたという事だ。
しかし、儀式と言ってもあまりピンとこない。どちらかといえば不気味で嫌なイメージしかない。
そんなユウの不安を和らげようとしての事なのか、オルシェは軽く微笑んだ。
『今私達はこの近くに住んでいる人間と同じ言葉を使っています。しかし我々も昔から人の言葉がわかるというわけではありませんでした。そんな時代に我々の祖先があみ出したのがこの「精霊の涙」を使った儀式です』
オルシェはそう言って、銀の台座の上に置いてあった綺麗に透き通った緑色の宝石の様なものを手に取った。
『これは霊樹リシュナナの樹液でできた「精霊の涙」というものです。これを持つ者は近くの木や水等、自然に宿る精霊の力を借りる事が出来るようになります。彼等は高い知能を持つ者の意識になら働きかける事が出来るので、その力を借りる事で相手の発する言葉の意味も理解できるようになりますし、同様に自分の発する言葉も相手が理解できる言葉へと変換出来るようになります』
ユウは思わずフィノと顔を見合わせた。フィノはユウが何を驚いているのか分からないので怪訝な表情をしている。
そんな便利なものがあるのなら、貰えれば有難いのは間違いない。
『では、それを持っていれば、オルシェとだけではなく、他の人との会話も可能だという事ですか?』
オルシェは台座の上に「精霊の涙」を戻し、それを愛おしむように軽く撫でた。
『いえ、ただ持っているだけでは精霊の力を借りる事はできません。ですから儀式をする必要があるのです。儀式を行い「精霊の涙」を体内に取り込むことでそれが可能になります』
オルシェの言う体内に取り込むという事の意味がいまいち理解できなかったユウだったが、その儀式は精霊たちにとってはさほど珍しいものではないのだろうと想像した。
『ではあなた方もこの儀式を?』
ならば彼等もこの儀式を受けているのだろう。
ユウはそう思って聞いてみたのだが、ところがどうやらそういう訳ではなかったらしかった。
オルシェがかぶりを振って言う。
『いえ。実は我々はもう千年以上もの間ここに住んでいますので、今では普通にこの辺りの人の言葉はわかります。ですからもう長い間この儀式は行っていませんでした。でも大丈夫です。方法は代々きちんと伝えられています。ですから、あなた達もこの儀式を受けた後は、きっと母とも話ができるようになるはずです』
『母?』
色々と聞きたい事、言いたい事があったユウだったが、最後にオルシェが言った「母」という言葉で全てが吹き飛んでしまったようだった。
彼女が言っているのは先ほど会ったオルシェにそっくりな若くて美人なあの女性の事なのだろうが、姉と言うならまだしも、母と呼ぶにはどう見ても若すぎる。
そんなユウの反応を見たオルシェが何か納得したように大きく頷いた。
『母の容姿に驚いているのですね。そうなんです、我々はある程度の年に至った後の外見はほとんど変わらないのです。母はああ見えてもう百年以上も生きているんですよ』
『ひゃ、百って、………、じゃあ、まさか君も…』
百年も生きていてあの美しさだとは驚きだが、そうだとすると娘であるオルシェもそれ相応の年齢である可能性が高い。
『いえ、私はまだ十八才です』
しかし、オルシェはほぼ見かけどおりの年齢を口にした。いや、正確に言えばもう少し年上に見えるのだが、先程の話を聞いた後となってはそれは可愛い誤差だろう。
『何を言っているの?』
ユウの反応を訝しんだフィノが、我慢ができなくなったのだろう、ユウに話しかけてきた。
目の色で何か勘ぐっているのがわかる。
『ちょっと待ってフィノ、少し整理するから』
ユウは慌ててそう取り繕った。




