草原の果て
結局、ユウ達三人は「黒い谷」を超える所まで馬達に送ってもらい、そこまでで馬達には帰ってもらう事にした。
さかんについて行きたがる母馬を説得し、五日後にまたこの場所まで来てもらう約束をして、その時にまだ三人がこの場所に残っていた場合には、また乗せてもらうという事で何とか納得してもらった形だ。
もしその時に三人がここにいなければ、既に街へと戻ったか、別の場所に向かったという事なので、心配しなくていいとも伝えておいた。
馬達は、当初母馬以外の二頭だけでも連れて行ってくれと言っていたのだが、母馬がいなければ意思疎通もできないし、二人だけ馬に乗っても仕方がないので、最終的にはそれも無しになった。
別れ際、馬達から再会の時の為にせめて名前を付けて欲しいと言われ、ユウは母馬には「涼風」、フィノの乗っていた馬には「春風」、そしてルティナの乗っていた馬には「秋風」という名前を付けた。
ずっと野生で暮らしていた彼等はそれまで個別の名前を持っていなかったため、再会の時に呼ばれる名前を決めておきたかったらしい。
人と一緒に暮らすようになった馬は名前を呼ばれる事で、主との間により深い結びつきが出来るのだそうだ。
名前を付けてもらった三頭は別れ際にそれぞれの乗り手から名前を呼ばれると、ユウ達三人の周りを嬉しそうにぐるっと一周回ってから、元来た道を引き返して行った。
馬が帰ると、ユウは谷の先へと歩き出した。
後ろに続いていたフィノがユウに並びかける。
「ユウ、声はどうなったの?」
ルティナもフィノとは反対側に駆け寄ると、ユウと腕をからめた。
「聞こえなくなってしまったのですか?」
その様子を見たフィノもユウのもう一方の腕に自分の腕をからめてくる。
「うん、今はまた聞こえなくなっちゃったみたいだけど、方向はこっちで間違いない。多分、距離的にもそんなに遠くないはずだ」
ユウが聞いた声はそれだけ鮮明に聞こえていた。といっても、ルティナの声が聞こえた時とは違って場所までは特定できていない。
そう考えると声の主の居る場所はそこまで近くはないのかもしれなかった。
「方向が合っているなら、歩いて行けばいつかは着くはずだから平気ね」
ユウの腕にぶら下がり、まるでピクニックのように楽しそうにしているフィノ。
とはいえ、フィノも声の主の事を気にしていない訳ではない。
ユウがその気配を感じた時にはそれをいち早く察知し大人しくしているし、場所さえわかればユウより早くその場へ駆けつけるように努力しているが、そうでないときにまで気を張り詰めている訳でもない。
なので今はユウの横にくっついていてもいい時だと思っている。
ユウとしては嬉しい状態でもあるのだが、早く声の主を見つけたいという気持ちも強くある。
「いや、声の主が動かないとは限らないだろうし、そもそものんびりしていて手遅れになったら元も子もない。早く行かないと…」
両腕を取られた状態だというのに走ろうとするユウをルティナが身体を寄せて引き止める。
「でも、声も聞こえないのに無闇に走って行ったりすると、結局は遠回りする事になったりするものではないですか。焦らない方がいいです。私達もユウ様が声を聞いている時はおとなしくしていますから…」
ユウ自身、そんな事はわかっていた。
ただ両側から身体をぐっと寄せられた結果、集中を乱されて声を聞き逃す事を恐れただけだ。
だがよく考えれば、過去に声が聞こえるようになった時もユウの状態など関係なかった。
聞こえる時には聞こえるのだ。
ならばルティナの言う通りで問題ない。
考えてみれば、しばらく馬上で過ごしていた為、フィノともしばらく手も繋いでいない状態だったのだ。フィノの為にもこうしている事は悪い事ではないはずだ。もちろん、ユウにとっても決して嫌うような状態では無い。
腕に押し付けられた甘美な感覚に気を取られ過ぎないようにさえしていれば、後は声が聞こえた時にその方向と距離感をなるべく正確に把握できればいい。
ユウはそれまで二人の好きにさせる事にした。
しばらく歩くと日が暮れてきたため、なだらかな丘の麓で一泊し、日の出を待って再び歩き出す。
この辺りに獣がいないというのは本当らしく、そのおかげで安心して休む事が出来たのだが、持ってきた食料はもうほとんどなくなった。
こういう場合、狩りをして凌ぎたい所なのだが、いくら圧倒的な強さを誇るフィノであっても、獲物がいないのではどうする事も出来ない。
そんな状態でもフィノもルティナも楽観的だ。
相変わらず両側からユウを挟み体重を預けてくる。
そんな中、ユウは声が聞こえてこなくなった事を心配していた。
この世界に来るきっかけになったあの声のように長期にわたって聞こえなくなるタイプの声だとしたらかなり厄介だ。
二つの声が両方とも聞こえなくなったりしたら、その先はどうなるのだろうという所に思いが至り、ユウは頭が痛くなった。
それでもここまで来た以上、最悪「涼風」達と約束した時までに戻れる所位まではこのまま進んで行くしかないと、ユウは決めた。
それから少し歩くと、草原は緩やかに波打つようになってきた。
さらに歩くと丘が幾つも重なったような風景となり、しかも進むにつれその丘は大きくなって、次第に丘の向こう側は見えなくなってくる。
それでも大きな樹や岩は見当たらないので、ただ歩くのには何の支障もないのだが、ずっと丘の麓を縫って歩いている所為で、丘の向こう側の様子はわからない。
そんな状況になってしまった事もあり、それまでで一番高い丘の近くを通る時、三人はその丘の頂上に登ってみる事にした。
そこで見た風景は同じ形の丘が幾つも連なっているものだった。その丘はこれから行こうとしている方向に進むにつれ次第に大きくなっていて、そのさらに向こうには豊かな森を携えた大きな山が見える。
そこまでで草原は終わっているようだ。
山に声の主がいるのかどうかはわからないが、獣もいない草原よりは可能性が高い。
ユウはとにかくそこまでは一気に行ってしまおうと決めた。
しかし、それから半日程歩いても、ユウはまだ草原から抜け出る事が出来ないでいた。
ただ、同じ膝丈の草だけしか生えていない草原とはいえ、「涼風」に乗って走っていた頃の草原とは風景が大きく異なっている。
ほとんど山と言ってもいい程に、丘の高さが高くなってきているのだ。
いちいち上り下りしていたのでは時間も体力も大きくロスしてしまう為丘の麓を回り込むように進んでいる所為もあるのだが、丘の向こう側はもはや全く見えない。
それでもユウの方向感覚を頼りに、三人は木のほとんど生えていない草原地帯をあと少しで抜ける所まで来ていた。
吹き渡る風の温度が変わった事に気付いたフィノが声をあげる。
「森の匂いがする。もうすぐこの風景ともさよならね」
確かにユウにもそれは感じられた。
「本当だ。長かったな」
「でも、ユウ様、声はまだ聞こえては来ないのでしょう? 森に入ったら方向を修正するのも大変になると思うのですが、このまま進んでしまってもいいのでしょうか?」
すかさずルティナが聞いて来る。
すぐ近くから上目づかいで問いかけられたユウは、自然と心臓が高鳴ってしまっていた。ルティナもフィノも普段からユウの近くにくる事は多く、このようなシチュエーションになる事も少なくは無いのだが、ユウはそれでもなかなか慣れる事ができないでいた。が、それには気がつかれないよう、話しに神経を集中させていく。
「い、いや、声の事もあるんだけど、この草原を早いとこ抜けて、何か獲物を狩らないと、俺達の方が飢えて死んでしまうよ」
「確かに、森まで行けば何とかなりそうですものね」
これはこの先に進むためには大事な話だ。予定外の行動をとっているとはいえ、食べ物が全く手に入らないようになるとはユウは想像していなかった。
「それにしてもフィノもルティナも全然焦らないんだね」
「食べ物位何とかなるわよ。次に見つけた獲物は私が必ずしとめるから、ユウもそんな事心配しなくていいわ」
「その時は私も手伝いますし…」
ユウからしてみれば、その獲物がいない事が問題なのだが、二人ともそこについてはあまり気にするそぶりを見せていない。
何の根拠があるのかわからないが、二人があまりにも落ち着いている為、ユウも次第に自分だけ心配している事がばからしくなってきた。
その所為もあって、ユウが少し緊張を緩めていたその時、突然声が聞こえてきた。
『だめだ、勘弁してくれ。誰でもいい、誰か、助けてくれ。なんとかしてくれ、頼む…』
その瞬間、自然とユウの表情が引き締まる。
ユウのその反応を例によっていち早く察したフィノがルティナに目で合図をし、ルティナも状況を理解した。
二人ともユウの腕から離れ、ユウの様子を窺ってくる。
ユウは目の前の丘の一つに駆け上がり、声の方向を確かめた。
『俺は…、俺はどうすればいいんだ。誰か、教えてくれ…』
方向は間違っていない。このまま真っ直ぐ進めばいいようだ。
しかも今いる場所からそう遠くない。
恐らく、目の前の大きな丘を二つ越えたくらい先、草原の端っこに声の主がいる。
「あの丘の向こうから聞こえてくるみたいだ」
二人を振り返ったユウのすぐ脇を一陣の風が吹き抜ける。
「行きましょう、ユウ様。早くフィノに追いつかないと」
それを追って駆け出すルティナのすぐ後ろをユウも懸命になって走り始めた。




