婚約破棄された転生令嬢ですが、五歳の頃に竜帝と交わした「二人だけの秘密の誓約書」が有効なので、王家より竜の国へ嫁がせていただきます【短編・ざまぁあり・完結】
「お前との婚約を破棄する。魔力なしの出来損ないに、王太子妃は務まらん」
卒業パーティーの華やかな会場が、水を打ったように静まり返った。
シャンデリアの光の下、王太子アルフォンスが人差し指を突きつけてくる。金髪碧眼、見栄えだけは一級品。中身が伴っていれば、の話だが。
——ああ、また『テンプレ』が始まった。
私、セリア・フォン・アーデンフェルトは、菫色の瞳を静かに伏せた。
心の中で、前世の私がため息をつく。
(はい出ました。定番の公開婚約破棄ですね。残業ゼロで定時退社させていただきます)
「聞いているのか、セリア!」
「ええ、しっかりと。一言一句、記録しております」
淡々と答えた私に、アルフォンスの眉がぴくりと動いた。取り乱すと思っていたのだろう。泣いて縋ると。
「……なんだ、その落ち着きは。泣いて縋るとは思わんのか」
「残念ながら、そういう感情の在庫は、とうの昔に切らしておりまして」
私はこの国で『魔力なしの出来損ない』として蔑まれてきた。
領地経営も、外交文書の作成も、魔物討伐の後方支援も——すべて私が一手に担ってきた。だが、その功績はことごとく横取りされた。
それでも私は喚かなかった。淡々と職務をこなしてきた。
なぜなら——もう、決めていたから。
彼の隣で、愛らしい男爵令嬢が勝ち誇った笑みを浮かべていた。ミレーヌ・ラフォート。自称・聖女。
「セリア様……どうか、恨まないでくださいませ。わたくし、ただ皆さんをお救いしたいだけですのに」
上目遣いで、まるで自分が被害者かのように瞳を潤ませる。
「……あら。手柄横取りの先輩を思い出す上目遣いですこと」
「え……? な、何をおっしゃって」
「いいえ、こちらの話です。アルフォンス殿下」
会場のあちこちで、貴族たちがひそひそと囁き交わす。
「魔力ゼロの令嬢だものね」「聖女様がいらっしゃれば安泰だ」
アルフォンスが鼻を鳴らした。
「なんだ。今さら命乞いか?」
私はゆっくりと顔を上げ、微笑んだ。
その微笑みに、会場の空気がわずかに凍りついたのを、私は見逃さなかった。
「まさか。婚約破棄、確かに承りました。では——こちらの『誓約書』に基づき、失礼させていただきます」
私は懐から、一枚の古びた羊皮紙を取り出した。
***
「……なんだ、その古びた紙きれは。子どもの落書きではないか」
アルフォンスが訝しげに眉をひそめる。
私が取り出したのは、稚拙な落書きのような文字が並んだ、古い羊皮紙。子どもが描いたとしか思えない、拙い署名まで入っている。
『困った時は、必ず助けにいく。──ヴォルガ』
「ええ。子どもが描いたものです。──ただし、正真正銘の誓約魔法として成立しております」
ミレーヌがくすくすと口元を隠した。
「ふふっ、そんな紙きれ一枚で、王家の決定を覆せるとでも?」
「覆せるんですよ。あなた方が『誓約魔法』の本質を、何ひとつ理解していないだけで」
私は前世、日本のブラック企業で契約書と法務に命を削った元・法務部社員だった。過労で人生を終え、この世界に転生した。
そして気づいたのだ。この世界の『誓約魔法』が、前世の契約法とあまりにも酷似していることに。
魔力を宿す羊皮紙に記された文言は、この世界の法において絶対の効力を持つ。破棄も改竄も許さない。当事者の合意のもとに成立した誓約は、王家の権威すら凌駕する。
私は幼少期から、密かにその検証を重ねてきた。
「本質だと? 魔力なしのお前に、魔法の何が語れる」
「魔力なし、と仰いましたね。いいえ。私の魔力は『契約』に特化しているだけです」
「……なに?」
「測定でゼロと出るのは、戦闘系でも治癒系でもないから。この国に、正しく測る術式が存在しないだけです」
私の背後で、専属侍女のノエラが一歩前に出た。栗色の髪をきっちり結い上げた彼女は、涼しい顔で告げる。
「セリアお嬢様。お荷物は、すでにまとめてございます」
「ええ、ありがとう、ノエラ。……相変わらず仕事が早いこと」
「この日が来ることは、存じておりましたので」
まるで、この結末を最初から知っていたかのように。
私は羊皮紙を胸の前に掲げた。
「この誓約書は、五歳のあの日に交わした、二人だけの約束。──さあ、発動します」
羊皮紙が、淡い金色の光を帯び始めた。
「な……なんだ、その光は!? 何をした、セリア!」
「落書きの一筆が、二十年越しに効力を発揮するところです。──ご覧に入れましょう」
アルフォンスの顔から、余裕が消えていく。
***
光が広がるその一瞬、私の脳裏に、遠い日の記憶が蘇る。
——五歳の、あの日。
公爵家の裏手に広がる森で、私は迷子になった一頭の竜の子どもと出会った。
黒い鱗をした、私よりも小さな竜。翼を傷つけ、うずくまって泣いていた。
『……いたいの?』
言葉が通じたのは、後になって思えば、私の魔力が『契約』——つまり意思の交換に特化していたからだろう。
私は持っていた手巾で、竜の子の傷を巻いた。おやつのクッキーを分けてやった。
竜の子は、じっと私を見つめて言った。
『……なんで、たすけるの?』
『こまってる子は、たすけるものだよ』
そう答えると、竜の子はぽろぽろと涙をこぼした。ずっと、独りだったのだと。誰も助けてくれなかったのだと。
私は森で拾った羊皮紙の切れ端を広げ、拙い字で書いた。
『こまった時は、たすけにいく』
『わたしも、あなたを。あなたも、わたしを』
竜の子は震える爪で、自分の名を刻んだ。
『ヴォルガ』
それが、大陸最強と謳われる竜帝の名だと知ったのは、ずっと後のこと。そして——あの拙い約束が、本物の誓約魔法として成立していたことを知るのは、私だけだった。
——記憶の光が、現実へと戻る。
羊皮紙から放たれた金色の光が、天井へと駆け上っていく。
「セ、セリア、貴様——きゃっ、天窓が!?」
パリンッ——
会場の天窓が、砕け散った。
ガラスの雨が、月光とともに降り注ぐ。
貴族たちの悲鳴。逃げ惑う足音。
そして、その中心に——巨大な黒い影が、舞い降りた。
***
黒竜が、翼を広げて降臨した。
漆黒の鱗が、シャンデリアの光を弾く。黄金の竜眼が、会場を睥睨する。
その圧倒的な威圧感に、貴族たちは腰を抜かし、床に這いつくばった。
竜の姿が、みるみる人の形へと変わっていく。
漆黒の髪、黄金の瞳。二十五歳ほどに見える偉丈夫が、砕けたガラスの上に立っていた。
地を這うような、低い声が響く。
「——俺の『契約者』に、何をしている?」
会場が、凍りついた。
アルフォンスの顔が、蒼白になる。
「り、竜帝……ヴォルガ……!? なぜ、竜帝がこんな場所に!?」
ヴォルガの黄金の瞳が、まっすぐに私を捉えた。
その瞬間——大陸最強の竜帝の表情が、ほんのわずかに、崩れた。
「……セリア。お前、なのか」
「お久しぶりです、ヴォルガ。……いえ、初めまして、と言うべきでしょうか。あの時のあなたは、もっと小さかったので」
私が微笑むと、ヴォルガは大股で歩み寄ってきた。
そして——真顔で、言い放った。
「ずっと、迎えに来たかった」
「……はい?」
「あの日から、二十年。約束を、ずっと守っていた。お前を、探していた」
彼はごそごそと懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。
私が持っているものと、対になる誓約書の写し。大事に、大事に保管されてきたのだろう。端がすり切れるほどに。
「約束は、守る」
ぶっきらぼうに、けれど一途に、彼はそう告げた。
背後で、ノエラが小さく呟いた。
「……竜帝陛下。もう少し、素直になられては?」
完全に同意だった。
だが、その不器用さに——凍りついていた私の心が、じんわりと溶けていくのを感じた。
二十年。この人は、たった一枚の約束を、ずっと。
***
「ま、待て! その女は魔力なしの出来損ないだ! 竜帝ともあろう者が、なぜそんな女を——」
アルフォンスが、震える声で叫んだ。往生際の悪いことだ。
ヴォルガの黄金の瞳が、冷たく彼を射抜く。
「……出来損ない、だと?」
空気が、ぴりりと張り詰めた。
「ひっ……」
「セリアの魔力は『契約』に特化している。これほど純度の高い契約魔力の持ち主を、俺は他に知らん」
そして彼の視線が、ミレーヌへと移った。
「それより——そこの女」
「ひっ……わ、わたくし?」
ミレーヌが後ずさる。
「借り物の魔力で、聖女を騙っているな」
「なっ……! ち、違うわ、証拠もないのに!」
「竜眼を欺けると思うな。その胸元のペンダント——禁術の魔道具だ」
ヴォルガが指をさすと、ミレーヌの胸元のペンダントが、不吉な黒い光を放った。
「な、なんでよ、これは……これは違うの!」
会場中の視線が、彼女に突き刺さる。
「聖女様の力は、偽物……?」「では、これまでの奇跡はすべて……」
ざわめきが、波紋のように広がっていく。
私は静かに、口を開いた。
「ミレーヌ様。あなたが『浄化した』とされる魔物の被害地——実際に結界を張り直していたのは、私です」
「そ、そんな証拠——」
「では、こちらの条項に基づき」
私は懐から、几帳面に折り畳まれた書類の束を取り出した。
「過去三年分の結界維持記録と魔力供給の契約書、すべて私の署名入りです」
「なっ……そんな、書類なんて後からいくらでも——」
「誓約魔法で記録されているため、改竄は不可能。──証拠は必ず残す。法務の基本ですよ」
(前世で叩き込まれた、証拠は必ず残す、の精神です)
ミレーヌの顔が、ぐしゃりと歪んだ。
愛らしい仮面が剥がれ落ち、その下から醜い素顔が覗く。
「なんでよ! あんたなんて、ただの地味な令嬢のくせに!」
本性、あらわる。
「……あら、ようやく素顔が出ましたね」
ノエラが涼しく呟く。
会場は、もう誰も彼女を庇わなかった。
***
「セリア、待て! これは何かの間違いだ、話し合おう!」
アルフォンスが、崩れかけた立場を必死に取り繕おうとする。
だが、その時——会場の窓の外で、遠くの空が赤く染まった。
ゴォォォ……という、地鳴りのような咆哮。
「な、なんだ、あの咆哮は……!?」
ヴォルガが、静かに告げる。
「……遅い。見ろ、王太子。空が赤い」
「なっ……!?」
「国境の結界が、消えたな。セリアの契約魔力が、この国の魔物封印を維持していた」
アルフォンスの顔から、血の気が引いていく。
「そ、そんな……嘘だ! 結界は聖女ミレーヌの力で……!」
「その聖女は偽物だと、言ったはずだ」
私は、静かに彼を見上げた。
「殿下。私は何度も報告書を提出しました。『結界維持の魔力供給源が私である』と」
「報告書……? そんなもの、私は……」
「一度も、目を通してくださいませんでしたね。決裁欄はいつも空欄。読まずに判だけ押す——前世にもいましたよ、そういう上司」
アルフォンスは、ついに膝から崩れ落ちた。
「そんな……そんな紙きれ一枚が——なぜ、竜帝が……!」
失って、初めて気づいたのだ。彼が『出来損ない』と切り捨てた女が、この国を影で支えていた真の功労者だったことに。
もう、遅い。
遠くの空で、魔物の群れが蠢き始めている。
「ご安心を。結界再構築の手順書は、公爵家に残してあります。……読み解ける人材が、この国にいればの話ですが」
「待ってくれ、セリア……行かないでくれ、頼む……!」
私はくるりと踵を返した。
「では、こちらの誓約書に基づき——私は、竜の国へ嫁がせていただきます」
背後で、ノエラが優雅に一礼した。
「セリアお嬢様のお荷物、すでに竜の国へ転送済みでございます」
「本当に、仕事が早いこと。さすが私の侍女です」
***
ヴォルガが、そっと手を差し出した。
大きくて、少し武骨な手。この手で、二十年間、私との約束を守り続けてきたのだ。
「……行くか。竜の国へ」
「ええ、喜んで。……あの、ヴォルガ」
「……なんだ」
「顔が、赤いです」
「……っ、赤くない」
ぷいと顔を背ける竜帝。
(うわ、可愛い。この人、本当にあの威圧感の塊と同一人物?)
ノエラが、真顔でぼそりと呟いた。
「……大型犬ですね」
完全に同意だった。
ヴォルガは咳払いをして、私の手をそっと握り直した。
「セリア。あの日、お前が助けてくれた。分けてくれたクッキーの味を、俺は今でも覚えている」
「あんな拙いお菓子、よく覚えていましたね」
「……お前がくれたものは、全部覚えている」
まっすぐな言葉に、今度は私の頬が熱くなる番だった。
彼は、二枚の羊皮紙を並べた。
「この誓約書を——書き換えても、いいか。『困った時は助けにいく』を、『生涯、傍にいる』に」
「……婚姻の誓約書に、ということですか」
「……嫌か?」
上目遣いで問う竜帝は、あの日森で泣いていた、寂しがり屋の子どものままだった。
私は、ふっと微笑んだ。
「いいえ。では、こちらの新たな条項に基づき——謹んで、お受けいたします」
羊皮紙が、金色に輝く。
二人だけの秘密の誓約書は、生涯を誓う婚姻の契約へと、書き換えられた。
ヴォルガが、私を抱き上げる。
黒い翼が広がり、砕けた天窓から、月夜の空へと舞い上がった。
眼下で、アルフォンスとミレーヌが呆然と見上げている。
「さようなら、テンプレの世界。……二十年待っていてくれた人のもとへ、帰ります」
私は、二十年待っていてくれた人のもとへ、帰るのだから。
***
竜の国は、雲を抜けた高峰の上にあった。
黒曜石の城。空を舞う竜たち。そして——絶望的に生活能力のない、竜帝。
「ヴォルガ。この城、二十年間、掃除していないのですか」
「……必要性を、感じなかった」
「感じてください」
私は腕まくりをした。前世の社畜スキル、こんなところで活きるとは。
ノエラも、当然のように付いてきていた。
「まずは書類の山を片付けましょう。竜帝陛下、決裁を溜めておいでですね」
「……見なかったことに」
「しないでください」
数日後。
私が初めて振る舞った手料理を、ヴォルガは一口食べて——ぽろぽろと、涙をこぼした。
「ちょ、ヴォルガ!? 泣いて……まずかったですか!?」
「違う。……うまい。誰かの手料理なんて、二十年ぶりだ」
真顔で泣きながら食べる竜帝に、私はもう、笑うしかなかった。
ノエラが、静かに紅茶を注ぎながら呟く。
「……本当に、素直じゃありませんね。陛下」
その頃、王国では。
結界を失い、魔物の脅威に晒されたアルフォンスが、青ざめた顔で私の残した手順書と格闘しているらしい。
だが、契約特化魔力を持たない者には、結界の再構築など不可能。偽聖女ミレーヌは、禁術使用の罪で投獄されたと聞く。
——ざまぁ、というやつだ。
もっとも、私にはもう関係のない話。
「セリア」
ヴォルガが、そっと私の隣に座った。
「これから、ずっと一緒か」
「ええ。誓約書に、そう記しましたから」
「……よかった」
黄金の瞳が、朝日に柔らかく輝く。
窓の外では、子竜たちが元気に空を駆けている。
(そういえば、竜の国にも法整備が必要そうね。前世のスキル、まだまだ使えそう)
新しい契約書の束を思い浮かべながら、私はそっと微笑んだ。
これは、理不尽に耐え続けた令嬢が、たった一枚の紙きれで運命を覆し、寂しがり屋の竜帝のもとへ帰った物語。
そして——二人の、新しい誓約が始まる、朝の話。
「ところでヴォルガ。竜の国の税制について、少しお話が」
「……朝から仕事の話か?」
「ふふ。定時までには終わらせますよ」




