05 襲撃
あの決意から、1年。
今日も襲撃の影はなく、村には見慣れた平穏が広がっていた。
どこか浮き立った村人たちは、にこやかな表情で動き回っている。
それもこれも、今日がティラミアの誕生日だからだ。
「みんなでお祝いしたい」という強請りに答え、村全体で祝うことにしたらしい。
そんなティラミアは、今日で12歳。
私と同い年だ。
……まあ、そんな“どうせ呼ばれない誕生日会”のことはさておき。
私は今日が、魔物の襲撃日だと予測している。
確証はない。
だが、『幼少期最後の誕生日に魔物の襲撃がある』なんて、いかにもありがちだ。
外れていたとしても、準備をしておいて損はない。
村の賑わいを尻目に、手慣れた動作でターモフォアを掘り起こす。
しゃがみ込んで作業をすると、胴に巻かれた紐が、存在を主張する。
それに引きずられるように、この1年を振り返った。
あのとき出来た光る紐は、森の蔓と結び合わせて長さを足し、胸の下あたりに巻き付けた。
身体に巻き付けておけば、光も服で隠れるし、なくす心配もない。
すべてが手探りだった。
そんな状況で、どうにか聖女の力を使えないかと、まず試したのは祈ること。
聖女といえば、の連想ゲームのように浮かんだ方法だが、他に当てもない。
紐を意識しながら、木の根に背を預け、ひたすら祈った。
体勢を変えたり、見たこともない神に祈りを捧げたり。
思いつくことを片っ端から試した。
そうしてやっとの思いで見つけたのが、強く念じること。
祈るだけでは、何も起きなかった。
……正直、念じるのと祈りの差はよくわからない。
より強い想いに反応して発動するのかもしれない。
それ以来、1日に一度は必ず発動を試すようにしている。
今のところ失敗したことはない。
だがこれも、過信は禁物だ。
もしかしたら、聖女の力にも種類がある、なんてことがあるかもしれない。
私の光では魔物に効果がない、という可能性もある。
……まあ、正解が分からない以上、魔物に効くことを願うしかない。
採集が終わったところで思考を切り上げ、集まった分を避難場所と決めた木の周りに撒く。
いつもより多く撒いた。
これで効果が少しでも長く続くことを願う。
そろそろ朝食の時間だ。
手に持っていたスコップを川で洗い、孤児院へと向かった。
食堂に入れば、何年経っても変わらない、孤児院の大人たちや子供たちからの視線が突き刺さる。
目を伏せ、何も言わずとも開けられた道を通る。
あからさまな溜息と共に渡された朝食を受け取り、中庭に回り込んだ。
壁に背を預け、芝の上に腰を下ろす。
記憶を思い出してから、食事のときは中庭が定位置になった。
あんな視線に耐えてまで一緒に食べたいとは思わない。
大人たちも、何も言わなかった。
膝の上に置いたプレートへ視線を落とす。
いつもと同じ。
他の子供たちよりも少なく盛られたスープと、小さく切られたパン。
皿の端には、小さな干し肉の切れ端がのっている。
私の皿に肉がのっているのは珍しい。
そう思いつつも、何も言わずに手を合わせる。
配膳をしていた大人は、ティラミアを気に入っていた。
きっと、その余りだろう。
固い干し肉とパンはスープに浸してから口に運ぶ。
美味しくはないが、まずくもない。
ふと、中庭からすぐの森を見れば、小鳥たちがさえずりながら遊んでいる。
これも、いつもの光景だ。
少し身体の大きな方の鳥が、小さな方の鳥をつついて、返り討ちにあって逃げて行く。
村のざわめきも、孤児院の子供たちの声も、うるさい視線もない。
穏やかで静かなこの時間は、日々の癒しだった。
――バサバサバサッ。
眺めていた森の奥で、鳥たちの影が一斉に飛び立つ。
突然のそれに、思わず肩が跳ねた。
食べかけのパンを口に詰めると、食器をその場に置いて、近くの背の高い木に駆け寄った。
見通しのいいところまで登る。
そこから目を凝らし、耳を澄ます。
再び群鳥の羽音が聞こえ、先ほどの位置から少し離れた場所で、慌てた様子で飛び立つ影が見えた。
それとほぼ同時に、また違う場所でも同様に。
辺りを観察するうちに、飛び立つ群鳥が段々と近づいていることに気づいた、次の瞬間――。
――ドドドドドッ。
私の耳が捉えたのは、足音だった。
無数の足音がこちらに向かってきている。
それも、物凄い速さで。
自分の喉が変な音を立てる。
息を吸おうとして失敗したような、不完全な音だった。
気づけば走り出していた。
目指す先は、避難所と決めたあの木。
足を動かすごとに、足音が近くなっていく。
湧き上がる悲鳴を押し殺し、死に物狂いで走った。
――村にいたら、死んでしまう。
やけに冷たい頭を動かし、身体に「走れ!」と命令を出す。
目的の木に着く頃には、足音はもうすぐそこまで来ていた。
無我夢中で木に登り、穴からターモ水の樽を取り出して、さらに上へと登る。
これ以上は登れない。
てっぺん近くまで登った。
幹にしがみつき、ようやく詰まっていた息を吐き出した。
手の中の樽を確認し、胸元の紐を握りしめる。
足音が聞こえる方向を見れば、その姿こそ見えないものの、村から200メートルほど離れた木々の間から、砂埃が上がっていた。
足音の近づく速さからして、あと数十秒……1分も待たずに、村へ着くだろう。
後ろを振り向き、村の様子を見る。
そこでは、足音に気づいた村人たちが慌てた様子で門を閉めていた。
他にも、扉や窓を塞ぎ、家に籠もる者。
農具を手に、魔物を待つ者。
そして、子供の名を必死に呼びながら走り回る、親たちの声。
村全体が、徐々に恐怖に染まっていく。
背後から迫る足音に、村から目を逸らす。
木の下に目を向けた、ちょうどそのとき。
――魔物が姿を現した。
先頭は、緑の小柄な人型魔物だった。
私の居る木の周りを避けて、一直線に村へと走って行く。
ターモ水の効果があることに、ほっと胸を撫で下ろすが、それも束の間。
初めて見る魔物の禍々しさに、ギュッと木に縋り付いた。
数えきれないほどの魔物が、群れをなしている。
砂埃を立てながら、次々と走り抜けるその様子を、息を殺して見ていた。
後方から響く生音が、耳に鋭く突き刺さる。
何かがへし折れ、砕けるような音。
重いものが叩きつけられる音と、押し殺したうめき声。
ビチャリと、何かの液体が、地面を跳ねる音。
……どんなに意識を逸らしても、優秀な耳はすべての音を拾った。
片耳を木に押しつけ、空いた手で反対の耳をきつく塞ぐ。
耳に触れた冷たい手の震えを、どこか遠くに感じていた。
***
どれくらい、そうしていただろうか。
気づけば、辺りは闇に包まれていた。
耳を塞いでいた手を、ゆっくりと解く。
村の方からはもう、何も聞こえない。
木に押しつけていた耳を離し、無意識に握りしめていた樽を持ち変える。
長時間、強い力で樽を握りしめていた掌はすっかり固まっていて、動かすと少し痛かった。
暗闇に目が慣れた頃。
ふと、木の下に目を凝らして、漏れ出た悲鳴を飲み込んだ。
ウゴウゴと蠢く大量の影。
――魔物だ。
はっきりとは見えないが、暗闇の中で動くそれは、確かに村の方へと向かっている。
……いつまで、続くのか。
再び樽をしっかりと握り込み、幹に縋った。
闇の中、ひたすら気を張り巡らせていると、森の奥から聞こえる奇妙な音が鼓膜を揺らす。
こちらに近づいているようだが、どうも様子がおかしい。
音がするのは地面ではなく、空。
鳥のように羽が風を切る音でもなく、かといって、虫のような羽音でもない。
中が空洞になっている鉄パイプが、風を切っているような……。
徐々に増えるそれに警戒しながら、音の聞こえる方に目を凝らす。
空から魔物が襲ってきた場合、おそらくターモ水は効かない。
聖女の力で、どうにかするしかない。
無意識に紐を触りながら、身体を揺らすほど大きくなった鼓動を落ち着ける。
やがて見えたその姿は――骨の翼で飛ぶ、鳥の群れだった。
大きくはない。
普通の鳥と同じくらいだ。
だが、数が多い。
すべてを捉えられたわけではないが、30……いや、その倍はいる。
気づかないでくれ、という願い虚しく、魔物の群れの、その先頭――。
――眼窩で光る怪しい赤と、目が合った。
途端に、先頭の魔物が甲高く、汚い声で鳴く。
それに返事をするように、後続の魔物たちが鳴き返した。
上空を飛んでいたそれらは、私のいる木の上で留まり、照準を合わせるように体勢を整え、くちばしを下にして猛スピードで落ちてくる。
漏れ出る悲鳴をかみ殺し、荒い呼吸を静めながら、服を破る勢いで紐を握り、“光れ”と念じる。
しかし、まったく反応がない。
もう一度試す。
反応はない。
練習では、上手くいっていたのに。
必死に繰り返しながら、涙でぼやける視界のまま上を見る。
魔物は、すぐそこまで迫っていた。
あのくちばしに当たれば、ひとたまりもない。
木の上で避けるなんて不可能だ。
バランスを崩して下に落ちれば、あっという間に下の魔物の餌食になる。
「光れ、光れ、光れ、光れ!」
口に出たそれにも、反応はない。
「なんでっ!」
再び顔を上げる。
目の前に、魔物のくちばしがあった。
避けられない。
頭が真っ白になる。
“死にたくない”。
それだけが、頭に浮かんだ。
その瞬間――。
――辺りを、眩い光が包み込む。
指の隙間から漏れ広がる光が、魔物を一瞬で溶かす。
目前のくちばしが、音もなく崩れた。
次々と降ってくる魔物も、光に触れた瞬間に消えていく。
ハッと、震えた息が零れた。
しばらく続いた空からの猛攻を防ぎ切り、光はゆっくりと収まった。
同時に全身の力が抜け、慌ててバランスを取る。
耳に響く荒い呼吸を落ち着けようと、木に身体を預け、深く息を吐く。
激しく鼓動する心臓に手を当て、もう一度。
辺りには、静寂が戻っていた。
……終わったと、思った。
途端に全身が震え出す。
寒いわけでもないのに、両手で二の腕を摩った。
胸元に視線を移し、ゆっくりと、身体に巻き付けた紐に触れる。
なんで、発動しなかった?
……いや、今はそれより、効果があったことを喜ぼう。
考えるのは、生き残ってからでも遅くはない。
頬に残る涙を拭い、落ち着きを取り戻したところで木の下を見る。
地面には、変わらず黒い影が蠢いていた。




