リスティの街
その後長老の家に一泊したユウとフィノは、翌朝早々にリスティに向けて出立した。
長老を始め村人達の歓迎は有難かったのだが、長老が事あるごとに孫娘をユウに差し出そうとするため、断りきれなくなる前に早めにここを発ってしまおうと考えた為だ。
長老が孫娘を勧めようとするのは、恐らくユウが「森の標章」を持っているからだろうが、だからといってそんな施しは受ける訳にはいかない。そんな事をしてしまったら「森の標章」をくれた「森の主」に申し訳ないだろう。そんな事の為に「森の標章」を授けてくれたわけではないはずだ。
それに、ともすると忘れそうになるが、この村に留まっている間もあの声の主は苦しんでいるはずなのだ。かなりの時を経ても依然として聞こえてくるため、彼女の陥っているであろう事態に緊急性はないものと思いたいが、それでも声の主が苦しむ時間が長くなっている事は間違いない。
そう考えても、村に長く留まっている訳にはいかないと思えた。
長老は名残惜しそうにしたものの、孫娘たちの事は諦め、代わりに金貨を一枚渡してきた。
村にとっては大金のはずなので、当初ユウはそれも断ったのだが、長老は頑として譲らなかった。
「森の標章」を持つ者が街に出るとわかっているのに無一文で出す訳にはいかない、というのだ。
実際、ユウとフィノにとって有難い申し出であった事も事実なので、最終的には有難く受け取る事になった。
それから二人は隣の村まで孫娘の駆る馬で送ってもらい、そこで頂いた金貨を両替して馬車に乗ると、五つの村や街で馬車を乗り継いで、ようやくリスティの街へとたどり着いた。
長老の話ではラーブルからリスティに行くためには大きく回り込まなければ行けないらしく、その為幾つもの村や町を通過する事になったのだが、それらの村や町の方向は声のする方向、つまりは実りの森へ向かう街道とラーブルの村を結ぶ直線からは外れるとの事だった。
ユウはその長老の話を信じたため、途中の街や村には寄り道せずにリスティの街まで来たのだが、それでもラーブルの村を出てからは既に十日の時が経とうとしていた。
「着いたぞ、リスティだ」
御者の男が幌で覆われた荷室に向かって声を掛けてくる。ユウとフィノはこの男の馬車の荷室に乗せてもらったのだった。
「ありがとう。助かったよ」
ユウは御者に礼を言い、荷室から慎重に降り立った。フィノは既に先に飛び降りている。
「いや、助かったのはこっちの方だよ。これは少ないけど取っておいてくれ」
男はユウ達が降りたのを見て御者台から降りてくると、銀貨を二枚ユウに押し付けるようにして渡してきた。
「いいですよ。ただで乗せてくれただけで十分です」
「いやいや、あのまま狼に襲われていたらこの積荷はずべてダメになっていた。銀貨二枚だけでは少ないくらいだよ。でも今はそのくらいしか出せそうもない。俺はこの先もまだ旅を続けなければならないものでね。すまないが」
商人であるこの男と出会ったのは、リスティの二つほど手前にある小さな街の郊外だった。
その街に着いた時、ユウが男の声を聞いたのだ。
すぐにフィノと共に駆けつけると男の馬車が狼の群れに囲まれていた。あと少しで街まで逃げ込めそうな所まで来ていたものの、そこで追いつかれてしまったようなのだ。
ユウはフィノと共にその狼を追い払った。
と言っても、いつもの通り実質はフィノが一人で追い払った様なものなのだが、剣を持っていたのがユウだったので男はユウが狼を追い払ってくれたのだと思い込んでしまったのだ。
ユウはフィノが望むに任せ、それをそのままにしておいた。
「もし、また会う事があったらお礼をするよ。そうだ、オランカの街に来る事があったら俺の店に寄ってくれよ。俺が居なくてもわかるようにはしておくからさ」
見送るユウとフィノにそう言い残した男は、約束でもあるのだろうか、すぐに馬車を操り繁華街の方向へと走り去った。
そうなるとまた二人っきりだ。
ユウは大きく息を吐きだした。
「さて、どうしようか?」
ある程度予想はしていたもののリスティの街はその想像を上回る大きな街だった。
中央に大きな城があり、その周りに城壁で囲まれた街がある。それだけではなく、城壁の外側にも街が形成されていた。しかも、その街はさらに四方向に張り出していて、その範囲は城壁の内側よりもはるかに広い。幾つもの時代を経て徐々に街を拡大して行った所為だ。
この大きな街で声の主を探し当てるのは結構骨が折れるかもしれない。
しかも、その声の主がこの街の中にいるというのも確実な話ではないのだ。
「私はユウに従うだけ。ユウさえいればどこへ行っても平気だもの」
フィノは特に緊張しているようでもなく、普通にしている。
確かにどうしようとは言っても声が聞こえるのはユウだけなので、フィノとしてはただ付いて行くしかない。行き先を決めるのはユウの役目だ。
だが、肝心の声がしなければユウとしてもどうしようもない。声の主がまた助けを求めて声を上げるのを待つより他、仕方がないのかもしれない。
ならば…。
「そうだな、まずは…、買い物でもしようか」
ここへ来るまであまり気にした事は無かったのだが、ユウもフィノも考えてみれば何も持っていない。あまりたくさんお金を持っている訳ではないので、当たり前と言えば当たり前なのだが、大きな街ではたくさんの人と関わる可能性もある。今まで出会った人達はあまり気にしている風でもなかったが、いつまでも元いた世界の服を着ていてはその内怪しまれる事になるかもしれないし、長い旅をしてきた割には普通の旅人が持っている程度の装備すら持っていないのでは不審に思われても仕方がない。
幸い長老に貰ったお金はまだ結構残っている上、あの商人からも銀貨をもらった。ここは大きな街なので大概のものは揃いそうだし、今のうちにある程度必要なものは揃えておいた方がいいだろう。ユウはそんな風に考えた。
「何を買うの?」
「うーん。まずはフィノの服からかな」
フィノが今着ているのは、日本の巫女装束にも似た白い着物。邪魔な袖などを縛っているタスキの様な細長い布がアクセントとなっていて普段はあまり感じないが、それを外すとどこか神々しさすら感じる厳かなイメージの衣装だ。
しかし、そんな着物もフィノの無茶な運動能力に対応しきれず、あちこち綻び傷んでしまっている。
「いいの?あっ、でも、ユウの方が先じゃない?」
「俺の服も買うつもりだけど、フィノのからにしようよ」
やはり買い物をするなら楽しい方がいい。フィノが喜んでくれるのならなおさらだ。
なので、まずは女性用の服を売っている店を探す事にした。
しかし、結局入ったのは武器と防具の店だった。どんな服を買おうかと言う段になって、動きやすく身を守る事も出来る上に街中でもよく見かける、つまりは違和感のない、革の鎧系の服にしようという事になったのだ。
ユウとしては可愛らしいドレスを着けたフィノの姿も見てみたいと言う願望も有ったのだが、良く考えると、いや良く考えなくとも、フィノのあのハードな動きには到底耐えられるドレスなど無いはずなので、まあ、それは当然の選択であるともいえた。
その店でユウは二人分の革の鎧を買う事にした。
自分用に全身を包む黒っぽい革の鎧。対してフィノのものは赤っぽい革でできた鎧を選んだ。これは色で選んだと言うよりはその形で選んだと言った方が正しい。
フィノの皮鎧は動きやすさを重視して腰だれの短いものにした。一見するとミニスカートを履いているように見える為、目のやり場に困るが、実際は腰だれの下には膝上のパンツをはいているし、ブーツも長いものにしたので、素肌が見える部分はほとんどない。これならフィノの激しい動きにもある程度耐えてくれるだろう。
一方、ユウのものは街でよく見かける一般的な形のものだったのだが、着てみるとそれも意外に動きにくさは感じない。
どちらも腕の「精霊の涙」を隠す為、袖の長いものにしたのだが、結果的に実用的で違和感のない、無難な買い物ができたといえそうだ。
着るものが決まると、その他に背中に背負う事も出来るようになっている革の袋も購入し、元々着ていた服はその中にしまって、今度は武器の棚を物色する事にする。
ユウはフィノにも剣を持ってもらおうと思っていた。今までの所は彼女が剣を必要とする事など無かったが、これから先もそうだという保証は無いからだ。それに街中でも帯剣している人を良く見かけるので、自分の身を守る為にも剣はあった方が安全のように思えた。
ユウが剣を探し始めると、既に他のお客の応対へと向かいかけていた店主が慌てて戻って来た。
姿勢を低くして聞いてくる。
「剣もお探しで?」
ユウはフィノの希望を聞いてみた。
「フィノはどれがいい? あまり高いものは無理だけど、気に入ったのがあれば言ってみてよ」
「いいの?」
「うん。護身用と言う意味でもフィノも持っていた方がいいと思うんだ」
これは嘘ではないのだが、ユウがフィノの剣を買いたかった最も大きな理由は、フィノの喜ぶ姿を見たいという事だ。
フィノは棚に掛けられた剣を一通り見回した後、ユウの事を窺うようにして見つめてきた。
それに応じてユウが頷くと、フィノは嬉しそうに剣を選び始める。
そして一本の剣に目を留めた。
「ほおう、お嬢さんはお目が高いね。それは今うちにある中では一番の剣だよ。もし、明日の闘技会に出るつもりがあるのなら、お勧めだ。かなり有利になりますぜ」
そう声を掛けられたフィノはそのすぐ下の剣を手に取った。
「ううん。こっちのにする」
「そっちは普通の剣ですぜ。こっちの方が…」
「これでいい」
懸命に勧めようとする店主の言葉をフィノは強引に打ち切ると、店主ににっこりほほ笑んだ。
店主は良い方の剣をまだ売りたそうにしていたが、フィノに可愛らしく微笑まれては仕方がない。少なくとも闘技会という言葉とは縁遠そうなその姿を見れば、店主もそれ以上無理押しする事はできなかった。




