俺より強いあの娘を殴りに行く。(三・四(二))
『KOU02』これが浩介のIDであることを忍は知っている。
帰宅してすぐに『怪我をしたからロッキーには行けなくなった』ということをトシに電話で伝えた、その通話の終わり際にトシが教えてくれたIDだ。
「たぶん、ネット対戦はしてると思うから」
トシはそういった後、言いにくそうに「俺から聞いたってのは内緒にしてね」と、つけ加えた。
忍と浩介はIDを交換し合っていない。火曜日にそれをしようとしたが、浩介が
「忍とだと、徹夜で遊んじゃいそうだから、夏休みまで教えないでおこう」
嬉しいことを言ったので、それに同意した。
忍のIDは『IZUNAOTOSHI』浩介は忍が対戦相手だとはわからないだろう。
何時も通り、浩介は守り主体の戦法を取る。
丁寧にガードを固めてチャンスを待ち、反撃を狙う。
我慢強く、丁寧に戦ったが、一ラウンド目は忍の圧勝に終わった。
「反応鈍い」
忍は舌打ちをする。おそらく、浩介は液晶TVを使っているのだろう。
ネットワーク自体の遅延が大体四フレーム。液晶TVの遅延が三フレーム。
合計七フレームの遅延は、ガード主体のプレイスタイルには致命的だ。
どういうことが起きているか大まかに説明する。
仮に、ボタンを押してから十二フレーム後に攻撃が当たる技があるとする。
ゲームセンターでその技を出された場合、見てからガードするまでの猶予は〇・二秒。
ところが、七フレーム遅延があると、猶予は五フレーム、〇・一秒以下になってしまう。
人間の反応の限界速度は一般に〇・一秒といわれている。
ゲームセンターでは余裕でガードできていた技が、ネット対戦では人間には反応不可能な技に化けてしまう。ネットはガード主体のプレイヤーに不利な環境だ。
「これで勝っても意味ない」
忍は落胆したが、二ラウンド目にヒガンテの動きが変わったのを見て、気を取り直す。
ヒガンテは警戒しながらもジリジリ前に出てきた、投げのプレッシャーで相手の動きを制限しようという戦術なのだろう。
「いいよ、接近戦。受けて立とうじゃん」
忍はいずなをダッシュさせる。
それを待っていたように、ヒガンテがしゃがみチョップを出す。
ガードしたいずなに、ヒガンテが上から大きな拳を振り下ろす『ショートレンジスレッジハンマー』を繰り出す。この後いずなはガードを続けるか、ジャンプで逃げるかという選択を迫られる。読みが外れればハンマーか必殺投げのメガトンボムを喰らうことになるが、忍は迷いなくいずなをジャンプさせた。
「だ~め。それはもうバレてる」
一番初めの対戦で、浩介に投げを決められた連携。
癖になってしまっているのか、浩介はこの連携を多用する、そしていつも反撃をくらう。
忍は、安直な作戦を咎めるように、投げの隙に空中からの連続技を叩き込む。
「わかってる?」
このパターンでいつも私にやられてるんだよ?
そういうことが言いたい。けど、それよりも
……私が誰だかわかってる?
届かないけれど、届かないとわかっているけれど……その想いを、届けたい。
「ねぇ、コースケわかってる?」
地上に降り立ったいずなに打撃を出させず、バックダッシュをさせる。
浩介はジャンプ攻撃を受けた後、投げ技を狙う……これも癖だ。
伸びてきたヒガンテの腕をすり抜けて、いずなが後方に逃れる。
……私は、ここに居るよ。ここに居るよ。
離れた距離を、詰めるべく、もう一度いずなが前にダッシュする。
追い払おうとする、ヒガンテの大きなモーションのパンチを弾き、肘打ちと膝蹴りのコンビネーションを叩き込む。
ガードを固めるであろう相手を投げようと接近した時、いずなに向ってヒガンテが頭から突っ込んできた。
『ジャンピングヘッドバット』こういう状況下では、普通は出さない隙の大きい技だ。
忍は流石にガードできなかった。いずなが仰向けに地面に倒れた。
「楽しい……」
起き上がりに、しゃがみ足払いの連打を重ねてくるヒガンテを見ながら、忍は呟く。
これをガードさせてまた投げに来るだろうと、いずなにジャンプをさせると
「あ、やばっ」
そのジャンプをヒガンテの大きな拳が叩き落とした。
浩介が選択したのは、投げではなく『スレッジハンマー』だった。
いずなが、もう一度地面に転がる。
「今度は、こっちの番だぞ」
浩介の声が聞こえた気がする。
「甘いっ!」
起き上がりにもう一度重ねてきたヒガンテの足払いを、いずながパリイングで弾く。
忍は、続けて浩介が入力しているであろう、メガトンボムの出がかりの隙へ向けて、三段蹴りの『旋風』を入力する。
予想通りメガトンを出していれば『旋風』でヒガンテはダウンする。攻守交替だ。
「それも、わかってる!」
ヒガンテが両腕を広げて待っていた。
発生の速い、通常投げのベアハッグだ。
「あ、だめっ」
忍はレバーを激しく左右に揺さぶり、六つのボタンを連打する。
「離さない」
そういっているように、ヒガンテがいずなを強く、強く抱きしめる。
じわじわと、いずなの体力が減っていく。
忍の滅茶苦茶なレバーとボタンの操作は、ベアハッグで捕まっている時間を減らす動きだ。
「楽しい」
ピンチなのに、忍の唇からこぼれた言葉。
「どうして……」
呟いた忍の視界の中で、抱きしめられているいずなの姿が歪んだ。
……どうして、私のことは捕まえてくれないの? コースケ。
いずながヒガンテから離れた、動き出すのは全く同じタイミングだ。
ヒガンテはダッシュで間合いを詰めてくる、その足元にいずながスライディングを仕掛ける。
ヒガンテの前進が止まった。
ガードを固めるヒガンテに、いずなが細かく打撃技を叩き込む。
ヒガンテはその一つ一つを確実にガードする。
的確な洞察力と、確かな予測。
この二つが浩介の守りを支えている。
攻撃が防がれても、忍はお構い無しにいずなの手足をヒガンテにぶつけていく。
大きな扉を、小さな少女が叩いているようだ。そしてこういっているようだ。
「開けてください、開けてください、開けてください」
「それは無理だ」
そういうように、ヒガンテは太い両腕で顔を守っている。
ガン攻めとガンガード。
お互いの良さを遺憾なく出し合い、攻め、守る。
「開けて下さい、開けて下さい」
「無理なものは無理だ」
そういう会話をしているような気がする。
いや、そういう会話をしている。
画面の中のキャラクターは、傷つけあっているけれど、プレイヤー同士は心を通わせている。
話し合うよりも、殴りあったほうがわかることが、ある。
言葉なんかなくたって、通じる思いが、ある。
「楽しい……楽しいね。コースケ」
忍のアーケードスティックに透明な水玉が、一つ落ちた。
時間切れが来て、スピーカーから聞こえてきた声が、忍の勝利を告げた。
 




