『お前、勝つ気あんのかよ!』とあの娘は叫んだ。(五・五)
十五分足らずで、コジローは勝ち星を積み上げた。
その数はもう十に届こうとしている。
圧倒的な実力差があるとわかっても、コジローは一切手加減をしない。
「雷神疾風脚!」
忍のいずなが、また白い胴着に吹っ飛ばされた。
「……両替、行って来る」
浩介も忍もこれで五連敗。
全くといっていいほど通用しない。
こっちの攻撃は全く当たらないのに、向こうの攻撃はほとんどこっちに当たる。力の差を、思い知らされる。
十試合やって、取れたラウンドは二人とも一試合目の一ラウンド目だけ。
そこでコジローは学習を終えてしまった。
それからは二人ともコジローのサンドバッグだった。
もう勝ち負けではない。何秒、生き残れるかというゲームだ。
ヒガンテは四十秒ぐらい持ちこたえられるが、いずなはあっという間に倒されてしまう。いまのラウンドにいたってはたったの十二秒だ。
浩介は、雷神疾風脚で空中に舞い上がったいずなが地面に落ちるとき、忍の眼から涙が一滴こぼれるのを見た。
もう止めよう。
涙を見たって、そんなことは言わない。
忍の心は折れてない。
勝てないから泣いているんじゃない。自分が弱いから、今まで積み上げてきたものが、コジローの積み上げてきたものに遥かに足りないから。それが悔しいから泣いている。
忍は今、自分が登っている山の頂がどれだけ高いところにあるかを知ろうとしている。
その高さに対して自分は余りに小さいことを思い知っている。
……それは、強くなるために、絶対に必要なこと。
だから、浩介は黙っている。黙ってそれを見ている。
「どうした? もう終わりかい?」
コジローの声に慌てて席に着く。
忍とは対照的に、浩介は夢見心地だ。
真剣にやっていないわけではないが、どうしても頬が緩んでしまう。
それは、仕方の無いことかもしれない。三年間憧れ続けたプレイヤーとの対戦。
野球少年がベースボールの神様ベーブ・ルースと対戦するようなものだ。
舞い上がらない方がおかしい。
「雷神っ……」
何度聞いたかわからない瞬の決め台詞とともに、浩介は六敗目を喫した。
「どけよ」
戻ってきた忍が、席から引きずり下ろす様に浩介の身体を引っ張った。
反射的に踏ん張って、堪える。
「危ないだろっ」
「負けたなら早くどけよ」
「なんだよ、そういう言い方ないだろ」
「うるさい。早くしろ」
浩介は自分に向って「邪魔だ」とでも言いたげな眼を向けている少女が、どういう状態にあるのかわかっている。間違いなくコジローと戦うことしか頭にない。今、その他のことはこの娘にとって『どーでもいい』ことだ。好きなことがあるとそれ以外は目に入らない。
ちゃんとわかった上で「ずっと忍の側にいて見ている」三日前、浩介はそういった。
その決意は今も変わらないし、この先もそうだろう。
しかし、浩介は恋愛漫画のよくできた彼氏でもなければ、自分の全てを捨てて姫をお守りする勇者でもない。普通のどこにでもいる高校生……当然腹が立つ。
俺は、忍の奴隷でも下僕でもないんだぞ。
そういう思いで忍を睨んで、席を立つ。
忍は横に立っている浩介をちらりとも見ずに、席に座った。
そして、一分経たず敗戦。
浩介が次は自分の番だと、ポケットから五十円玉を取り出した時。
忍が信じられない行動に出た。
いつも持っている小さなバッグから赤い長財布を取り出すと五十円玉を掴み、筐体に投入しようとしている。
「ちょっと待てよ」
浩介は忍の右手を掴んだ。
「痛い。離してよ」
「お前、何しようとしてるんだよ」
「決まってんでしょ、もう一回やるの」
「次は俺の番だろう」
「いいでしょ。あんたがやったって時間の無駄……」
その言葉に、一瞬頭が真っ白になった。
気がついたら自分の眼から三十センチほどの所に、忍の瞳が光っている。その眼は真っ赤だった。
切れ長の眼を一瞬、瞼が覆ったとき、透明な雫が薄紅色の頬を伝った。
「ちょっと、二人ともゲームで怒っちゃ駄目……」
異変に気がついたコジローが、声をかけるがそれは二人には聞こえていない。
浩介は、忍を睨んだままいう。
「お前、今なんて言った?」
「あんたがやったって、時間の無駄!」
口から言葉が飛び出すのと、両目から涙が溢れ出すのが同時だった。
「なんだよ。ヘラヘラゲームしやがって。そんなにコジローが好きなら、お家帰って一生動画でも見てろ、ここに弱いやつの居場所なんて無いんだよ」
浩介が、懸命にせき止めていた思いも溢れ出す。
「勝ち目無くたって試合してもいいだろ。負けて笑ったっていいだろ。俺の好きに遊ばせろよ、たかがゲームじゃねぇか」
浩介の言葉に、忍の顔色が変わった。血の気が引いたようだった。
「……たかが、ゲーム」
「たかがゲームだろうが。連敗したぐらいでメソメソ泣くんじゃねぇよ。みっともない」
「また、たかがってゆった」
言いすぎた。という気持ちが何フレームか心をよぎったが、もう浩介は止まれない。
この感情を繋ぎとめておく方法を知らない。
「大体お前何様のつもりなんだよ。ちょっと強いからっていい気になるんじゃねぇよ。自分より弱いやつにはどういう扱いしてもいいとでも思ってんのかよ。俺はな、お前の従者でもなきゃ、下僕でもないんだよ。何様なんだよ? いくら強くたってな、こんなもん将来なんの役にも立たないんだよ。たかが……」
忍は浩介の腕を振り払った。細く、白い腕の、どこにこんな力があるのかという勢いだった。その腕の何倍もの勢いで叫ぶ。
「言うなぁっ!」
店内が静まり返った。
「たかがゲームなんて、たかがゲームなんて言うな……私は真剣にやってるんだ。何の役にも立たないかもしれない。もっと有意義なことって他にいっぱいあるんだと思う。けど、私はコレが好きなんだ。コレが一番好きなんだ。強くなりたいんだ。一番好きなもので、一番強くなりたいんだ。コースケだって、そうなんだって思ってた。どんなものよりゲームが好きなんだって思ってた。私の気持ち、誰より、誰よりもわかってくれるんだって思ってた。それなのに、気の抜けた試合しやがって、負けたのにヘラヘラ笑いやがって、それがお前のゴールなのかよ。有名人と楽しく試合できたらそれでいいのかよ……そんなんで、いい、のかよぉ。お……まえ……」
言いたい事はまだまだあるのに体の中の空気がなくなってしまったのか、忍は肩で息をし下手糞に酸素を取り込んでいた。
怒りが収まるどころか大きくなっていることが、涙を流している両目の形からわかった。
忍は、ボロボロだった。いつもの凛とした様子も落ち着いた様子も欠片もなかった。
ぐちゃぐちゃになっている思考をぐちゃぐちゃなまま辺りに撒き散らしていた
忍は、ままならない呼吸で何とか息をため、最後の言葉を浩介に叩きつける。
「お前、勝つ気あんのかよ!」
忍は両手をぎゅうっと握り締めていた。何も言わず呼吸を整えていた。
待っていたのかもしれない。
押し黙ったまま自分を見つめている浩介の口が動き出すのを、待っていたのかもしれない。
しかし、浩介は動かなかった。
三十秒で、忍は待つのをやめた、拳にいっそう力を込めた。
「お前なんかぁっ」
忍は痛々しい力のこもったその手を、浩介の頬にぶつけ。
「……もぉ、どぉでもいい」
言い残すと、ロッキーから出て行った。
止まったままの浩介の背中を押すものがある。
トシだった。
「追っかけろ、今すぐ追っかけろ!」
浩介は動かない。トシが正しいような気もするが、
……追っかけて、それでどうするんだよ。
その疑問が解決しないうちは追いかけても仕方がない、そう思っている。
浩介には見えていないが、リリィさんと、コジローがトシに頷いた。
「ったく。面倒くせぇ二人だなっ」
トシは、そう吐き捨てて須藤第一ビルの階段を転がるように降りていった。




