黒い猫
ユウの捕まえた黒い猫は、以前ラビアが飼っていたルナと言う名の猫だった。
ルティナの件があった頃、館から逃げていなくなったらしいのだが、あの頃のバーランド家は酷い状態だった事もあり、あえて探さない様にしていたという。
「けど、俺はその猫は嫌いなんだ。そいつは俺には全く慣れてくれないからな。俺が手を伸ばしても捕まえさせてくれないし、無理やり捕まえても、すぐに噛みつくし…」
つまり、アテルが猫を捕まえられないでいたのは、そういう理由があったらしい。
それでも捕まえようとしたのはラビアの為を思っての事だろう。
だが、ユウに対しては結構懐いてくれている。
なにしろこの猫は今、ユウの腕の中でただ大人しく頭を撫でられているだけで、逃げようとする素振りなど全くないのだ。
「そうなのか? そんな風にはみえないんだけどな…」
「なら、見てろよ」
ムキになった様子のアテルが猫に向かって手を伸ばしていく。
と、その手が猫に届く直前に、猫は機敏な動きで前足を振り抜き、鋭い爪がアテルの手のギリギリの所を通過した。
アテルは急いで手を引っ込めたのだが、僅かに間に合わなかったのか、その甲には三本の赤い筋が出来ている。
アテルはその傷を庇う様にしながら、既にすまし顔をしている黒猫を睨みつけた。
「ほらな。だから俺はコイツの事が嫌いなんだよ」
「アテル、お前、コイツに一体何をしたんだ?」
「別に何もしてねえよ」
「何もしていなくて、この大人しい猫が爪を立てる訳がないだろ」
「本当だって。コイツは俺の事が嫌いなだけさ。だから俺には触らせないんだ。…でも、良く考えたらユウさん、ユウさんは良くコイツの事を捕まえる事が出来たよね」
その言い方から、この猫が慣れないのはアテルだけではないらしい事がわかる。
だが、そんな事を言われても、ユウとしては何とも答えようがない。
「正直に言うと、コイツの方から勝手に飛び込んできてくれただけで、俺自身は何もしていないんだよね」
「それ、それだよ。それが変なんだ。確かにこいつは家では結構人懐っこい方だと思うけど、外では結構人見知りで、簡単に躰を触らせたりはしないはずなんだ。なのに、何で…」
「でもコイツ、逃げるそぶりも見せないし、俺には結構懐いていると思うぞ」
実際、ユウが捕まえて以降、猫は特に強く掴んでいる訳でもないにもかかわらず、ユウの腕から逃げようとはしていない。
それどころか顔をユウの腕に押し付けるようにして甘えて来る事さえある。
そんなルナの様子を見て、アテルの機嫌が更に悪くなる。
「見つけてやったのは俺なのに…、気に入らねえ」
確かに、アテルにしてみれば、せっかくラビアの為にこの猫を捕まえようとしたのにもかかわらず、追いかけるアテルの事をあざ笑うかのような逃げ方で逃げられ、あまつさえ初見のユウに簡単に捕まえられてしまったのでは、面白くないのもわからなくはない。
「でもまあ、アテルが一人で勝手に動いたのは良くなかったと思うけど、そのおかげでこの猫を捕まえる事が出来た、ともいえるのか。…なら早い所、ラビアにも教えてあげなくちゃだな」
「あの時は碌にエサもあげられない状態だったから、ルナにとっても他へ行った方が幸せなんじゃないかって、ラビアにはそう言って説得していたんだ」
「でも、今のバーランド家なら猫の一匹くらい何とかなるだろ」
「うん」
ユウは早速ラビアに伝える事にした。
フィノ経由でラビアに伝えてもらう事にする。
『フィノ、今何処にいる?』
『もう交差点のすぐそばまで来ているんだけど、ユウの方こそ何処にいるの?』
そう言うフィノの念声には、若干不安な気持ちが混じっている。
約束の場所にユウの姿が見えない事で、動揺しているのかもしれない。
ユウはフィノに余計な心配を指せない様、なるべく穏やかな口調を心がけて言った。
『アテルが、昔ラビアが飼っていたっていう猫を見つけて、その猫を追いかけていたら、少しばかり交差点から離れてしまったんだ。でも、その猫はもう捕まえたから、今からそっちに戻るよ。だから、ラビアとそこで待っていてくれ』
『猫? 猫を捕まえたの?』
フィノは猫という言葉に強く反応した。
その口調からはもう不安の要素は消えている。
『そう、真っ黒な猫だよ。ルナっていう名前らしい』
『わかったわ。ラビアと一緒に待っているからすぐに来てね』
『了解』
フィノとの話を終えたユウは、右手にルナを抱き、左手でアテルの手首を掴んで、今来た道を戻り始めた。
さすがに格好悪いと思ったのか、アテルが不満を言って来る。
「ユウさん、離してくださいよ。もう勝手に動いたりしませんから」
「とりあえず合流するまでは我慢してよ。フィノとはあまり長い間離れていたくないんだ」
その途端、アテルのユウを見る目がきらりと光った。
からかうような羨む様な微妙な目でユウの事を見つめてくる。
「いいなあ。俺もそういう相手が早く欲しいな…」
アテルが何か勘違いをしている事はユウにも伝わってきていたが、アテルが大人しくついて来るようになっていた為、ユウはここでは敢えて放っておく事にした。
しばらく進むと、前方に例の交差点が見えてくる。
二人と待ち合わせをしている交差点だ。
と、その交差点の方から小さな影が急速に近づいて来る。
ラビアだ。
ラビアはどうやったのかフィノの手をすり抜けて、真っ直ぐユウの方へと向かって来ている。
その視線はユウでなく、まっすぐルナへと向けられていた。




