06 演出
空が白む。
冷え切っていた身体が、僅かに熱を思い出す。
――生きている。
滲む視界をそのままに、朝の空気を吸い込んだ。
日が完全に昇る頃には、黒い影は姿を消していた。
代わりに地を這うのは、魚のような魔物。
粘つく音を立てている。
そろそろ、ターモ水の効果が切れる頃だ。
樽を手に、背丈の高い魔物の切れ間を見極める。
隙を見て慎重に木を下り、幹を囲うようにターモ水を撒く。
すぐさま元の場所へ戻ると、魔物がこの木を避けていくのが見えた。
そこでようやく、肩の力を抜いた。
やり過ごすこと数時間。
日が暮れる頃には、前日より下に見える魔物が疎らになった。
しかし、まだいることに変わりはない。
生ぬるい風が通り抜け、肌が粟立つ。
ターモ水の効果も、じきに切れてしまう。
予備はもうない。
今夜は、聖女の力に頼るしかない。
睡眠不足と空腹で霞む頭に活を入れ、2回目の夜に挑んだ。
***
「――あさ」
零れた言葉が、空気に溶ける。
身体がひどく重かった。
夜の間。
木に登ろうとした魔物たちに聖女の力を使ったからだ。
練習はしていても、ここまで連続で使ったことはない。
脱力しながら幹に寄りかかり、木の下を眺める。
魔物が襲ってきて、今日で3日目。
今では、ちらほら疎らに見える程度しか、魔物はいない。
でも、下りられない。
腹の中が空っぽで、常に吐き気が襲う。
なにより3日間、一睡もできていない。
眠い。
つらい。
12歳だぞ、私は。
こんなのおかしい。
もういやだ。
気持ち悪い。
眠りたい。
でも、魔物がいる。
眠れない。
取り留めもない思考が巡る。
ぼやける意識のなか、ふと、何かが小さく鼓膜を揺らした。
虚ろにかすむ視線を上げ、耳を澄ます。
規則正しく、鉄のようなものが地面を叩く音。
――足音だ。
魔物ではない。
方角が真逆だ。
音も違う。
魔物じゃ、ないなら……。
吸い込んだ息が音を立てる。
きっと、助けだ。
救助隊が来たんだ。
身体の重さも忘れ、ひたすらに枝から枝へと登る作業を繰り返す。
無意識に口角が上がる。
村の入り口が見える場所。
その最後の枝に手をかけ、身体を引き上げる。
――見下ろした先のそれに、サッと、血の引く音がした。
赤黒い染みが、地面を斑に覆っている。
引きちぎられたような布。
破壊された農具。
そして、人の形をなしていない、それ。
吸い寄せられるようにそれを見て、瞬きを忘れた目から、涙が零れた。
心臓が耳にうるさい。
視線を彷徨わせ、結局、目の前の木の木目を見つめる。
……彼らは、仕方なかった。
私は、私の方が大切だ。
自分の決断に、後悔はない。
――でも。
爪の間に木片が刺さるのも気にせず、幹に爪を立てる。
どこか、他人事のように思っていたのだ。
今まで。
彼らは“迫害”なんてことをする、異世界の愚かな大人たちだと。
それが今、突然リアルになった。
――彼らはちゃんと、人だった。
……それでも、もし。
もし、過去に戻ったとしても。
私は同じ決断をするだろう。
しばらくして、耳に入った馬の嘶きに顔を上げる。
村に近づく足音と共に、馬に跨がった騎士のような出で立ちの集団が、姿を現した。
十数人ほどだろうか。
彼らは、無残に破壊された木製の門を見て、眉をひそめた。
その中の一人が、村の中へと視線を移し、血の気を引かせて口を覆う。
弱く首を振り、思考を切り替える。
救助隊じゃない可能性も、ゼロではない。
涙を拭って、耳をそば立てた。
「惨いものだな……」
弓を背負った男性が、頬に傷のある大柄な男性に話しかける。
ポツリと零されたその言葉が、妙に耳についた。
「ああ……だが感傷は後だ。今はやるべきことがある。……斥候役は周囲を探れ! 生存者を見つけろ。他の者は俺に続け! 残った魔物を討つ。」
傷のある男性は、一瞬の逡巡の後、それを振り切り、命令を出す。
彼が、この隊の隊長だろう。
彼の言葉に、他の騎士たちも気を持ち直した様子で動き始めた。
弓の男性は斥候役のようだ。
もう一人、弓を持った騎士を連れて、村の外周に沿って駆けていった。
隊長らしい男性はそれを見送り、背負っていた大剣を引き抜く。
他の騎士たちに発破をかけながら、入り口から堂々と村に入っていった。
彼らの様子を見届け、私は居心地の良い場所までゆっくりと降りた。
幹に抱きつくような体勢のまま、コツリと額を預ける。
――やっと、助けが来た。
長かった。
吐き出す息は震えている。
だが、まだだ。
騎士たちの戦闘音を背に、ほっと緩みそうになる緊張の糸を手繰り寄せる。
無事に生き残ることはできた。
救助隊も来た。
次は無事に、保護されなければならない。
幹につけていた額を外し、反転して背を預ける。
難所は、2つ。
1つは、見つけてもらうこと。
これはそう難しくない。
村の周囲を捜索している斥候役の騎士たちがいる。
仮に見つけてもらえなくても、手段を選ばなければ、やりようはいくらでもある。
そしてもう1つ。
厄介なのが、この見た目。
私は気に入っているが、少なくともこの村で肯定的に見てくれる人はいなかった。
閉鎖的な村だからこそ根付いた思想、ということなら良い。
だが、もし。
この世界では、この見た目が受け入れられない、としたら。
保護してもらえないどころか、“魔物を唆した”なんて、謂われのない責任を押しつけられかねない。
……鬼が出るか蛇が出るか。
そんな予感すらあった。
そのとき、ふと、村の方が騒がしくなった。
思考を中断し、注意を向ける。
戦闘音はいまだに続いているが、聞こえてくる声には、心なしか歓喜が含まれている。
詳しい会話までは聞こえないが、生存者――ティラミアが見つかったに違いない。
村から届く歓声を尻目に、木の下を観察する。
彼らが来る前まで疎らにいた魔物たちの姿は、もう見当たらない。
人の多い方に向かったのだろう。
森の中はすっかり静まり返っている。
意を決して、ゆっくりと木を降りていく。
できれば、発見される前にやっておきたい。
3日ぶりの地面に足をつく。
多少のふらつきを感じながらも、素早く川へと向かった。
樽に巻いてあった布を取り、魔物たちによって濁った川に浸けて、水気を絞る。
それが済むと同時に、木の上へ戻った。
その布で髪と顔を拭う。
布から香る強烈な匂いは、できるだけ気にしないように。
手足の汚れは拭き取らずに残し、用済みとなった布は木の穴に隠した。
顔に掛かっていた前髪を左右に分けて、耳にかける。
やけに頭が冴えていた。
準備が整ったら目を瞑り、深呼吸を数回。
心中で、自分に暗示を掛けるように、3回唱える。
――私はたった今から、神秘的な雰囲気を纏った儚さの漂う美少女である、と。
発見される際、“不気味”と取られるか、“美しい”と取られるか。
それで私の今後が決まる。
この色味を“奇跡のように美しい”と思わせることができれば、私の勝ちだ。
そのために私は、私という人間を作り込む必要がある。
神秘的で儚い容姿に、健気な内面。
哀れみを誘うのもいい。
哀れで、健気で、それでも芯がある。
どこまでも神聖な少女。
好意は行きすぎれば面倒だが、上手く使えば最高の武器になる。
よく思われる振る舞いをして損はない。
それに、無事に保護された場合、どうやって生き残ったのか、説明を求められるはずだ。
状況次第だが、私は別に、力を隠すつもりはない。
私の目指す人物像と、聖女。
これほどマッチして、便利な肩書きはない。
面倒はごめんだが、ティラミアも聖女になるのだ。
2人いれば、面倒ごとも分散されるだろう。
使えるものは使う。
気持ちを整え、閉じていた目を開く。
それと同時に、徐々に近づく蹄の音が、鼓膜を揺らした。
きっと斥候役だ。
足音が1つしか聞こえないが、見つけてさえくれれば問題ない。
今一度、ザッと身なりを確認する。
髪と顔はいい。
手足や服の汚れは、ついていないと不自然だ。
これでいい。
最後に、折れたワンピースの裾を直す。
次は、場所だ。
できれば、私の神秘性を生かせる場所がいい。
自分のいる木を上から下まで見回して、柔らかい木漏れ日が当たる枝に目をつけた。
身体に鞭を打って、慎重に、素早く移動する。
地面からの高さもちょうどいい。
幹に寄りかかり、両膝を曲げて顔を伏せる。
これからの自分の振る舞いを胸に、じっとそのときを待った。
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