ルティナの事情
街に戻ると、武器屋の主人から聞いた店に寄り、獲物を全て買い取ってもらった。
額としては三人で二日分の宿賃が出る程度にしかならなかったのだが、それでも獲物を買取ってもらう所まで狩りで収入を得る方法を一通り経験できたのはユウにとっては大きい事だった。現金を捻出する方法を一つ確保できた事になるからだ。
これまでユウ達はお礼とか闘技会の賞金でしかお金を得ていなかったので、少額と言えども意図して金銭を得る事が出来たのは大きな事といえた。
今回は額が小さかったが、ターゲットさえ見つけられれば、フィノもルティナもまだ実力を出し切った訳ではないので、まだまだ大物を狩る事は可能だろうし、そうなればもう少しは稼げるはず。
今は特別入用な事もないため、収入を重視する場面でもないし、経験する事が出来た事の方が重要だった。
その後、三人は昨日と同じ旅館に宿を取る事になり、昨日と同じ部屋へと通された。
部屋に入るなり、ルティナはユウに翌日の予定を聞いてきた。
「明日もここに戻って来るのですか?」
連続して泊まるつもりなら、まとめて宿を取った方がいいと言いたいらしい。
しかしユウにはそのつもりはなかった。
「いや、いつ声が聞こえてくるかわからないから宿はあまり決めておきたくないんだ…、ルティナは野宿とかって嫌い?」
「野宿…ですか?」
ユウの唐突な質問にルティナは困惑した様子を見せた。
それに構わずユウは続けた。
「声を追って行くうち、街から外れる事だってあるだろうし、そうなると野宿しなくちゃならない事があるかもしれないんだけど…」
急に聞こえるようになる声を追って行く事になるので、明日の宿どころか宿の無い所で寝なくてはならなくなる場合も想定される。
つまりは、はっきりとした予定は立てられないのだ。
この世界に来た当初は、人すらいない森の奥にいたので、その時から一緒のフィノとは野宿は何度も経験しているが、ルティナにはそんな経験はないだろう。貴族の娘だったのだから、恐らくは今までの人生で一度の経験すらないに違いない。
「もし、嫌なら…」
ユウがその先を言うより早く、ルティナはすぐに言葉を重ねた。
「嫌ではありません。今までに経験したことが無かったので少し躊躇してしまいましたが、良く考えたら躊躇をする必要すらありませんでした。私はユウ様が行く場所へついて行くだけなのですから」
そう言い切るルティナの目は堅い決意に満ちている。
「いや、嬉しいけど、無理はしなくても…」
「無理ではありません。私がユウ様の側を離れる事など考えられません。そういう約束、しましたよね」
ユウとしては約束まではしていないような気もするのだが、そう言う意味のやり取りをした事は事実なので、引き下がる事にした。そもそもそんな話がしたいのではない。
「まあ、そういう訳で宿はその時々で取る事にしようと思うんだ。お金だって足りるかどうかもわからないしね」
ユウがそれ以上言って来ないのを確認し、ルティナはホッと胸をなでおろした。
野宿を嫌がっていると思われて自分だけ置いて行かれてはたまらないと思ったらしい。
「わかりました。余計な事を言ってすみませんでした。何日かまとめて宿を取れば割引になるはずですので、そうすればお金の節約になるかと思ったもので…。別に野宿が嫌な訳ではありません」
ルティナが恐縮するのを見て、ユウは慌ててフォローした。
「いや、いいんだ。っていうか、ルティナのそういう知識っていうのは俺達にとっては役に立つ事が多いはずだから、遠慮しないでどんどん言ってくれていい。状況次第でその通りに動くかどうかはわからないけど、言ってくれた方が助かる」
ユウ達三人の中で、今いるこの世界に元からいたのはルティナだけだ。しかも、ルティナは頭がよく、いろいろな事を良く知っているようなので、その知識は有効に使いたい。その為にはルティナには変な遠慮はして欲しくない。
「はい、ユウ様」
ユウの気持ちが通じたのか、ルティナは軽く微笑んだ。
そしてその後、しばらく沈黙の時が流れた。
少しして、ここまでずっと黙って聞いているだけだったフィノが突然口を開いた。
「ねえルティ、聞いていいかな?」
「なあに?」
「ルティの家って、どんな所なの?」
「えっ?」
突然の質問にルティナが戸惑っているのがユウにもわかった。
「いや、フィノ。そんな事、今聞かなくても…」
ルティナはフィノ程過去にトラウマを抱えている訳ではないだろうが、それでもつい最近、どんな事情があったにせよ家族に捨てられたばかりなのだ。その家族の話など、今は口にしたくは無いはずだ。
ユウの言葉でそれに気づいたフィノはすぐに謝った。
「あっ、ごめんなさい。私…不謹慎だった…」
だが言われた当のルティナは意外と落ち着いていた。
「いいえ、大丈夫です。……。そうですね、フィノも昨日頑張って話してくれましたし、私も二人に私の事を知っておいてもらいたいから、今日は私の事をお話します。でも、それは寝る時にしましょう。話した後そのまま眠れますからね」
ルティナはそう言うと、笑顔でユウとフィノの手を引いて、夕食の準備されているはずの食堂へと二人を誘った。
その夜、ユウを真ん中にして右にフィノ左にルティナという位置関係で床に就き、それぞれユウの腕に抱き付いた状態になってから、ルティナは話し始めた。
「あの闘技会の前の日まで、私はリスティの上級区画にあるバーラント家のお屋敷に住んでいました」
そう切り出してからルティナは少し黙り込んだ。
ユウがそっと腕を抜き、黙ってルティナの頭を撫でると、
「ごめんなさい。大丈夫です」
ルティナはユウの腕を掴み直し、一度咳払いをしてから話しを続けた。
「私の生まれ育ったバーランド家は、遡れば王家の血筋につながるとも言われる、私が言うのもおかしいのですがいわゆる名門貴族の系統なんです。前王カプア様の時代には父様は宰相を務めさせて頂いていたくらい、王家とも親しい存在でもありました」
「それがなんで奴隷なんかに?」
「フィノ!」
フィノに悪意が無いのはユウにもわかっているが、あまりにもストレートな質問だったのでユウは少し大きな声で諌めた。
「ごめんなさい…」
フィノは小さくなってユウに強く抱き付いてくる。ユウは少し強く言い過ぎたかと思いつつもルティナの顔を窺った。
「いいんです。続けますね」
しかしルティナはそんな事はもう気にしていないとばかりに、淡々と話を続けた。
「半年前にカプア様が行方不明になって、ラプス様が王位を継いでから、バーラント家の置かれた立場は大きく変わりました。一応貴族と言う名前は残っていましたし、上級区画から追い出される事もありませんでしたが、持っていた財産はほぼ全て召し上げられたうえ、父様は隠居させられ、二人の兄は共に別々の辺境の地に赴任させられて、収入と呼べるものがほとんどなくなってしまったのです」
「親戚とか、助けてくれる人はいなかったの?」
「いいえ、誰も。恐らく王から何らかのお達しが出ているのではないかと父は言っていました。ですが、それでも匿名で密かに差し入れとかを下さる方もいらっしゃって、それで何とか食いつないで来れたみたいなんです」
「お兄さんの他に兄弟は?」
「弟と妹はまだ屋敷に残っているはずですが、姉は国外に嫁いでいてここの所連絡すら取れないと父は嘆いていました。でも、案外姉が一番幸せかもしれません。バーラント家がこんな状態になっている事も知らないでしょうから」
兄も姉も不在だったというのなら、ルティナは残された家族の中では頼りにされる立場だったはずなので、自分達の置かれた苦しい状況に関する事も、色々と聞かされる事があったのかもしれない。
「でもなんでルティナの家ばかりそんな目に合わされるのかな。王の失踪に関わっていたと言う訳じゃ無いんだろう?」
バーランド家の誰かが王を追い落とそうと画策した事実でもあるのなら、目の敵にされても仕方がない面もあるかと思ってユウは聞いてみたのだが、ルティナはそれをムキになって否定してきた。
「とんでもありません。カプア様には私も可愛がっていただきましたし、家族全員王家には恩義を感じていたと思います。だからその後の理不尽な命令も全て受け入れてきたのです」
「それでもラプス王には認めてもらえなかった」
「そうですね。あっ、でもそれはバーランド家だけと言う訳ではないんです。前王に良くして頂いていた家はバーランド家だけではないですから。前王に重用されていた他の貴族も皆苦労しているという話は聞いています」
「何だか聞いているとそのラプス王が諸悪の根源みたいに思えるけど」
過去の恩義から何も言って来ない事をいい事に、臣下に無理難題を押し付けてくる愚かな王という印象だ。
「ラプス王の事は私も昔から知っているんですけど、昔はあんな人ではなかったんです。カプア王と同じくらい優しくて国民思いの方だったはずなんです。それが、そう、カプア王が行方不明になったのと同じころから、おかしな命令をするようになって…」
「ルティナの事を奴隷にしたのもラプス王なんだろ」
自分を奴隷にまで貶めたその張本人の事なのに庇うような事を言われて、ユウの口調は少し厳しくなっていた。
それに対してルティナの口調は依然として落ち着いている。
「バーランド家の台所が火の車だという事は知っていたでしょうから、そこに昔カプア王から頂いた報奨金を返せと言われれば、父はもう、どうしていいかわからなかったのでしょう。そこへタイミングよく誰かが、私を売る話を持ちこんできた訳で、しかもそれが王主催の闘技会の景品にする為なのですから…、カプア王が無関係とは考えられないですね…」
冷静に分析しているルティナだったが、さすがに結論を話す時には声が震えていた。
「ルティナ…」
これまでのルティナの言い方から、バーランド家は王家に厚い信頼を寄せていた事がうかがえる。その王家が自分を奴隷にする事に絡んでいるというのだから、ルティナも複雑な思いなのだろう。
しかしルティナはユウの腕に自分の顔を寄せて微笑んで見せた。
「大丈夫です。今、私は幸せですから。……。それより、残された弟達や父様の事の方が心配です。私を売る事で王のお金は返す事が出来たとは思いますけど、生活が苦しいのは変わらないはずですから」
自分の事よりも家族の事を心配している。
確かに、当座の危機は乗り越えたとしても、またどんな難題を言いつけられるかもしれないので、ユウの元にいるルティナよりもある意味ルティナの家族の方がずっと不安定な状況で、しかもその終わりが見えない状態なのだろう。
「お母さんはどうしているの?」
「私を生んだ母は亡くなりました。弟と妹を生んだのは父の二番目の妻なんです。といっても義母も私の事も大事にしてくれましたし、母が生きている時は母とも仲が良かったんですよ。ちょうど、私とフィノみたいに…」
「ははは……、それは良かった」
ユウは何と返事をしていいかわからず、苦笑いを返すしかなかった。
「私が…」
ルティナは話し始めてすぐに一瞬声を詰まらせ、すぐに冷静に戻って続けた。
「…私が、売られる時、一番必死に止めようとしてくれたのも義母なんです。父にどこかへ連れて行かれてしまいましたけど…」
ルティナは自分の気持ちを落ち着かせようとユウに密着してきた。
ユウはされるがままになっている。
「ルティナは奴隷にされた時、闘技会の景品にされるって聞いてたの?」
「はい、というか、闘技会の景品にする為、私の事を奴隷に落としたんだって…、看守の方が言っていました」
「そうか…」
その時のルティナのショックはさぞかし大きかった事だろう。
「でも、私良かったって思っているんです。……。今、ここにこうしていられるのは、あの時売られたからですから。あの時売られていなければ、私はユウ様やフィノとも会う事が出来なかったはずです」
「それはそうかもしれないけど…」
ルティナは少しだけ顔を上げ、ユウの事を見て言った。
「私を売った時、これも運命なんだ、と父が言っていました。私は運命に導かれてユウ様の元まで来る事が出来たのです」
助かりたい、助けて欲しいという強い気持ちがなければユウに声が聞こえる事も無かったのだと思うと、ルティナはある意味自身で運命を切り開いたと言えなくもない。ルティナの話を聞いていているうちに、ユウはそんな風に思えてきた。
「そのお父さんは今、どうしているんだろう?」
「屋敷の中で大人しくしていると思います。領地も取り上げられてしまいましたから、見回りに行く事もありませんし…」
「領地を持っていたんだ」
領地があるのなら、そこからの収入もあるという事になる。
「はい、少し前までは貴族は直属の領地を持っていましたので、そこで納められた税の一割は自由に使う事が許されていました」
「それはすごいな。何もしないで大金が手に入るって訳だろう?」
「一応、領地の治安を維持する様に策を講じたりはするんですけど…、そうですね、大した事はしていないのに、たくさんお金をもらっていたと思います」
ユウにはその事を責めるつもりはなかったのだが、ルティナはそうは思わなかったのか身体を縮めて丸まった。それでもユウの腕から離れない。
「その収入がなくなってしまった」
「はい、こんな状況になって初めて分かったのですが、そのお金に頼り切っていたのです。貴族の中には例えば商売を始めていた者もいて、そういう家はそこまで困窮していません。バーランド家ももっと視野を広げておくべきでした」
「なるほどね…」
バーランド家と同様に窮地に陥れられた家でも、他に収入を得る道を持っている家はそこまで没落せずにはすんでいるのだろう。バーランド家にもそれがあればルティナを売る事まではしなくても済んだのかもしれない。
「バーランド家は私を売る事で何とか首の皮一枚繋がりましたが、私はもうバーランド家には戻れません。今私が戻れば、バーランド家が更なる策略のターゲットにされるに違いないからです。私が逃亡したとされる事だけでもどんな罰が与えられるかわかりませんが、バーランド家が裏で動いたせいだとか言われれば、いよいよバーランド家が貴族の地位をも追われる事になりかねません」
ユウは途中からルティナが自分の事を責める様な強い眼差しで見つめていると気が付いていた。何を言いたいのかもわかる。
「いや、別に…」
「そう言う意味でも私にはここしかいる場所が無いのです。ユウ様の言う事は何でも聞きますので、ずっとここにいさせてくださいね」
ユウが否定的言葉で話し始めたと思ったルティナは強引に話をまとめ、有無を言わせず終わらせた。そう言われてしまっては、ユウとしてもそれ以上は何も言えない。
「ははは、愛想をつかされないよう、俺もがんばらないとだな」
ユウはそう言うだけで精いっぱいだったが、その一言にさえクレームがつく。
「ユウ様はそのままで充分です」
「そうよ、ユウ、変な事いわないで」
今まで黙って聞いていたフィノまで文句をつけてくる。
「別にフィノやルティナに何かしろって言っている訳じゃないんだからいいだろ」
言い訳じみた言葉を吐くユウにフィノが更に畳み掛ける。
「変な理由を付けて別れようなんて言っても認めないからね」
「私もです」
フィノもルティナもユウが時々自信なさそうにする事を危惧していた。
そのため、ユウが変な思考に入る前に話を収束させる事を自然と覚えたようだった。
「だ、誰もそんなこと言っていないだろ」
「それならいいけど」
そしてそれは成功したようで、ユウはもう考えるのを止める事にした。
「もう寝よう」
「はい」
フィノとルティナはユウの体越しに一度目を見合わせて微笑み合い、それからゆっくりと瞼を閉じ、もう一度しっかりとユウの腕を抱きしめると、眠りの淵へと落ちていった。




