01 目覚め
ふと、意識が浮上する。
目を開ければ、中世へ遡ったかのような、ファンタジーじみた建物が見えた。
ここは……どうして、外に。
私は家にいたはず……あれ、どうだったっけ?
地面から見上げるような体勢のまま、霧がかかる頭を働かせる。
ひとまず起き上がろうと、腰の横に手をついた。
視界の片側を覆う白が鬱陶しい。
眉を寄せながら身を捻り、ついた手を支えに身体を起こす。
そのとき視界に映った手は、記憶の中のそれよりも、はるかに小さい。
その違和感を追う暇もなく、赤黒く染まった地面の一部が目に入る。
――血だ。
たちまち、ぼやけていた意識がスッと冷え込む。
ゆっくりと自分の額部分に触れると、ヌメリとした感触があった。
早く、手当てしないと。
詰まりかけた呼吸を、つとめて自然に吐き出す。
考えるのは後回しだ。
まずは血を洗い流したい。
すぐさま立ち上がり、近くの川を目指して森に入る。
慣れた動作で木の根や小石を避けて走りながらも、脳裏には絶えず疑問が襲う。
なぜ、川の位置が分かるのか。
なぜ、森に慣れているのか。
なぜこんなにも、目線が低いのか。
それらが頭をよぎるたび、その答えが当然のように浮かんでくる。
グルグルと回り続ける思考のなか、ようやく目的の川が見えた。
足を緩め、川辺に座り込む。
縁に手をつき、そのまま川を覗き込んだ。
水面には、見慣れない色彩の子供が映っていた。
それが自分のはずなのに、自分とは思えない。
心の奥から迫るものを押し込めるように、乱暴に水を掬う。
幸い、頭の傷はそう深くないようで、血は既に止まっていた。
髪に付いていた血まで洗い流し、水気を切って後ろになでつける。
川の水で冷えた頭が、ようやく情報を整理し始めた。
近くの木に背を預けて、数分。
閉じていた目を開け、私は深く溜息をついた。
あり得ない。
だが、信じざるを得ない。
日本での“私”の記憶と、この世界の“セラ”としての記憶が混ざった結果、導き出された違和感の正体。
――私はどうやら、“転生”というものをしたらしい。
この世界で生まれた記憶。
親に捨てられ、孤児院で投げやりな世話を受けた記憶。
セラが生きてきた10年の記憶が、その結論を決定づけた。
“転生した”ということは、私は死んだのか。
日本で生きた私の記憶は、ほとんど思い出せない。
自分のことは靄がかかったように曖昧で、代わりのように、周りの記憶だけは鮮明だった。
両親のこと、友達との会話、なんでもないテレビの内容。
どれも取るに足らない記憶ばかりなのに、目を閉じて浸っていたくなる。
そんな感傷を振り払うように、緩く首を振った。
……今までセラが感じてきたものは、もう、私のものになった。
だからこそ、なによりも望むもの。
ずっと心の奥で抱いてきたものが、浮かぶ。
――愛されたい。
聖女への憧れも、そこから来たものだ。
「人の役に立てば、愛してもらえるはず」という、幼いセラの悲しいほど健気な祈り。
手を目線の高さまで上げると、小さな傷が目立つ白く幼い手が映る。
10歳のセラには、置かれた状況を変える力はなかった。
知識も、経験も、なにもかも。
……私には、それがある。
セラが気づいていないだけで、セラ自身の素質は決して低くない。
それをどう活かせるかは、私次第。
――私にはもう、セラとして生きる道しかないのだ。
どうせなら、セラにとっても、私にとっても、最高の“幸せ”を。
戻りたいと願う“私”を押し込め、まだ違和感のある小さな手で、ゆっくりと手の平を握りしめた。
***
私はひとまず、セラの能力を整理することにした。
まずは、記憶力。
記憶を探れば、どんなに些細な場面でも鮮明に思い出すことができた。
次に、身体能力。
川まで走ったときにも思ったことだが、ガリガリの身体からは想像もつかないほど体力がある。
そして何より、この美貌。
この村ではマイナスに働いたこの色味も、この村の外ではどう分からない。
なにより、セラの顔はとても整っている。
それこそ、世界的な俳優にも劣らないくらいに。
色味は確かに不利になることもあるが、本物の美しさの前では些細なもの。
ただしそこに至るには、内から滲み出る“雰囲気”も大切だ。
どんなに美しくても、覇気がなかったり自信がなかったりすれば、ただの美人で終わる。
そんなものは勿体ない。
どうせならセラが憧れていた、聖女のような神秘的な雰囲気を纏うのはどうだろう。
聖女の力を持っていない私は、聖女にはなれない。
でも、セラの願っていたことはできるだけ叶えたい。
それに、神秘的な雰囲気をうまく纏えれば、村のいじめっ子たちも手を出しにくくなるだろう。
となると、当面の目標は“自分を磨くこと”。
内面が大事とは言っても、外見ができていなければ始まらない。
改めて、自分の肌や髪に触れてみる。
肌は子供とは思えないほどカサカサで、髪も切れ毛が多くパサパサだ。
頬を触ればくっきりと頬骨が分かる。
まずは、これらの改善を目指そう。
しかし、そこで過ぎる懸念がひとつ。
それは、この世界の治安について。
真っ先に頭に浮かぶのは、「反抗するなら売っちまうぞ」という言葉。
反射のように、身体が震えた。
人間を売る場所があるなら、当然、買う場所もあるだろう。
他にも、魔物のような、ファンタジーな世界観に相応しい危険もある。
今のうちにもう少し対策を講じるべきだろう。
自分磨きも、村人たちから隠れてやった方がいい。
──パキリッ。
背後からの音に、瞬時に振り返る。
木の幹から顔を覗かせ確認するが、何もない。
村の周辺に、強い魔物はいないはず。
予期不安、というやつだろうか。
詰めていた息を吐き出し、視線を前に戻す。
川の水面は、オレンジに揺れていた。
視線を上げれば、空はすっかり夕暮れ色に染まっている。
思っていたよりも時間が経っていたようだ。
木に預けていた身体を起こし、立ち上がる。
孤児院に向けて歩き出したところで、クルルとお腹が鳴った。
それをそっと撫でて宥め、薄暗い森に目を向ける。
この時間では、戻っても夕食は残っていないだろう。
溜息を吐き、止まっていた足を動かす。
“いつもの行動”をした自分に、なんとなく、腹の奥がぽっかりと空いたような気がした。
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