闘技会
闘技会の参加手続きは簡単だった。
しかし、参加する為には参加料が必要との事だった。
幸いユウにはまだラーブルの村の長老からもらった金貨の残りがあった為、参加する事は出来たのだが、フィノの分と合わせて二人分を支払うと残りはもうほとんどなくなってしまった。
こうなったらもう勝つしかない。
なぜなら、たとえ優勝しなくとも一つ勝つ毎に少しずつ賞金が貰えるからだ。
とは言え、払った以上に賞金をもらえるようになるまでには、七戦勝てば優勝すると言うトーナメントの中で四戦以上勝たなければならない。つまり、ベスト八以上に入らないと元は取れないように出来ている。
だが、そんな事に文句をつけても仕方がない。だいいち、本当の目的はお金ではない。
そんな事より目の前の声の主を助ける事の方が優先だ。
もちろんそれはそうなのだが、それに加えて元々追ってきた声の主を助けるためにも、そうしなければいけないとユウは感じている。
確証こそないものの、ユウの中では後から聞こえた声の主を助けなければ、元々追っていた声も聞こえてこない気がするのだ。これは今まで他の声の主が助けを求めて来ている時には、初めに追っていた声が聞こえなくなっている事からの推測なのだが、ユウはそう考えていた。
その後、ユウはフィナと共に参加者として闘技場内に集められた。
そこで待たされている時、ユウの頭の中に再びあの声が聞こえてきた。
『助けて、誰か…、…怖い、怖いよ。……。お願い…、お願い…』
声の主が近くにいるのは明らかなのだが、その割には聞こえる声は小さく、まるで今にも消え入りそうだ。
ほぼ時を同じくして、スタジアムに大きなファンファーレが鳴り響いた。
観客席から大きな歓声が上がる。
その歓声が収まるのを待って、優勝報酬の紹介が行われた。
「今闘技会の優勝者にはルティナ嬢が与えられる事になりました。彼女は絶縁されてしまったとはいえ、昨日まではバーランド侯爵家一番の、いやこの国の全貴族の中でも有数の美女として有名な姫でした。そのルティナが今大会の優勝者のものとなるのです。さあ、姫の事を好きにできる幸せ者は一体誰になるのでしょうか」
観衆を煽るような司会の紹介に続き、闘技場の最上階に設けられたステージの上に、豪華なドレスを身に纏ったルティナが姿を現すと、会場は大きくどよめいた。
ルティナと呼ばれたその娘は綺麗な衣装で着飾っている分を差し引いても、確かに美しかった。しかし、その表情には生気は感じられず、虚ろな目は何処に焦点があっているのかわからない。それでもその身体からは高貴なオーラが滲み出ていて、それがまた男達の支配欲をくすぐっていた。
過剰に飾られた鎧を身に着けた複数の兵達に囲まれて入場してきたルティナは、後ろ手に縛られたまま引きずられるようにしてステージの一番前に括り付けられた。
その間全く抵抗するそぶりを見せなかったのは、その前に心を折られてしまっていたのかもしれない。
そんな彼女の事を、多くの出場者と共に見上げ、ユウは何とかして助けてあげたいと、その事だけを考えていた。
そして、すぐに一回戦は始まった。
ルールは簡単。どちらかがギブアップするか戦闘不能になるまで戦うという決闘だ。主に使用する武器は剣か槍だが、飛び道具等観客を傷つける可能性がある武器でなければ、申請の後使用は可能。相手がギブアップする前であれば、殺してしまっても罪には問われない。
学生時代に授業でやった柔道と剣道の試合くらいしか経験のないユウにとっては信じられない厳しいルールだ。しかもその柔道や剣道でも一度も勝った経験は無い。
それでもあのルティナの姿を見たら、ここで引くわけにはいかない。何としても勝ち上がり彼女の事を開放してあげたいと、ユウは心からそう思い、意気込んでいた。
しかし、ユウの戦いはあっさり終わる事になる。
ユウの相手は、厳つい体格の大男。躊躇いがちに振るうユウの剣など、一合目で吹き飛ばし、鳩尾に拳を叩き込むと、ユウは体ごと大きく飛ばされ、地面に激突。そのまま気を失ってしまったのだ。
そしてようやく気が付いたのは、決勝戦が始まる直前だった。
近くにいた救護係にそれを聞いたユウは、すぐに戦いの見える場所まで移動した。
決勝はフィノと、もう一人は少し痩せ形で常に妙な笑みを浮かべている不気味な男だった。
『ユウ、起きたのね。大丈夫? 痛くない?』
ユウが来た事に気付いたフィノが念声で声を掛けてくる。
『ああ、大丈夫みたいだ。もうどこも痛くない。けど、情けない事になってしまってごめん。フィノは大丈夫なの? 怪我は無い?』
正直言うとユウはかなり凹んでいたのだが、そんな事よりフィノが無事でいてくれる事の方が大事なので、その事は心の底に押し沈めて聞いた。
『ぜーんぜん平気。見てて、すぐに終わらせるから』
フィノの様子はいつもと変わらない。
相手はにやにやと笑っている。フィノが強いのはわかっているがどうにも不気味に思える。
『気をつけろよ』
しかしユウはそれくらいしか言えなかった。
そんな時、一人の男がユウに声を掛けてきた。
「おう、お前、気が付いたのか?」
闘技場の方ばかりを見ていて気が付かなかったが、すぐ隣にいたのはユウの事を負かした厳つい体格の男だ。全身が傷だらけで特に右腕と左足は包帯でぐるぐる巻きの状態だった。
「それ、どうしたんですか?」
ユウの質問に対し、男はフィノの前でにやけている男を睨みつけた。
「あの野郎の姑息な手に嵌められちまったんだ」
「姑息な…手?」
「アイツは口に毒針を含んでやがるのさ。小さな針だから最初は気が付かなかったんだが、そのうち体が動かなくなってきやがってな。ダメだと思ったからギブアップしようと思ったんだが、呂律が回らない。その間にあの野郎、俺の事切り刻んでいきやがった。俺がギブアップしようとしていた事は知っていやがったくせにだ。俺の宣言がもう少し遅ければ俺は命が無かったかもしれねえ。現に俺の前にヤツと戦った奴は命を落とした」
ユウは慌ててフィノの対戦相手の男を振り返った。男はフィノを見つめて細い体を左右に揺らし、相変わらずにやけた笑みを浮かべている。
そしてユウが男の様子を観察している間に、戦いは開始を告げられた。
「始め!」
合図と同時にフィノが身体を低くして飛び込んでいく態勢を取る。
『フィノ、こいつ口に毒針を仕込んでいるらしい。気を付けて』
フィノが飛び込む寸前、ユウは慌ててフィノに念声で忠告を入れた。
しかしフィノは意外に落ち着いていた。
『ありがとユウ、でも知ってる。前の試合、見てたから』
フィノは念声でそう返事をすると、一気に男に向かって飛び掛かった。
普通の人には見えないような小さな針による攻撃もフィノにはしっかり見えていたという事だろう。
一方、合図とともにフィノが飛び掛かってくると思っていた男は、フィノがユウと話をした事でタイミングをずらされ、フィノの突進に対応するのが少し遅れた。が、すぐに修正して毒針を飛ばす。その針は男の意図した範囲の中に何とか収まり、男は勝利を確信したかのように口角をさらに上げ、持っていた剣を握り直した。フィノを切り刻んで楽しむつもりでいるのだ。
しかし、フィノは持っていた剣を毒針の軌道の前に置き、針を弾くと同時に、横へ跳んだ。
男は驚きつつも、さらに毒針を飛ばそうと顔を横へ向けるが、その時には既にフィノはそこにいない。既に反対方向へと跳んで、男の正面から鳩尾めがけ思いっきり剣の柄を叩き込んでいた。
男の身体がくの字に折れ曲がる。しかしまだ男は倒れずに堪えていた。ぎこちない動きで顔をフィノの居る方向へ向けようとしている。毒針での攻撃をまだあきらめていないのだ。
しかし、そんなにゆっくりした動きでフィノの事を捕えられる訳がない。男がようやく顔を上げた時にはフィノの回し蹴りが男の首の後ろを捉える所だった。
フィノはそのまま容赦なくその足を蹴り抜き、男は大きく飛ばされ地面に叩きつけられると、泡を吹いて動かなくなった。
「勝者、フィノ!」
一瞬の静寂の後、地鳴りのような歓声が湧き上がる。
観客達の視線が一身に集まる闘技場の中心で、仁王立ちで男を見下ろすフィノ。
その姿を遠くから眺めていたユウは、まるで戦いの女神のようだと感じていた。圧倒的な力を持ちながら、それでいて周りに恐怖を与えない。というより、むしろそれが当然だと思わせる何かを持っている。この時のフィノの姿はそれくらい様になっていたのだ。
ユウがそんなフィノの姿を何か眩しいものを見るような目で見ていると、突然、フィノの身体が斜めに傾むきだした。そして持っていた剣を地面に突き刺して、倒れそうになる身体をなんとか支えた。
それと時を同じくしてユウの頭にフィノの念の声が響く。
『ユウ、来て…』
もしかしたら、男の毒針がフィノの身体のどこかを掠っていたのかもしれない。そう思ったユウは闘技場の中へと飛び出していた。
観客たちが、何が起こったのかとざわざわし始めるが、そんな事はユウにはもう関係ない。既に勝ち名乗りを受けたのだから、決着だってついているのだ。怪我の手当てをしても問題ないはずだし、むしろ当然の事のはずだ。いや、たとえそうでなくとも自分はフィノの手当を優先する。
ユウは全速力でフィノの元へと駆け寄った。
「大丈夫か、フィノ。どこをやられた。毒か? 打撲か? 傷でも負ったか? すぐに…」
しかし、ユウが自分のすぐ横まで来た事を確認したフィノは、別に何事も無かったかのようにすっと立ち上がった。
「落ち着いて、ユウ。私は大丈夫。どこも怪我なんてしていないし、毒だってもらっていないわ」
そして、どうしたのかと尋ねるレフェリーに、眩暈がしただけ、と答え、優勝者を讃え、報酬を渡す役割で近くまで来ていたこの闘技会の代表に向かって宣言した。
「私は、私がこの闘技会で得た優勝の権利を、全てここにいるユウに譲ります」
その言葉を聞いた代表の男は、一瞬驚いた後、すぐにそれまでの渋い顔つきから、わかりやすい作られた笑顔へと表情を変えた。
そして、何を急いでいるのか、当のユウの言葉などは一切聞きもせず、すぐに観衆に向けて自らの右手を高く掲げ、観衆の注目が自分に集まった事を確認した上で宣言した。
「本大会の優勝の栄誉は、この決勝戦の勝者フィノの申し出に従い、こちらの男、ユウ…さんに与えられる事に決定した事をここに宣します」
一瞬の静寂の後、観衆から大きな歓声が湧き上がる。
フィノの宣言からわずか十秒ほどの間の出来事だった。
『あとはお願いね。ユウ』
そしてまたフィノの念声。
ユウはようやく理解した。穴に落ちたラーツを助けた時も、狼に襲われていた馬車を助けた時も、フィノは表に立ちたがらなかった。つまり最初からこうするつもりだったのだ。
もともと声の主を助けると言いだすのは常にユウだ。声が聞こえるのがユウだけなのだから当たり前の事なのだが、良く考えるとその声に答える事が出来るのもユウにしかできない事ともいえる。そう考えた時、結論はユウが下すべきだとフィノは思ったのだ。
その後、ユウは宣言を終えた男に右腕を掴まれ、それを観客に見せつける様に天に掲げられた状態で、しばらく動かないよう指示された。
スタジアムには観客たちのやっかみまじりの声援が飛び交う。
ユウは少し考えてみた。
何もしていない自分がまるで勝者のように扱われる事には抵抗はあるが、今一番大事なのは声の主であるルティナを助ける事だ。そして、こうなってしまった以上それができるのは自分だけしかいない。
実際、ここで自分が辞退すれば、今はまだ目を覚ましていないあのにやけた男に報酬の権利を譲る事になるのだろう。そうとわかっていて辞退する事など出来る訳もない。
ならば、今自分にできる事をやるべきだし、やらなければならない。
結局ユウはそんな風に結論付けた。
しばらくの間観衆の大声援に機嫌が良さそうに頷いていた代表の男は、その声援が一段落したタイミングで、ユウだけに付いて来るように言った後、ルティナの縛られているステージへ向かって歩き始めた。
『行って来る』
ユウはフィノに一言念声を掛けてから、男の後を追う事にした。




