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助けを求める声

『誰か、助けてくれー!』

深い森の奥でその声は聞こえた。


『てめえ、こっちへ来んじゃねーよ、馬鹿野郎!』

何かに追われているのか、声からはどこか切迫した様子が伝わってくる。


声のする方向を確認し、背の高い木と木の間を駆け抜ける。

声の主までの距離はもうそう遠くはない。

何が起こっているのかはまだわからないが、なんとか駆けつける事はできそうだ。

ユウは下草に足を取られないよう注意を払いながら、出来る限りのスピードを保ったまま少し先に見えてきた大きな岩を目指して走り続けた。


乙梨(おとなし)(ゆう)はこの世界の人間ではない。

つい先日、突然聞こえるようになった声を追いかけているうち、いつの間にかこの世界へと流れ着いてしまったのだ。


ただ、今追いかけている声はその時追いかけていた声ではない。その時の声の主は今、ユウのすぐ横を走っている。

ユウはその女の子に声を掛けた。


『フィノ! 声の主はその岩の向こう側にいる』

その言葉を聞き、フィノと呼ばれたその女の子は、そこからさらに加速した。

そして、あっという間にユウを引き離し、大きな岩を回り込むと、すぐに見えなくなってしまった。その速さはユウの常識では考えられないレベルのものだ。


『ユウ、猫がウサギに襲われているみたいよ』

ユウはまだフィノの消えた岩にさえたどり着いていない状態なのだが、フィノはもう声の主の姿を確認できたらしく、その様子を教えてくれる。


『ウサギ?』

『ええ、耳が長くてぴょんぴょん跳ねる小動物。大きな口から鋭い牙が見えるわ。あれは恐らく肉食ね』

ユウとフィノが話しているのは口に出した声ではない。頭の中で念じる事により会話をする声だ。この時の声をユウは勝手に念声と呼んでいる。


念声での会話はユウがその対象の声を聞く事から始まる。恐らくはユウの持つ特別な能力だ。ユウはまだこの能力に気づいて間もないため細かい事はわからないが、少なくとも今までは助けを求める声の主を実際に助ける事で会話が可能となっている。


声の届く距離は相手によって違うようではあるのだが、相手の窮地を救う事で会話が可能となる所は一緒だ。

なので今はこの声の主とは会話はできない。相手の声が一方的に聞こえてくるだけだ。


それに対してフィノとは相互に会話をする事ができる。しかも声の届く距離は日に日に長くなっている。今は距離にして百メートル程離れていても会話が可能だ。


『あの()の事、助けてあげればいいんでしょ』

『ああ、でも、危なそうだから俺が行くまで待っていて』


そんなふうに格好よく言っているユウだが、力は特別強い訳ではない。男としては細身の体型でむしろ仲間内では非力で有名だったくらいだ。なので、待っていてもらっても実は大して役には立たないのだが、ユウは自分が勝手にやろうとしている事(今の場合は声の主を助ける事)のために、他の人が傷つくのは嫌だった。


だが、フィノはそんなユウの思いを斟酌してはくれない。

『大丈夫、あんなウサギくらい全然平気。行くね』


『いや、ちょっと待ってて』

ユウが慌てて引き止めようと試みるが、フィノはもう返事をしてこなかった。

代わりに岩の向こうから大きな音が響いてくる。


 ガッ、ドガッ、ガガガッ。


何かが木にぶつかるような音が三回ほど連続して聞こえ、そしてすぐに静かになった。

それから少ししてようやくユウが岩場を回り込むと、切り立った岩のすぐ下の草むらに一匹の猫が倒れているのが目に入って来た。少し離れてフィノもいる。だが、ウサギと思しき小動物の姿は見当たらない。


『大丈夫か、フィノ』

ユウが声を掛けると、フィノは少し先の木の根元を指さし、言った。


『あんな小さな獣だもの、やっつけるくらいなんでも無いわ』

フィノの指の先を目で追うと、細い木の根元に耳の長い小動物が三匹倒れている。

一見すると愛らしいウサギのようにも見えなくはないが、よく見るとその口には鋭い牙を備えている上に、筋肉質の脚の先には鷹の様な鋭い爪がのぞいている。小さいとはいえたとえ一匹でも人間が素手で戦うには厳しいであろう、そんな獣が三匹も倒されていた。対してフィノは全くの無傷だ。


しかもフィノは何か得物を持っていた訳でもない。

白地に赤いラインの入ったパッと見には巫女装束とも似た服の、邪魔な長い袖をタスキみたいな細長い布で縛って動きやすくし、しかしその手には何も持っていない。

服の他に身に付けている物と言えば、指先の切れた白い手袋と、両腕に嵌めたユウとおそろいの銀の腕輪くらいのものだ。


『しかし…、本当にフィノは強いな』

ユウは少し呆れたように呟いた後、フィノが怪我をしていないか、上から下まで全身を丁寧に確認していった。


緩くウェーブした肩上の黒い髪に大きな目。華奢でありながらも出る所は出ていて女性らしい柔らかさも感じる細身の身体。

その見た目からは、実は内に凄まじいパワーを持っている様にはとても思えない。

ユウから見たフィノのイメージは、言わば守ってあげたくなるような女の子そのものだ。

とは言え、ユウにそれほどの力は無いのだが…。


ユウがずっと自分の身体を見つめているので、その視線がこそばゆく思えてきたフィノは、その恥ずかしさを誤魔化すかの様に話を振った。

『猫さん、なんて言ってますか?』

その言葉で我に返ったユウは岩の前の草むらで丸まっている猫の前に立った。少し集中を解いてしまっていたため、ユウにも猫の声は届かなくなっていたようだ。


緊張した猫が身構える。

ユウは猫に心を集中させ、念声で話しかけた。

『もう大丈夫。俺達は敵じゃあないから心配しなくていいよ』


猫は何も言わずにユウの事を見つめてきた。その目はユウの真意を探る様に動いている。先程フィノがユウの視線に恥じ入った様に、ユウも猫の視線に照れくささを感じながら、それでも猫から目を離さずにじっとそのまま待った。


猫はユウの事を値踏みするかのように、全身を舐めるように見まわした。

しかし、その目がユウの腕の銀の腕輪を認めると、突然態度を変えた。目の奥の険もすっと消えていく。


『助けて頂いたというのに、疑う様な態度を取ってしまい申し訳ありませんでした』

猫からはもうユウを訝しむ様な気配は感じられなくなっていた。ユウの事を信じて良い者だと認識してくれたのだろう。

ユウはそれを感じ取り、猫との間に会話が成立するようになった事を確信すると、猫に向かって話しかけた。


『いや、無事だったのならいいよ。でも、どうして襲われていたんだい?』

すると、猫は申し訳なさそうに頭を下げた。

『私が彼らの縄張りに入ってしまったのがいけなかったのです。食べ盛りの子供がいるもので、つい…。でも、以前はこんな事くらいで襲われる事なんて無かったんです。彼等はなぜか全力で私の事を狩りに来ました。お腹を空かせていたのかもしれませんが、ふつう彼らが我々の事を食べる事は有りません。それなのに…』


ユウが更に声をかける。

『怪我してない? 大丈夫?』


『噛みつかれそうにはなりましたが、大丈夫です。お二人が助けに来てくれたおかげです。ありがとうございました』

猫は改めて二人に感謝した。

といっても、フィノには猫の言葉は通じていない。ただ隣でユウの様子を窺っているだけだ。


フィノはユウが様々なモノの声を聞く事が出来るという不思議な能力を持っている事は身をもって知っている。それが自分に向けられた時でなければフィノには聞こえないという事もわかっていて、今ユウが猫と言葉を交わしている事も理解していた。


『猫ちゃん、お礼を言っているのね』

様子からそう察したフィノはそっと猫を抱き上げ、軽くその頭を撫でた。猫はフィノにされるがままになっている。


『この娘が何を言っているのか私にはわかりません。なので、あなたから伝えてください。感謝しています、と』

いつの間にか、猫は顔が変形してしまう位強くフィノに頭を撫でられている。


『助けてくれてありがとう、だってさ』

ユウがフィノに猫の言葉を伝えると、フィノは嬉しそうに今度は猫の身体全体を撫で始めた。だいぶ気を使って撫でている様ではあるもののフィノは見かけによらずに力があるので、あまり放って置くと危険な事にもなりかねない。


『フィノ、ほどほどにしないと猫がかわいそうだぞ』

なので、ユウがそう注意をすると、フィノは少しむくれた表情を見せ、しかしユウの言葉に従いそっと猫を手放した。


開放された猫は前足を思いっきり前に伸ばし、背中を大きく逸らすようにして伸びをしてから、一言呟いた。

『ふう、死ぬかと思いました』

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