俺より強いあの娘を殴りに行く。(二・一)
トシから送られてきたメールの本文には、意味不明な言葉が並んでいた。
『電話する。取れ。切るな』
出ろよ。というのはわかるが『切るな』とわざわざ書くのがわからない。
浩介が首をかしげているうちに電話が鳴る。
「トシ? 切るな。ってなんだよ?」
スピーカーからはトシの声が聞こえない。ワイワイガヤガヤ騒がしい音がしている。
「新発売のチーズ伊勢海老バーガーはいかがですか?」
セールストークが小さく聞こえた。
メニューから察するに、駅前のコッテリアというハンバーガーショップだ。
「トシ。もう十時半だぞ、何やってんだよ?」
浩介の質問にトシは答えない。わけのわからないことを言う。
「食ったら、ちょっと落ち着いた?」
「まだ食ってないし、落ち着いてない、それより声遠いぞ」
「……手、痛い?」
「流石に、兄ちゃんの球だからな。ミットなら大丈夫だったんだけど。ってお前なんでそれ知ってんだ? もう一回言うけど声遠い」
またもやトシは答えなかった。
耳慣れた声が、小さく浩介に届く。
「まだ。ちょっと痛い、かな」
浩介は状況を把握した。
トシと忍がコッテリアに居る。
締まり屋の忍が外食などという無駄遣いをするわけが無いから、食事はトシの奢りだろう。
浩介は遊びに行った事はないが、トシの家はかなり裕福らしい。
なんでも父親が大きなホテルを何軒か持っているとのことだ。
トシは女の子と一緒だと、相手に財布を開かせない。
陽気な性格で金持ち。
だが、モテない。
「トシ君は、まだ帰らなくて平気なの?」
トシの家は、上尾から二駅行った、大宮という場所だ。
駅から家もそこそこ遠いと聞いている。今から帰っても、帰宅は十一時を回るだろう。
「家の親、めっちゃ甘いから。成績さえよければなんも文句言われない」
普段は馬鹿なことばかり言っているが、トシは驚くほど成績がいい。
だが、モテない。
「忍ちゃんこそ、大丈夫なの?」
「私、両親とは暮らしてないから」
「一人暮らし!」
そこだけ、やたらとはっきり聞こえた。
「ううん。お姉ちゃんとその旦那さんと、メゾネットっていうの? 二階建てのマンションみたいのに住んでる。ご飯のときぐらいしか会わないんだけどね」
浩介も初めて知った話だ。
口を開けばスパⅢのことばかり、忍の個人的なことはほとんどなにも聞いていない。
知っているのは、料理が上手ということぐらいだ。
これも聞いたわけではない。「お弁当にしたほうが節約できる」そう言った忍が、昨日、今日と二人分の弁当を用意してきてくれたから、たまたまわかったことだ。
見事なヒガンテのキャラ弁だった。
「お姉さんが、結婚して日本に戻ってきたのについてきたの?」
「うん。高校から先のこと考えると、こっちの方が都合いいってお父さんが」
「両親は、まだドバイにいるの?」
「そう。しばらくは帰って来ないと思う」
「親父さん。石油関係?」
「ううん。建築、なんかビルとかの設計してるんだって」
流石はトシだ、浩介がまるで聞けなかったことを平然と聞きだしてのける……そこに痺れも憧れもしないが。
浩介の思いに関係なく、トシの調査は続いている。
「寂しくない?」
「ちょっと」
忍はそこで、少し間を開けた。両親を思い出しているのかも知れなかった。
「寂しいけどね。でも、日本に来たかったの。だって……」
浩介の頭にその理由が浮かんだ。聞きながら、きっとそうなんだろうと推測している。
推測しながら、忍の言葉を待つ。
「こっちには、対戦相手がいっぱいいる」
当たりだ。
「そっか。毎日、今日みたいだったら最高でしょ? 師匠にまた来てって言っとくよ。あと、あの超強い瞬の人も連れてきてくれるように言ってみる」
初心者のトシは、コジローとリリィさんがどういう人だか、わかっていない。
スパⅢを本気でやっている人なら、軽々しく『来てくれ』などとは、言えない二人だ。
忍はトシに「ありがとう」と礼を言い、それから少し間を空けて。
「でも、あんなにいっぱい居なくても、私は満足」
そう続けた。
「どうして?」
「戦いたい人、ちゃんと居るから」
誰だ? 浩介の心に嫌な気持ちがわきあがる。
この感情をなんというのか浩介は知らない。
例えるなら、胸焼けしたような感覚だ。
「どういう人? 強い?」
トシも、その人のことが気になるらしい。
「強いっていうか、上手い。かな?」
「強いと上手いって違うの?」
トシには、その辺りはよくわからないだろう。
「例えば、トシ君の師匠のリリィさんは、正直上手くない。ガードしないし、攻撃も滅茶苦茶、でも負けない。そういう人は強い。攻撃も、守りもしっかりしてて、連続技とかもミスらない。そういう人が上手い」
「ははぁ、あの瞬の人が上手い?」
「コジローさんは、上手くて強い。なんだろ、わかんないかも知んないけど。上手いけど強くない人っているんだよ」
「よく、わかんねーな」
「トシ君にも、そのうちわかるよ」
「なるほどねぇ。そういうもんなんだ」
トシは納得してしまったが、浩介は納得するわけには行かない。
戦いたい人って、一体誰なんだ?
そこを突っ込め、と念じているが、念は電波を通しては届かない。
歯がゆい思いをしていると、忍が語りはじめた。
「私ね。上尾に来て、一番初めにロッキーに行ったの、雨の日でね……」
浩介は息を殺す。照れているのかもしれない。忍の声が極端に小さい。
「スパⅢやってる人なんていないかなって思って覗いたら居てね。ガードとか結構しっかりしてて。攻めるのはね、まぁ大したことなかったんだけど、強引さがないって言うか。でも、よく考えて工夫してきて。この人、真剣にゲームやってるんだなっていうのが、すぐわかって。すごく……楽しかった。この街に来てよかったなぁって思ったの」
忍は大事に大事に、まるで宝物について話すように話した。
浩介は心中穏やかではない。
今までロッキーで対戦した相手の記憶を辿っている。
該当しそうなプレイヤーが多くは無いが、居る。
……誰だよ? そいつ。
聞きたいのを堪えている。トシの携帯から自分の声が漏れては、トシの立場が無い。
忍は、話を続ける。
「一回勝って、終わりかと思ったら、その人立て続けに三回も対戦してくれて。全部こっちが勝ったんだけど、まだまだ、相手してくれそうで、でも須藤のお爺ちゃんに十時だって言われて、帰らなきゃいけなくなって……」
忍が口ごもった。
悲しいのか、悔しいのか、忍の顔の見えない浩介には判断できない。
「私が席を立つ前に、その人、出て行ったのね。それ見てたら私、なんだかわかんないけどこのまま行かれちゃ駄目だ、って思って……筐体に傘置きっぱなしにして、追っかけたの」
「何で傘置いていったの?」
「……同じ傘に、入れるかと思って」
声をかけるではなく、いきなり相合傘を狙いに行くのが忍らしい。
その人と話したいということの他は『どーでもいい』状態だったのだろう。
トシは「あはは」と声を上げて笑い
「忍ちゃん、その人のこと好きだね」
さらっと言った。
詮索する感じではない「今日良い天気だね」というのと変わらないテンションだった。
忍は、そうは行かない。珍しく甲高い声を出す。
「ち、ち、違うよぉ」
「顔、真っ赤だよ?」
忍は、おそらくため息だろう「はぁ」という音を漏らし、続いて。
「…………違わない」
訂正した。
トシはもう一度笑って。
「じゃぁさ、忍ちゃんここからが本題ね」
真面目な口調になった。
浩介の左手がじゃんけんのグーの形になりブルブル震えている。
トシ、お前アホかっ! ここからが本題じゃねぇ。今のが本題だろぉが! もっと突っ込んで聞け。誰なんだそいつは? 忍が初めてロッキーに行ったときに対戦した。忍の『初めての男』って一体誰、あ、くそ『初めての男』って腹立つな。『初めての対戦相手』に修正。修正しても腹立つわ。いいか、トシ聞くんだ。
忍がロッキーで始めて対戦した守りは上手いけど攻撃は大したことない、その程度の腕の癖に四連戦してボコられた、上手いけど強くない粘着野郎は一体誰なんだ? そいつは、認めたくないが……多分、忍と一本の傘で歩いたんだぞ! 絶対見つける。絶対見つけて俺の、この胸焼けみたいなヤツをそいつに叩きつける。無論ゲームでだ! メガトン十連発でわからせてやる。いや、ギガトンだ、ギガトン百連発でわからせてやる!
「コースケ、トリアエズ落チ着ケ、話ハ終ワッテナイ」
脳内ヒガンテの突込みが無ければ後五百文字は、浩介の回想が続いたはずだ。
先へ進む。
トシが唐突に本題を切り出す。
「謝っちゃえ」
「え?」
「謝っちゃえ、謝っちゃえ、多分許してくれるから」
「は?」
忍はトシの言っていることがわからないのだろう。何度も聞き返す。
それは浩介も同じだ。誰に何を謝れというんだ。
トシが、謝らなければいけない理由を補足する。
「殴っちゃったでしょ? その人のこと」
「はい!?」
浩介はつい声を出してしまった。
トシが、携帯をポケットに隠したのだろう。
急にスピーカーから、水中に飛び込んだような音が聞こえてきた。




