俺より強いあの娘を殴りに行く。(三・四(三))
「終わっちゃった」
忍は肩を落とした。
今まで隣に居た浩介が、急に消えてしまった感覚。
図書館の出来事が蘇る。
ネットで浩介と対戦できても、現実で避けられていることに変わりは無い。
窓ガラスに泣き顔の自分が見える。ここ最近こういう顔をしてばかりだ。
強気な顔立ちの自分がメソメソしていると、ものすごくみっともない気がする。もっと可愛い顔なら、泣いていれば誰かが慰めてくれるかもしれないが、自分はそうではない。からかいや冗談ならともかく、本気で男子に『綺麗だ』とか『可愛い』なんていわれた記憶はない。
頭を振る、無理に笑ってみる。このほうが幾分かマシだ。
「よかったじゃないか」
忍は頷いた。頷くだけの理由がある。
浩介は、スパⅢを辞めてなかった。浩介にとってスパⅢはたかがゲームかもしれないが、そのたかがゲームを一生懸命やっていた。最後にロッキーで試合したときより、また強くなっていた。
「……それで、いいじゃないか」
先週の木曜日からずっと探していた浩介との繋がりを、見つけられた。
それは普通の人には繋がりとは呼べないような、本当に細い糸のようなものだが、その糸はきちんと、忍と浩介を結んでいる。
忍はその糸を手繰り寄せようと思った。
アーケードスティックを動かし、『メッセージを送る』というボタンを押す。
これは『ゲームステーションメール』と呼ばれるもので、ネットワークIDをメールアドレスのようにして短いメッセージを相手に送る機能だ。
普通は対戦してくれたことのお礼や、友人同士の短い会話に使用される。中には心無いメッセージを投げてくるものも居る。
宛先に浩介のIDを入力し本文を書き出そうとして、手が止まる。
何を書けばいいのかわからない。いつもと同じだ。
スマートフォンでメールを送ろうとするが、何を書いたらいいのかわからなくて止める、という行為を忍はこの数日で、三十回以上繰り返している。
返信が無かったときに、立ち直る自信がない。だから何も書けない。
ゲームなら喜んでリスクに飛び込んでいけるが、恋愛となると話は別だ。
忍の恋愛偏差値をスパⅢに置き換えると『斬空拳』すらまともに出せないレベルだろう。
どうしたらいいか、恋愛経験の豊富そうな純に相談してみたいが、純は携帯電話を持っていない。
たとえ聞けても、明確な答えは持っていないのかもしれない。
どうやったら、男子の気が引けるか? ということをそれとなく聞いてみたら。
「忍が聞く?」
よくわからない言葉を前においてから。
「わかれば苦労は無い」
少し寂しそうに笑った。
絶対に話さないが、純にも、恋の悩みがあるのだろう。
「メール見参っ!」
ゲームステーションに設定してあるいずなの声が、メッセージの到着を告げる。
差出人は『KOU02』
慌てて開封する。
『あの、俺、さっきのヒガンテ使いです。対戦、ありがとうございました!』
「おんなじだ、あの時と、おんなじだ」
忍の言っているあの時は出会いの時のバス停を指す。
あの時も、浩介は頭を下げて同じことを言った。
忍は衝動的に、返信の文面を書く。
『君、格ゲー上手いね』
そこで手を止めて少し考え
『それに、ちょっとずつ強くなってる』
その一文を追加し、送信した。
もしかしたら、対戦の申し込みが来るかもしれない。
ドキドキして、二十分待ったが。浩介から連絡は来なかった。
「電源、落としちゃったかな?」
念のため、もう一度メッセージを送信する。
『また、対戦しようよ』
送信ボタンを押す。数秒の後。白い文字でシステムのメッセージが表示される。
KOU02さんは、あなたからのメッセージを受け取ることが出来ません。
ログアウト状態、もしくはあなたからのメッセージを拒否している可能性があります。
「念のため、ね」
忍はオンラインプレイヤー検索画面を表示させ、検索窓にKOU02を打ち込み、検索のボタンを押した。画面下部に現れた、検索中を示す青色のバーが増えるのを見ながら。
見つかりませんように、と願っている。
ログイン状態だった場合、アクセスを拒否されたということになるからだ。
数秒で検索結果が表示された。
KOU02 バトルポイント20620 状態 プレイ中
……ようやく繋がった糸は、すぐに切れてしまった。
アクセスを拒否された場合。メッセージを送るどころか、ランダム対戦のマッチメイクモードで戦うことすら出来ない。
「……もぉ……駄目だ」
忍は膝を抱え、顔を埋める。
『格ゲー上手いね』なんて送るんじゃなかった。
あれで私だってわかったんだ。私だからブロックされたんだ。嫌われた、完全に嫌われた。私はそれだけのことを浩介にしてたんだ。甘えてた、いい気になってた。私が浩介を好きなように、浩介も私が好きなんだと思ってた。口をきいてくれないのは、単純に怒っているだけで、時間がたてばまた、こっちを見てくれるんだと思ってた……でも、そうじゃない。
たかがスパⅢに何もかも賭けるような、そんなヤツとは付き合いたくないんだ。話もしたくないんだ。やっと……わかった。
開けて下さいと叩いた扉は、絶対に開くことはない……絶望だ。
忍は泣いた、もう見栄も何も無い、声を上げて泣いた。
「好きなのに……こんなに好きなのに……」
忍の声を、直政は忍の部屋の扉の入り口で目を瞑って聞いている。
右手にカスタマイズされたスティック、左手に発泡酒を持っている。
慰めようとは思っていない。立ち去る気もない。
自分が必要になるときを待っている。
外側に汗をかいた発泡酒の缶を傾け、一口飲むと。
「青春だねぇ」
そう呟いた。
三十分ほどして、忍の声が聞こえなくなると。
直政はゆっくりと部屋に入った。床に転がって眠っている忍に
「そうそう、辛いときは寝ちゃえ」
声をかけ。お姫様抱っこで軽々と持ち上げると、大事に大事にベッドに下ろした。
薄い毛布を一枚かけて、直政は携帯を取り出す。
「ホーク? 宮本です。今、家に居る? ちょっと遊びたいんだ。やっと、光が来てさ」
光とはインターネット回線を示す。貧しくはないが、高収入ともいえない宮本夫婦だが、ネット回線とパソコンはケチらない。オタクの生命線だからだ。
「ゲーステⅢのスパⅢ、今すぐ出来る? Ⅳじゃ駄目、Ⅲ」
そういいながら直政は3キロの本体に2キロの鉄板をネジ止めし、重量を増やした専用スティックをゲーム機に繋いでいる。同じものを三つ持っている。半年ぐらいで一台壊すからだ。
電話の向こうでホーク先生も対戦の用意をしている、らしい。
「熱帯はラグがなぁ~」という愚痴が聞こえると直政は
「遅延とか関係ないって、ボタン押せば技出るんだから、同じ、同じ」
そういって発泡酒を飲む。残っている忍のモンブランに手を出しそうになって止めた。
ホーク先生も準備が終わったらしい、直政が忍のIDを伝える。
「宮本、いずなにキャラ変えたのか?」
「んや、これは妹のID、今、妹の部屋に居る」
「妹って茜ちゃんの妹? 何してるんだ?」
ホーク先生は茜を知っている。先週の日曜日にホーク先生の彼女を交え四人で、一緒に食事をしたばかりだ。ちなみにホーク先生の彼女は恰幅のいい、朗らかな女性だった。
「妹なら、今俺の横で寝てる」
「てめー妹ルートも同時攻略か」
「馬鹿。妹設定好きなのは否定しないけど、茜が居るのに、浮気なんかするかよ」
軽口を叩き合っていると、対戦の招待メッセージが届いた。
「一対一だと、ホーク十分で腐るから、ルームにしない?」
「お前、本気でやる気なの?」
「うん。妹にいいとこ見せたいんだ。頼む。ごついヤツ二、三人、心の強いので」
直政がそう言うと、対戦の招待メッセージが取り消され、すぐにルームの招待メッセージが届いた。
ランダムでないネット対戦には二種類ある。
二人で延々戦うワンオンワンモードと、何人かで勝ち抜きで戦うルームモード。
ホーク先生が立てたルーム名は『二天一流』あの宮本武蔵の兵法の名前として有名だ。
メンバーは『IZUNAOTOSHI』と『HAWK・T』に『E・YAMAMO』
最後に入ってきた『KOJI☆ROCK』というIDに直政は
「おいおい、遊んでないで働けよ。十時は稼ぎ時じゃないか?」
突っ込みをいれてから、ホーク先生に礼を言う。
「ありがとう、ホークの人脈凄すぎ。特に最後」
「だろ? はじめるぞ」
ホーク先生が電話を切り対戦が始まった。




