10 【閑話】ティラミアの父:弱さの罪
妻との間に、子供が生まれた。
早朝。
目覚めた僕は、ベッドに眠る妻と子供に視線を向ける。
まだ薄らと皮膚の赤みが残る、可愛い娘。
おくるみに包まれ、心地良さそうにスヤスヤと眠っている。
柔らかい髪を、そっと撫でる。
「おはよう、ティラミア」
ここ最近で当たり前になった、静かな朝だった。
そんな穏やかさを破ったのは、外から響く怒鳴り声。
妻が顔を顰めて寝返りを打つ。
めくれた布団をかけ直し、僕は静かに部屋を出た。
「嫌ですよ! こんな不気味な子! 育てろというなら、あなたが育てればいいでしょう!?」
村長に詰め寄るのは、孤児院の院長だ。
周りを見れば、チラホラと様子を窺う村人たちの姿がある。
「わしに子育てはできん。……その子を捨ててみろ。何が起こるか分かったもんじゃない」
吐き捨てるように、村長が言う。
「何が起こるって言うんです! 見てください、この老婆のような髪! 目は赤なんですよ!? そんな人間がいますか!?」
院長は、足元の籠を乱暴に持ち上げ、村長に突きつける。
その拍子に覗いた布の隙間から、薄く生えた白い髪が見えた。
瞼が震える。
この会話はなんだ。
どうして誰も、何も言わない。
そんな思考も、視界に映った村人たちの顔に、すぐに吹き飛んだ。
彼らは一様に、蔑みの目で籠を見ていた。
院長を哀れむ者さえいる。
その場のすべてが、異様だった。
……僕が、助けなければ。
そう思って、足を動かそうとして、指先がピクリと動く。
――あの子を助けたら、僕らはどうなる。
妻が。
ティラミアが。
あの目に晒されるのか。
そもそも、助けてどうする。
止めに入って、どうする。
外では珍しくない。
そう言ったところで、彼らが納得するだろうか。
彼らの常識が、変わるだろうか。
「とにかく、死なせてはならん」
村長が強く扉を閉めた。
バン、と鋭い音が、場の空気を震わせる。
肩を怒らせ、荒い足取りで去っていく院長の背を、ただなんとなく、視線で追った。
僕の足は、一歩も動いていなかった。
***
ティラミアはすくすくと成長し、最近は特によく話す。
あらゆることに興味を示し、なんでも聞いてくる姿が愛おしい。
そんな、ある日のことだ。
3人で外に出ると、村の子供から石を投げられる、あの子が目に入った。
それは当然、2人の目にも。
ティラミアがあの子のもとへ駆け寄ろうとして、妻がそれを引き留めた。
妻は一瞬だけあの子に目をやり、すぐに戻す。
「ティア。アレとは、関わってはダメよ」
「どうして? いたい、いたいだよ? 知らんぷりされて、かわいそうだよ」
ティラミアは小首を傾げ、眉を下げる。
優しい子だと、頭を撫でたくなった。
しかし、妻は首を振る。
そのまましゃがみ込み、ティラミアと目線を合わせ、彼女の両手をキュッと握って、妻は言った。
「いい、ティア。見ない振りをするのよ。無視するの。アレを視界に入れないで」
……幼い彼女に、言い聞かせることだろうか。
褒めるべきじゃないのか。
いや、分かっている。
妻の言葉は、ティラミアを思ってのものだ。
だがそこには、あの子への忌避も混じっている。
妻に限らず、村人たちはみんなそうだ。
――あの子だって、ただの子供だ。
胸に渦巻くその言葉は、ついぞ口に出すことはなかった。
ティラミアが話すようになってから、妻はある聖女の話をよく聞かせていた。
僕の知るものとは違う。
赤い髪を靡かせ、勇者の代わりに戦場を駆けた、赤の聖女の話を。
「彼女は赤が大好きだった。でもね、魔物の赤い瞳だけは、決して許さなかったのよ」
そう話す妻の目線は、どこか遠くを見ている。
その表情から、何を思っているのかは、すぐに分かった。
同時に、あの子を見る目にも、察しがついた。
「ティア。あなたも赤の聖女様のように、強く生きるのよ」
「わかった!」
微笑みあって抱き合う様子は、思わず笑みがこぼれるような光景だ。
その、はずだ。
ざわつく胸に気づかないふりをして、僕は妻と娘の輪に交ざった。
僕は元々、この村の人間じゃない。
薬を売りに来たときに妻と出会い、そのまま結婚して住み着いた。
閉鎖的な村だとは聞いていた。
僻地にある村では当然だろうと、そのときは気にも留めていなかった。
だがティラミアが生まれてからは、常に目の前に突きつけられている気分だった。
妻の、あの子に対する視線を見る度に、僕は自分が嫌になる。
僕の髪と目は、茶色でよかったと。
白じゃなくて。
赤じゃなくて、よかったと。
ティラミアが、あの子じゃなくてよかったと。
普段は底に沈めている感情が顔を出すたび、どうにも爪を立てたくなった。
***
3人であの子を見かけた日から、数年後。
1人で村を歩いていると、子供たちの騒ぎ声が聞こえた。
その声を辿り、様子を窺う。
声の元は、ティラミアと同年代の男の子たちだった。
悪戯好きのきかん坊たち。
そんな彼らと対峙するように、あの子がいた。
久しぶりに見たその子は、伸びた髪で顔を隠し、ボロボロの布を纏っている。
布から見える手足は細く、今にも折れてしまいそうだった。
息を呑んだ音は、駆けつけた親たちの声にかき消される。
立ち尽くす僕に気づかず、彼らは子供を連れて去って行った。
辺りに静けさが戻り、あの子が動き出す。
ゆっくりと上げられた顔にある、2つの赤。
バチリ。
そんな音が鳴りそうなほど、しっかりと、目が合った。
その瞬間、気づけば顔を逸らしていた。
……何をやっているんだ、僕は。
慌てて顔を戻したが、もうそこに、あの子はいなかった。
視線を落とした先。
右足が半歩、後ろに擦れた跡があった。
僕の、弱さの形が残っていた。
込み上げる衝動に任せ、グシャリと跡を踏みつけた。
またあるとき、薬草採集のために入った森で、あの子を見つけた。
前よりも、どこか元気そうに見えた。
彼女はスコップで地面を掘り、水を掬って樽に入れている。
遊んでいるのだろうか。
幹に身体を隠しながら様子を見ていると、突然、背後から声がかかる。
「なにしてんだ、こんなところで」
思わず肩が跳ねた。
勢いよく振り向けば、村の猟師が弓を片手に立っている。
「魔物でもいたか? そんなら俺がとっちめてやるよ」
「いえいえいえ。魔物なんていませんよ。今は、ちょっと……その、薬草の群生地を探ってまして……。あっ、そういえばあっちの方に、新しそうな獣道がありましたよ」
適当な言い訳と共に、これまた適当な方角を指さす。
猟師は一瞬首を傾げたものの、指した方角へと向かった。
その背を見送り、息をつく。
あの子の方を見れば、既にその姿はない。
なんとなく勿体ない気持ちを抱きつつ、幹から身体を出す。
薬草を摘みに歩き出そうとして、木の陰から少しはみ出す白い髪を見つけた。
思わず漏れ出た笑みをそのままに、わざと音を出しながら、その場を後にする。
胸に溜まっていたモヤが、ほんの少しだけ晴れた気がした。
こんな小さなことで、勝手に許された気になっている。
そんな僕にはきっと、いつか罰が当たるだろう。




